[5] 嗜虐者の瞳
ありとあらゆる建造物が、好きかってな方向に立ちならぶ無秩序な空間。そのなかを、フヒトは、四苦八苦しながらぬけていく。
進めない方向はないのだが、無数の選択肢から一方向を選びとっていくことは、どうにも難しい。
ユ=イヲンのつかさどるセカイは、すべてのしがらみを断ちきったもの。どこまでも自由であり、それゆえに混沌としている。
手がかりになりうる法則性が、存在しないのだ。
先行するリヴはさすがの様子で、迷うことなく、道なき道を選定していく。
行き先どころか、現在地もおぼつかないフヒトとは異なり、つぎに足を進めるべき場所が、彼には見えているようだった。
「ユ=イヲンの居場所がわかるのですか? リヴさま」
「あれの考えを理解することはできないがな」
フヒトの問いに、足をとめることなくリヴが応じる。
これ以上離されぬよう、彼のたどった道筋を、フヒトは慎重に追った。ひとたび見失えば、おそらく、もう追いつけない。
「ユイは、あいさつにいくと言った。ならば、向かう先はひとつだろう」
「あいさつ……ですか」
釈然としないまま反復するフヒトに、リヴはきわめて冷静に言葉をかえした。
「『異分子』だ」
――アリス。
『ダイス』に巻きこまれてはぐれた、『来訪者』の少年の姿が、思いうかんだ。
フヒトの背中を、嫌な汗がつたう。
ユ=イヲンは気まぐれで、そして怠惰だ。彼の行動理由は多くの場合明白で、単純に気にくわないか、あるいは――リ=ヴェーダに対する冒涜、か。
[破戒者]は、お気に入りを害することをゆるさない。
フヒト自身も、不本意ながらその対象にふくまれるが、リヴは別格だ。
誰にも心をゆるさないユ=イヲンが、ただひとり懐いている相手。『唯一無二の例外』を御しうる存在など、他にいない。
なぜ、あのタイミングで、[破戒者]は【権限】を発動したのか。
あの『ダイス』は――いままでにない大規模な組みかえは、この状況を作りだすためではないのか。
すべては、フヒトを巻きこむことなく、かつ、リヴと接触するまえに、『異分子』への『あいさつ』をすませるためだとすれば。
(アリスが、危ない?)
無意識に【自己参照】をおこなったフヒトの脳裏に、ニィっと口の端をつりあげたユ=イヲンの姿が浮かびあがる。
愉しげに細められた瞳は、まるで嗜虐者のものだった。
「フヒト?」
黙りこんだフヒトを不審に思ってか、足をとめたリヴが振りかえる。あわてて【参照】を断ちきったフヒトは、不穏な残像を打ちけした。
「すみません。……急ぎましょう、リヴさま」
彼は、[調停者]だ。たとえ権限を行使することがなくとも、ソウイウモノであることは変わらない。
それは、己が[史記]であることとおなじ、ひとつの真理なのだから。
悪いようにはならない。バランスキーパーにとって、なるほど『異分子』であるアリスの存在は、たやすく知覚できるものなのだろう。
(そもそも、僕があいつを案じる筋合いなんて、ない)
なんともいえない後味の悪さをいだいたまま、フヒトは、それ以上の思考をめぐらせることを放棄した。