[16] 絶対者は嗤う(3)
ゆるやかに弧を描いた風の中心に、細身の青年の影が浮かびあがった。
ちょうど、フヒトとほぼ同程度と思われる長い髪が、ひるがえって青銀色に輝く。
この学都において、腰までの長髪、それも青みがかった灰色などという色彩を持つ存在を、フヒトはひとりしか知らない。
[史記]の認識をくつがえせる唯一の存在、ユ=イヲンが、すでにこの場にいる以上、それはすなわち確定事項である。
正面にそびえる特異棟。その五階からたなびくカーテンのすそをみつけるまでもなく、フヒトは、いましがた緊迫する場の中心へ飛びおりた青年の正体を特定していた。
「……[風織]」
つぶやいたフヒトの視線の先、アカリのかたわらにあらわれた年若い青年は、その場にいる有象無象には目もくれず、ただ一人の絶対者、ユ=イヲンへ向けて、深々と腰を折った。
「ご無礼をいたしました。私は[風織]、ソウと申します。アカリは我が半身。未熟な片割れに代わり、どのような罰も受ける所存にございます。どうかご温情を――ユ=イヲン」
ひと息に口上を述べた『名持ち』の[風織]は、上半身を起こさぬまま、伸ばした右手で、ほうけたアカリの腕を引く。
流れるように優雅な所作に反して、ソウの指先は、食いこむほどに固く少年の細腕を締めつけているようだった。
茫然自失、といった様子で立ちすくんでいた[焔灯]の顔から、徐々に色が抜けていく。
少年らしい闊達さがうしなわれた、青白い頬をひきつらせて、アカリは叫んだ。
「ユ、イヲ……ン? は、[破戒者]だっていうの? こいつが!?」
支配者たる『王』として君臨する、[勇聖]や[叡魔]が、妄信的な人望を集める一方。特異職にかぎらず、学都の民が[破戒者]にいだく感情は、純粋な畏怖である。
ユ=イヲンは、ほぼすべての物事に関心を示さない。
実際に相対したことがあるモノなど、かぎられた極一部であるにもかかわらず、その所業だけがひとり歩きをする。
理に縛られた土地で、理をひもとく【権限】を与えられた、異質なるモノ。
自らを形作る根幹を否定する『例外』を、彼らは、畏れる。
不本意ながら『お気に入り』に数えられるフヒトでさえ、距離を置きたいと願ってやまないのである。
ユ=イヲンは[史記]を害さない。経験上そう知っていてさえも、彼――いや、彼女はおそろしい。
いちように凍りつく特異職たちを前に、とうの[破戒者]は、勢いよく天をあおぐ。静まりかえる場をきりさくように、ユイは、盛大な笑い声をあげはじめた。
「ふっ、ふふっ……あはははははは!」
かすれた嘲笑が、こだまする。
異様なその様に身をすくめたメイを、アリスが抱きよせる。その表情はいつにも増して固くこわばり、丸く大きな瞳は見開かれたまま。またたきさえも、忘れているようだった。




