[18] 最初の異端児(1)
奇妙な気分だった。ちいさな丸卓で向かいあうは、箱庭の王たる男である。
アルビノカラーの白兎は、悠然とした態度を崩さずにフヒトをうかがっている。降りそそぐ威圧感が、それをよく物語っていた。
一方アリスのことはといえば、視界に入っているのかどうかさえ怪しい。
思えば、はじめからそうだった。[勇聖]に限ったことではなく、[叡魔]もまた。
学都を統べる『王』たちは、まるでアリスをないものかのようにあつかう。その存在を知覚しながら、必ずフヒトに問うのだ。ソレはなにものか、と。
直接アリスに関わろうとはしない。なにか理由でもあるのだろうか。わずらわしさからだろうと、疑いもしなかったが、本当は?
ちらり、と右隣をうかがったフヒトは、居心地悪そうに足をぶらつかせる少年を見る。なんとなく、むくれたような表情は、とてもなにかを企んでいるようには思えない。
なにか声をかけようとして迷い、結局なにも言わないまま、フヒトは視点を正面に戻した。
そのタイミングを見計らったように、ヒジリが口を開く。
「さて」
クッと口角をあげて、ヒジリが笑う。
表情といい、状況といい、まるでいつかの三位の館でのエマのようだ。上位者ゆえの余裕をにじませた、楽しげな微笑。それでいて底が見えない。
これで、手元に紅茶でもあった日には、気詰まりなお茶会の再来というものだろう。
犬猿の仲というけれど、学都の統治者たちは、根本的なところでよく似ている。対照的な外面と、似通った内面。相入れないようでいて、その実は同族嫌悪でもあったのかもしれない。
そこで、フヒトは、口に出した瞬間まちがいなく機嫌を損ねられるだろうな、と思考を止めた。
けれど、あの日とは違う。[調停者]はここにやってこない。誰の意思でもなく、自分自身の望んだ結果として、フヒトはこの席についたのだから。
深緋のまなざしが、容赦なく射抜いてくる。万物を駆りたてる烈火。燃えさかる焔は、隙あらばフヒトを飲みこまんと、ゆらめきながら機をうかがっている。
「改めて問う。――なにを求める?」
「真実を」
フヒトは即答した。
「[史記]が取りこぼした記録があるなら拾いたい。もし記録が誤っているのなら、そこにあてはまるべき過去の真相を知りたい。――それが、僕の望みです」
「それは、リ=ヴェーダのために?」
「いいえ」
ヒジリの眉が、ぴくり、とあがった。
かまわずに、フヒトは続ける。
「僕自身のために、です」
きっぱりと、言いきった答えに迷いはなかった。
[調停者]のため、ではない。厳密に言うならば、リヴの助けになりたいというフヒト自身のエゴを貫くためだ。
大げさなため息を吐きだして、ヒジリは天井をあおいだ。
「まったく、たいした忠犬だね」
あきれたようにつぶやくと、ヒジリは、あらためてフヒトに向きなおった。
「真相が知りたいと言ったな。俺も多くは知らない。ただ、かつてこの部屋は、『最初の異端児』のものだった」
「ユ=イヲンの?」
「違う。――ユ=イフェン、だ」
イフェン。聞きなれない名を、フヒトは反復する。最初の異端児、と呼ぶからには、ユ=イヲンに先んじた存在なのだろう。けれど、まったく覚えがない。
そもそも、[破戒者]自体がフヒトよりも歳上なのだから、生まれる前のことなど知るはずがないのだ。本来ならば。
ただ、[史記]であるがゆえに、そして【自己参照】がおこなえたがゆえに、知識として『記録』上の過去を知っていただけのこと。
――つまり、イフェンは『記録』上に存在しない。
そのような存在を、フヒトは、いや、[史記]は、知らない。
ふと、記憶の片隅になにか引っかかった。ユ=イフェンという存在は知らない。でも、どこかで、それによく似た名を――。
(……ユ=イヲンだ)
フヒトは、メイが戻った日のことを思いだした。
常になく動揺したイカれ猫が、つぶやいた言葉。普段から意味のわからないことばかり喚いているくせに、あのときだけは様子が違った。
フェン。ユイはたしかにそう言った。存在しちゃいない。俺も、フェンも、あの子も。そう、震えた声で告げたのだ。




