[20] 最初の異端児(3)
「生物的に誕生したとでもいうのですか!?」
「そうだね。いっそ、俺たちとは別のイキモノであったと考えるべきかもしれない。似て非なるモノ。イフェンに定義はなく、しかし権限があった」
淡々と語ってきたヒジリの薄いくちびるが、皮肉げな笑みを形づくる。
「のちに[話者]と名づけられた異端児は、真音を発話することができた」
ぽんぽんと投げつけられた事実の数々に、フヒトは、目をみはった。
うすく開いた口からは、どんな音も漏れださず、ただ固まることしかできない。つかの間、思考さえ止まっていた。
「シンオン?」
アリスが疑問の声をあげる。
「……『言名』、本来の韻律だよ……ただしい呼び方、っていうか」
「それ、名前じゃないのかよ」
「ええと、……識別符号?」
苦しまぎれに導きだした比喩に、アリスはわかりやすく顔をしかめた。叫ばれる前にと、フヒトは早口で補足する。
「そもそも、僕らには呼びあう『名前』がない。『言名』――僕でいう[史記]は、役職名みたいなものだけど」
名前、とはいえないだろう。アリスが想像するようなものとは、違う。
もっとずっと、本質的なもの。フヒト自身に、限りなく等しいもの。膨大な情報を、たった一言に圧縮したような……上っ面にはりついた『名称』とはまるで異なる、必然性を持ったものだ。
「シキっていうのは『仮名』で、それとは別に、僕だけが認識できる『真音』がある。これは絶対に同時に存在しない、僕に固有の韻律なんだ」
「……えーっと?」
アリスの周囲には、大量の疑問符が浮かんでいる。これ以上、噛みくだいた説明が思いつかず、フヒトは言葉につまった。
「言うより、試したほうが早いんじゃないか?」
あくびでもしそうなおざなりな口調で、ヒジリが言った。
やはり[勇聖]は、アリスに対し、初対面から一貫して、突きはなした態度を崩そうとしない。
しかし、その割には、アリスの――いや、アリスが現れてからのフヒトの動向を、気にかけていたようにも思える。
(……いま、気にすることじゃない)
かるく首をふって雑念を払い、フヒトはアリスに向きなおった。
そして、ひさしく口にしていなかった『真音』を、発話する。
「史」
独特の韻律は、フヒト自身の耳には、ハッキリとした形をえて伝わった。
それが自分自身と同等であると、本能に近い部分で理解する。
パチパチと目をまたたかせたアリスが、首をかしげる。
「……え?」
状況がまるでわかっていないのだろう。眉をひそめた少年に、フヒトはくりかえした。
「僕の真音は、史だ」
きっぱり、一音一音区切るように告げる。それでも、アリスの表情は晴れない。
「ぜんっぜん聞こえねーよ。なんて?」
「そういうものだから」
「はあ?」
フヒトの言葉に、アリスは不満げにくちびるをとがらせた。
「僕の真音は、僕にしか認識できないし、もちろん発話もできない。だからこそ、真音には価値がある。僕が僕であるという証明。僕以外の何者でもない印。――僕という存在のすべてが、真音につまってるんだ」
それは、誰にも侵されることのない、絶対の符号。真音を知ることは、他者を支配することにつながるという。
例外は、『ユ=イヲン』だけだ。あれは、真音であるけれど、誰にでも発話できる。その上で、誰の支配も受けつけない。
『リ=ヴェーダ』も、それに近い名ではある。けれど[調停者]は、真音そのものを持たないのだ。学都で、唯一。
彼らを除くすべてのモノにとって、真音とは、なによりも尊い定義だった。自己を形成する柱とも呼べる。
もし、真音を認識し、発話できるモノがいるとしたら。自分のすべてが、簡単に奪われてしまうというのだろうか――ゾッとする。




