[21] 最初の異端児(4)
「ユ=イフェンは、真音による支配を……なしとげたのですか……?」
震え声で問うたフヒトに、ヒジリは無情な肯定を返した。
「あれは、どうも[言読]の変異種のようでね。目の前に立つだけで、相手の真音を読みとっていたそうだ」
ごくり、と生唾を飲みくだす。フヒトの背に、嫌な汗が伝った。
「フェンは、その権限を使って、なにを?」
「なにも。奴は、枷を嵌められていた。だから、ほとんど、なにもしなかった。――[調停者]が代をかえる、そのときまでは」
『記録』のなかでしか知らない、先代の[調停者]。リヴだけではない。[叡魔]はまだしも、このヒジリもおそらく、存在していなかった昔のこと。
フヒトは、知らない。……なぜ、ヒジリは知っているのだろう。
「イフェンは、リ=ヴェーダと取引したそうだ。学都において、これほどの枷はないね」
「とり、ひき」
一体、なにを対価に? [調停者]と、対等に立って交換条件をかわすなんて、正気の沙汰ではない。
型破りな存在を、フヒトは再認識する。
あまりにもイレギュラーすぎて、想像が追いつかない。
フェン。そう呼んだユイは、兄のことを、どう考えていたのだろう。兄弟とは、どのようなつながりを持っていたのだろう。
(そうだ……僕は、ユ=イヲンについてさえ、なにもしらない)
逃げまわってばかりで、まともに向きあったことなどない。
彼が、いや彼女が、どんな目で学都をみていたかなど、しるはずがなかった。
たしかにユ=イヲンは、[史記]には、あつかえない情報体だ。けれど、生身の彼女は、たしかにフヒトの目の前にいたのに。
その目で視て、その耳で聴く。
そうしていたのなら、どんな『記録』よりも正しい情報が、得られたはずなのだ。フヒトの心もちひとつ、違っていたのなら。
「取引とは、具体的に、なにを?」
「さあね」
「……なんだよそれ」
ボソリ、と膨れっ面でつぶやいたアリスに、ヒジリは、口の端をつりあげる。
「言ったろう。俺も、多くはしらない。残念ながら、[勇聖]の代替わりは、フェンが消えたあとだ。まあ、どこぞの魔王なら、生き証人にもなりえたかもな」
そう言って、ヒジリは、組んでいた足を下ろすと、丸卓を支えに腰をあげた。とり残され、『王』をなくした玉座は、またたく間に簡素な椅子へとなり下がる。
石床をこする、木材の乾いた足音が、イレギュラーな会談の終わりを告げた。
もとより、ヒジリの好意ひとつで設けられたような、特別な席だ。ここまでと幕引かれれば、フヒトは拒める立場にない。
あたえられた情報は、充分とはいえないが、みな新鮮で一考の価値があるものばかり。これ以上のヒントを提示されたところで、さばききれずに埋もれるのが関の山だろう。
ひきとめるべきか、否か。考えるまでもなく、結論は出ている。
――けれど。
「ヒジリさま」
精巧な意匠の透けた白布を羽織り、ひるがえして去りゆく背中を、フヒトは、呼びとめる。
常ならば、決してしない。アリスの暴走に、巻きこまれるでもなく。引きずられるでもなく。
けれど、問わずには、いられなかった。
「アカリは、どこに――?」
意を決して口にしたフヒトの脳裏に、ならびたつ双子の特異色の姿が、浮かんで消えた。




