[12] チガウモノ(2)
鎮まりかえった森を、短い沈黙が包んだ。数歩先まで吹きとんだ少年を見て、気まずげに顔を伏せたソウが、わずかに頭を下げる。
「……取り乱して、すまなかった」
「気にすることじゃないよ。この程度、流せないほうが悪い」
フヒトに一蹴されたソウは、ようやくかすかな笑みをみせた。
「きみを基準にされたら、たまったもんじゃないな」
アリスの肩をもった[風織]の言に、フヒトは意外だと肩をすくめた。
もちろん、いつものように本人も喚いているが、フヒトにとってはすでに生活音の一部ようなものだ。耳を貸すこともせず黙殺する。
「買いかぶりすぎだね」
「そうかな? [史記]。私はきみのことを、心底羨ましいと思ってるんだけど」
ほほ笑むソウの空色の瞳には、しかし友好的な色は見られない。
警戒を続けるフヒトは、不意に気づいた。
眼の奥でくすぶる黒い炎。これは、――嫉妬か。
「自分がどれだけ特殊な立場にいるか、自覚はしているんだろう」
リ=ヴェーダの犬。投げつけられた暴言を思いかえして、フヒトの表情は強ばった。
[調停者]の庇護の下で、傍観を貫く。それは、監視と合わせの関係である。それでも、特別な境遇であることは、フヒトとてわかっている。
『お前の存在は他者を軽く凌駕する』。告げたヒジリは、わかっていたのだろう。[史記]という立場の特殊性を正確に認識していた。フヒト自身よりも、ずっと。
「そうだね。――僕は、きみとはチガウモノだ」
おなじ台詞をくり返したフヒトに、ソウは、黙ってわきに寄り、道を開けた。
森を抜けて特異棟まで延びた、ひとすじの道があらわれる。そこにはもう、誰の人影もなかった。
「きみは、いかないの」
「いけない。[勇聖]が、そう望んだから」
「……そう」
短く答えたフヒトは、他に渡すべき言葉を持っていなかった。
[風織]から目をそらして、その隣をすり抜ける。
「あ、おい、待てよ!」
追いかけてくるアリスの足音。立ちどまってふり返ろうとしたフヒトに、ソウは尋ねる。
「アレはなんだ?」
「わからない」
学都にオち、カタチを保ちつづけた迷い子。その正体は、フヒトにとっても謎に満ちている。
「自称、来訪者。三位は、彼を『特異』として扱うと決議した。僕はそのお目付役だ」
「違う」
「だろうね。だからわからない。ユ=イヲンは、災厄だと言ったよ」
[破戒者]の名に、ソウの顔が苦くゆがんだ。メイが戻った日の一件は、青年のなかによほどの苦手意識を染みこませたらしい。
圧倒的な権限を持つ、きまぐれな異端児。矛先を向けられたモノにとっては、たまらないだろう。近ごろなりを潜めている絶対者は、なにを考えているのか。
そのまま、ソウは無言で木立のなかに姿を消した。入れかわるように、アリスが飛びこんでくる。
「なんなんだよ、あいつ!」
「前にも会ったでしょ。当代の[風織]――アカリの片割れだよ。彼も、微妙な立場だから……いろいろと思うところがあるんだろう」
「そうかあ? 粘着質に文句つけてきただけじゃねーの。口うるさそうだし」
ソウとのやりとりを途中からしか知らないアリスは、不満げに口を尖らせる。あるいは、はじめから聞いていたとしても、理解することはなかったかもしれない。
フヒトとソウの相違をはるかに超える次元で、この少年は異なるモノだ。ただの来訪者ではないにしても、その点は変わらない。
アリスは、理不尽に吹きとばされたことにまだ腹を立てているらしく、機嫌が悪い。それもしかたのないことだろう。
少年の手をとって、フヒトは再び前へと踏みだした。不意をつかれたアリスが、足をもつれさせて体勢を崩す。
金色の猫っ毛が、ふわりと踊った。
「フヒト!」
毛を逆立てて怒る様は、本当に小動物のようで、フヒトはくすくすと笑った。
「たまには意趣返しもなくちゃね」
「なに言ってんのかわかんねえって」
ふてくされたアリスにはとりあわず、フヒトは笑いながら木々の間をすり抜けていく。細い小径の先には、もう、自然のアーチが見えている。
「ほら、いくよ。アリス」
漠然とただよう不安を塗りつぶすように、フヒトはことさら明るく呼びかけた。
胸の底に巣食う猜疑心には見ないふりをして、いまはただ、目的地だけを見すえる。
目指す特異棟は、もう目前であった。




