[19] 平行線をたどる
ややあって、ユイは、しばいがかったしぐさで肩をすくめた。
「やだなあ、ひと聞きのわるい。まるで俺が、なにかイケナイコトをしてるみたいだ」
「あいにくと、お前の言葉は信用にあたいしない」
「あは。そいつはひどい」
ゆるい笑みを浮かべつづけるユイに対して、リヴの表情は、無機質にかたい。
「なんにも、たくらんでいやしないよ。きみは知っているでしょう? だって、俺は[破戒者]だ」
高慢ともとれる口調で告げた、ユ=イヲンの闇色の右眼は、まっすぐにリ=ヴェーダの姿だけを映している。
彼らの様子を注意深くうかがっていたフヒトは、さきの瞬間、以前アリスに『仏頂面』と称されたリヴの表情に起こった変化を、見逃さなかった。
(あれ、は……憐憫?)
なにかが、冷静沈着な[調停者]の、琴線に触れた。
――なにが?
思えば、アリスが学都にオちて以来。はっきりとわからない物事が、あまりに多くはなかったか。
ユ=イヲンが、あるいはアリスが、学都にとってなんらかのイレギュラーが関わることで、[史記]の記録は精度をうしなってしまう。
ふいに、フヒトは、漠然としたわだかまりを抱いた。
([史記]は、すべてを知っている。だけど)
絶対の真実。
その記録媒体たるモノ。
ならば記録がすこしでもゆがみ、穴をもったなら、フヒトは、[史記]は、――存在意義をうしなうのか?
背筋を流れおちる冷たい汗の感触に、フヒトは身震いした。
一方、再三の沈黙を耐えかねたらしいユイは、いらだたしげに口をひらいた。
「きみが気に病むことじゃあないし、そんなのは無意味だ。それともなあに? 【宣言】でもしてくれる気になった?」
「仮にそうしたとして、なにか変わるのか?」
[破戒者]は瞠目し、そして、つぶやいた。
「……変わらないよ。なにも。だって、きみは絶対にそうしない」
ちいさく、しかしはっきりと断定したユイの言葉を、リヴは否定しない。肯定することもないまま、静かに少年のような少女をみつめている。
しばし、どこか心あらずに、ないだ金眼を眺めていたユ=イヲンは、やがて、くすり、と邪気のないほほ笑みをもらした。
「それでいい。うん、きみは、そのままでいいよ、リヴ」
「俺は、……お前がわからない」
「なにをいまさら。俺はソウイウモノでしょ」
むずかしい表情を浮かべたリヴへ軽口をたたいて、ユ=イヲンは、きびすを返した。
「――ユイ!」
「これ以上話したって、どうせ平行線じゃない。きみは俺をわからないし、俺はきみに望まない。……じゃあね、リヴ」
淡々と述べながら迫りくるユ=イヲンに、フヒトはぎくりと身をこわばらせる。
「ああ、そうだ。――この子、借りてくよ」
不穏な言葉を聞くが早いか。
逃げるいとまさえ与えられないまま、気づけばフヒトは、[破戒者]に抱えられていた。
かと思えば、予兆なく、ぐにゃりとゆがみだした視界に、声にならない叫びを上げる。
「――!」
それは、先刻の[焔灯]など、比ではないほどに正確で強力な、局地的な【権限】の発動。
すこしばかり変わった『特異職』でしかない[史記]に、あらがえるはずもなかった。
「フヒト!」
またたく間に混濁するセカイのなか、焦りをふくんだアリスの叫び声が、どこか遠くで、こだました。




