[14] 風織
石段を踏む硬質な足音が、二人分。閑散とした棟内に反響する。
延々とつづきそうな、果てのみえない階段。上階へと伸びた一本道を、フヒトはアリスをともなって黙々と進んでいた。
「なあ、フヒト」
ぽつり、と落とされたつぶやきが、壁にぶつかって、幾重にも響く。
先を歩くフヒトは、ちらり、とアリスを一瞥して、つづきをうながした。
「さっき、なんだっけ。ソウが微妙な立場? って、言ってた?」
「ああ、それか」
アリスにしてはめずらしく、言葉に迷いながら、ひとつずつ問いかけてくる。
「なんで……っていうか、そもそも、どういう……?」
「聞きたいならハッキリ言えばいいのに」
思わずフヒトが口をはさむと、アリスは、ばつが悪そうに黙りこんだ。
「べつに、怒ってるわけじゃないよ。みんな知ってることだ。ソウが悪いわけでもない」
もともと、思わせぶりな言いかたをしたのはフヒトだ。聞かれてこまるようなたぐいのことでもない。
学都において、『来訪者』以上に特殊な立場というのはそうそうない。アリスが気にするのも、とうぜんだとも思う。
打ちぬかれた丸窓から、冷たい風が吹きつけてくる。緩やかにめぐっていることの多い風が、こんなにも乱れていることはめずらしい。
外見上いくら取りつくろおうとも、片割れを失ったかもしれない、という不安はソウをむしばんでいる。その精神は、穏やかならざる状態に違いない。
不安定な『名持ち』に引きずられて、こんなところにまで影響が出ていた。年相応の未熟さが垣間見られるとは、不謹慎ながらほほえましくも思える。
まっすぐ前を見つめたまま、フヒトは苦笑する。
「[風織]はね、もともと『闇の眷属』なんだ」
「ソウが? でもあいつ、ヒジリさまがどうとか……」
「彼は、『光の眷属』だ」
「はい?」
まぬけ面が目に浮かぶようだな、と思いながら、フヒトは振りかえることなく補足する。
「歴代の[風織]は、[叡魔]の支持者。でも今代の[風織]――さっき会った、ソウは、[勇聖]を支持している。……ことになっている」
「なんだよそれ」
「どうせ、わかってないでしょ? だから複雑な立場なの」
不満そうなアリスを、フヒトはぴしゃりとはねのけた。返答を待たずに、話を進めてしまうことにする。
「眷属ってのは、生まれつき定まっているようなものだ。どちらに属するかって義務はないけど、生まれもった忠誠心が導く」
いくら、眷属が派閥のようなものとはいえ、変わることはまずない。存在そのものが違ってしまっている、いまとなっては。
誕生と同時に定められた『王』への忠誠心は、そうそう揺らぐものではないのだ。
しかし、ソウは、アカリの双子だ。[勇聖]と[焔灯]。[叡魔]と[長庚]。原初の眷属と王の絆は、ほかのモノとは比べものにならない。
「アカリのために、彼は信奉する『王』を変えた」
だからといって、闇の眷属として生まれついた性質が変わることはない。
メイの呼んだ濃密な『影』のなかで、涼しい顔をしていたのがその証拠だ。
生粋の光の眷属は、『影』に対する生理的な嫌悪を捨てきれない。ゆえに、外に出歩こうとさえ、思わない。
「それ、って……」
「悪いことではないんだよ。めったにないことだけど」
学都の『王』はあくまでも二人だ。どちらをより支持するかというだけの話で、眷属同士で敵対しているわけでもない。
かつて起こった『聖魔戦争』も、終結してから永いときが経過して、風化しつつある。いまとなっては、短命な光の眷属では、知るモノも少ない。
「だれも気にしない。……本人を除いてはね」
「罪悪感があるってことか?」
「そんな単純なことじゃないだろう」
フヒトは、ひとつの扉の前で足を止めた。気が散っていたアリスに衝突されて、すこしよろける。おおよそ、予想はついていたので、転ぶことはなかった。
「いまごろ、感情の整理が追いつかずに悩んでるんじゃないかな」
憎みたくても、憎めない。
アカリがもし本当に消えてしまっていたとしたら?
それが、[勇聖]の采配なのだとしたら?
あの青年は、それでも『光の眷属』として、ヒジリを信奉するだろうか。かけがえのない片割れを奪った男に、膝をつくのだろうか。
――答えは、わかりきっている。
ひとたび[勇聖]の前に出れば、迷うことさえ許されない。どんな複雑な思いも捨ておき、ソウは従うだろう。
王と眷属とは、そういうものなのだから。
「それ、どーいう」
アリスの声を無視して、フヒトは、細かい装飾のほどこされたドアノブをつかんだ。六階。数え間違えてはいないはずだ。
彼らの事情など、関係ない。フヒトは、ソウに揶揄されたとおり、眷属とは名ばかりの部外者だ。リ=ヴェーダの犬だというのなら、それでもいい。
嗅ぎつけた異変を主に報告すべく、実態を把握するまでである。
ギィ、と錆びれた音をたてて、古びた木の扉は押しひらかれた。




