[16] 謁見(2)
「――待てよ!」
無邪気とも無謀とも呼べる行動力で、アリスは叫び、そして捕まえた。
フヒトにはできない。真似しようとも思わないけれど。とりつくろうことも忘れて、愕然とした表情をさらすフヒトの前で、足をとめた長躯がふりむく。
「なんだ、坊主」
全身ですがりつく小動物を見下ろして、ヒジリは問う。
無機質な声だった。単一的で、考えがまるで読めない。鋭い叱責よりも、よほど迫力をもって響く。
「客人ですらない『異物』が、俺になにを求める?」
「なっ」
なぐられたような顔で、アリスが固まる。
異物。真っ向からそう断定されたことに、少なからずショックを受けているようだった。
しかし、客人ですらない――『来訪者』でないというのなら、アリスは。与えられる情報を噛みしめて、フヒトは答えを探す。
異物というならどうして、アリスは学都に適応しているのか。ひょっとして、なにか根本的なところで間違えているのでは。だとしたら、どこで。
ぽかん、と開いていたアリスの口が、やがて怒りに震えてひき結ばれる。
いまにも叫びだしそうなアリスを抑えて、フヒトは一歩前へ出た。……身体が動く。いまなら、問える。
「ヒジリさま」
ふたりの間へ身体を割りいれながら、深緋の瞳を睨みあげた。
表情は読めない。ほんの少しだけ意外そうに眉をあげて、すぐにまたヒジリはつかみどころのない微笑に戻る。
「教えてください。なにが起きているのか、あなたは知っているのでしょう」
「また問うのか、フヒト。俺に問うて、その答えを得れば満足か?」
「……、いいえ」
「お前は[史記]だろう。知りたいのならば【参照】すればいい」
それではだめだ、とフヒトは思った。
選択肢に浮かばなかったわけではない。読み手はいらない。【自己参照】は、きっと耳をそろえて情報を差しだすだろう。
――けれど、それでは。
顔色を変えて黙りこんだフヒトを、ヒジリは面白そうに眺めている。
【参照】では、だめだ。普遍的な事実を『記録』する媒体といえば、聞こえはいい。しかし、その実体は、もっと危ういモノだ。
リヴが禁じた。ならばそれだけの理由がある。危険なのだ。【参照】という行為は。記録を、その知を、絶対のものとしてしまうことは。
(記録に、真実が寄ってくる――)
自分自身が『なに』であるのか。フヒトは、他の多くのモノとおなじように、生まれたときから漠然とそれを知っていた。漠然としか知らなかった。
[史記]は、『記録』した事実を、不可侵の真実に据えてしまうのだ――。
無知をつきつけられ、馬鹿猫に押しつけられたヒント。つなぎあわせれば、知ることは決して難しくなかった。
ただ、知ろうとしなかっただけだ。その必要性すら、感じなかっただけだ。
知りたいのは、『記録』上のゆがんだ真実ではなく、いま目の前にある現実。
だから、フヒトは、ここにきた。
【参照】では、意味がない。
「お願いします、[勇聖]。僕は、知りたい。[史記]としてではなく、学都にあるモノとして。求めているのは答えではなく、鍵です。……真実は、僕自身が決める」
お願いします。そうくりかえして、深々と頭を下げたフヒトの背から、緑青色の長い毛束が滑りおちた。




