[6] 対峙
混沌のなかをぬけた先、リヴが足をとめた地点は、案の定、フヒトにとって記憶に新しい路地であった。
つい先ほどまで、この一帯こそが商業区と工業区の境だったのだ。
学園地区の入口手前に存在していたブロック――アリスと別れた、まさにその場所である。
「思ったより早かったな。もっと沈んでいるものだと思っていたのに」
変声期の少年のような、ハスキーな高音が耳をうつ。染みこんだ苦手意識か、フヒトの全身が、一斉に拒絶反応をしめした。
反射的に立ちどまったフヒトの視界に、見覚えのある、ふわふわとした金髪が映りこむ。
「……アリス」
ユ=イヲンは、たしかにそこにいた。『異分子』たる少年、アリスをともなって。
「やあ、リヴ。どうしたの?」
先ほどまで、アリス一身に注がれていた[破戒者]の意識が、リヴに流れる。
その後方にひかえるフヒトのことなど、視界にも入っていないようだった。
いつも出会い頭に、なにかしら嫌がらせじみた粘着質なからみをみせるだけに、ある程度の被害を覚悟していたフヒトは、肩透かしをくらった。
気づいていないのか。あるいは、とるに足らないものとしてあつわれたか。おそらく、後者であろう。さいわいと言うべきか、この場において、フヒトの優先順位は最も低いらしい。
凍りついたまま思考をめぐらせるフヒトを置いて、リヴは、一歩一歩確実にユイに近づいていく。
「それはなんだ」
「きみが気にするべきことじゃないよ」
にこやかに言いはなつ、ユイ。対峙するリヴの表情は、フヒトの位置からはうかがえない。
「ああ。『ダイス』をもどしにきたんでしょ? いいよ、今日の俺は機嫌がいいんだ」
「そうは見えんがな。ユイ。それが『異分子』だろう」
「……だとしたら?」
空気が、変わった。
長いまつげにふちどられた闇色の片眼から、感情が抜けおち、仄暗い光が浮かぶ。
整いすぎた人形のような顔が、空虚な無をたたえてリヴをとらえる。
瞬間的に、張りつめた緊張感が漂った。[調停者]と[破戒者]――最高権力者とその例外が、しばし無言で向かいあう。
「やだなあ、リヴ。俺にきみと争う気はないんだ」
おどけた調子で口火をきったユイは、リヴとの距離を一足でつめると、見下ろす黄金色の双眸をじっとみすえた。
何の感情も浮かべないまま、ユ=イヲンの口もとだけが、ゆったりとつりあがる。
――猟奇的で、アンバランスな笑み。
リヴの後方から、それを目のあたりにしたフヒトは、全身が総毛だつのを感じた。
「そのままでいいんだよ、リヴ。なにも知る必要なんてないし、知ったところで、意味もないよね? ――きみは、なにもできない。なにも変えられやしない」
一言一言、謳い刻みつけるように、ユイはゆったりと音をつむいでいく。
なおも、めだった反応をしめさないリヴの背中を、フヒトは信じられない思いで見つめた。
「ねぇ、フヒト?」
「! っ」
唐突に闇色の瞳を向けられ、フヒトは、びくり、と身体を揺らした。
それを面白そうにみつめたユ=イヲンは、こんどこそ顔全体に愉悦の笑みを貼りつけた。
「キミタチはそういうものだ。権限の行使だけを認められた存在。――権限を放棄したきみは一体、ナニモノなんだろうね?」
前半をフヒトに告げると、後半で改めてリヴに向きなおる。
静かに答えを要求する強い瞳を受けて、ようやくリヴは口をひらいた。
「俺はリ=ヴェーダだ。【宣言】をおこなおうが、おこなわまいが、真理は覆らない」
「『真理』……ね。きみがそれを言うの」
自嘲じみた微笑をこぼしたユイは、ふらりと踵をかえす。
「――きみにめんじて引いてあげるよ、リヴ」
言い終わるやいなや、あたり一面にノイズが拡散しはじめる。
フヒトは、己がふたたび干渉外に隔離されたことをしった。
フヒトだけではない。前に立つリヴも、呆然自失状態のアリスも、皆、半透明のあいまいな存在に置きかえられている。
――二度めの『ダイス』が、はじまろうとしていた。
ユイが、一歩一歩足を踏みだすたび、景色がぐにゃりとゆがみ、色という色、形という形が混ざりあう。
そうして、視覚が完全に役にたたないものとなり果てる寸前。[破戒者]は振りかえると、いまだ混乱状態を脱していない『異分子』に笑いかける。
「じゃあね。アリス。次に会うときは、」
キット キミヲ コワシテ アゲル。
情報の濁流にのまれる間際。
フヒトには、音には乗せられなかったユ=イヲンのささやきが、鮮明に見えていた。