[26] ティー・パーティーへの招待
この階に、人影はない。らせん状の石段を駆け下りる。反響する足音は、ふたり分。
アリスは、まだ、棟内にいる。
特異棟につくまえにみた、濃色のすそ。――あれが、メイのものであればいい。叶いそうもない希望的観測を、くりかえし掲げる。
いまのアリスとイカれ猫を、接触させてはいけないような気がしていた。
「――フヒト!」
一階まで駆けおりたところで、アリスに追いついた。その場所で、待っていたのだろう。
いつものように飛びついてくる金色の毛玉を、フヒトは、とっさに避けてしまった。アリスの表情が、一瞬、こわばる。
(あ……)
しまった。あわてて、フヒトは、少年のひたいを指で弾いた。
「いった!」
「いきなり飛びついてこないで、って言ってるよね」
ごまかすように早口で告げて、フヒトは、アリスのとなりをすり抜けた。後ろから聞こえてくる反論を黙殺して、正面口の扉に手をかける。
いちど、浅く息をはいて、すう。……大丈夫。まだ、きっと。
そうして、フヒトは、特異棟の戸を引いた。ギィ、と重苦しい音がなって、外から明かりが差しこんでくる。
空の覇権は、[焔灯]のもの――。
外の空気を肺いっぱいにとりこんで、フヒトは、閉鎖的な石棟をでた。
「あ、待てよ、フヒト!」
駆けだしてきたアリスの後ろで、荘厳な檻は、またその口を閉ざす。隔離棟。このなかのどこかに、アカリはいるのだろうか。
――立ち去らなければならない。一刻も早く、アリスを連れて。
【命令】は、フヒトのなかに深く根づいて、その行動を限定する。ヒジリに縛られた自分を感じながら、フヒトは、真の主のもとへ帰るべく、足を踏みだした。
(リヴさまの……罪……)
変質した水。沈みこんだ石。
彼は、どんな表情で語ったのだろう。フヒトのしらない、記録上に残らなかった『うしなわれた過去』に、なにがあったのか。
そこに、きっと、すべての答えがある。
決意もあらたに特異棟を離れたフヒトは、ソウと別れた森の入り口に、予想とちがう影をみつけた。
思わず立ちどまると、後続のアリスが、背中にぶつかってきた。
「メイ……?」
亜麻色の髪を下ろした少女。小柄な[長庚]は、濃紫の衣のすそを引きずって、近づいてくる。
「きみ、だったのか」
「フヒト」
ホッと息をついたフヒトを、メイは、静かに見返す。
「[叡魔]が、お呼び。……きて」
「[叡魔]が?」
[勇聖]につづいて、[叡魔]までも? フヒトは、首をひねった。直接的に民と関わることのすくない『王』から、たてつづけに接触があるとは。
「時の管理者。使者は墜ちた。めぐるとき。めぐるさだめ。みだれた箱庭。終わりの始まり」
謎めいた言葉を連ねたメイに、フヒトは、目を丸くする。
「え?」
「……エマさまが、言ったのだよ」
ぱちり、と目をまたたかせて、メイは、後ろに視線を投げた。その先で、鼻をおさえたアリスが、首をかしげる。
「なんだ?」
「アリス。きみも」
「俺? そりゃ、フヒトが行くなら、行くんじゃねーの」
「ちがう。きみも、呼ばれている」
メイは、ちらりと周りをうかがって、声をひそめる。
「あれに、みつかる前に。早く」
「あれ、って……」
「ユ=イヲン。理を外れた、異端なるモノ」
亜麻色のまなざしが、ほんの一瞬、中空をただよった。遠い過去を、思い描くかのように。
「リ=ヴェーダの過去をあばくモノは、ユ=イヲンに、コワされる――」




