[9] 眷属と別棟(2)
別棟に近づくにつれ、あれだけいたるところにひそんでいた学生たちの気配が、まるで感じられなくなっていく。
三位の領域ほどではないにしろ、別棟は一般の住民にとって、よほど敬遠すべき場所であることがよくわかる。
「あれが? さっきまでの校舎となにが違うんだよ」
正面にそびえる石造りの塔を見上げて、アリスが首をひねった。
縦に長くのびた高層構造でこそあるものの、各階の大窓から見える内装に、めだった差異はない。
「一緒だよ」
答えるフヒトは、メイ手を引きながらすたすたと正面口へ向かって歩いていく。
「なら、なんでわざわざ別棟なんて作ったんだ? 本棟だって十分広いじゃんか」
「そうだね。だけど、ここには、一般学生も、商業区や工業区に居を構える民も、近づかない」
それどころか、別棟には各階一室しか設けられておらず、特異同士が、棟内ではち合わせしないように作られている。
なかには、監査棟を根城にするフヒトのように、ほとんど寄りつかないモノさえいる。
まとめて別棟組と称しているものの、クラスメイトとは名ばかりの実情だ。
「なんでだよ、メイもフヒトも別棟組なんだろ? 避けられる理由がわかんねえ」
納得いかない、と不満気に頬をふくらませた少年をふり返り、フヒトは足を止めた。
丸い大きな瞳とばら色の頬は、子どもじみたアリスのしぐさにも違和感を感じさせない。
見かけどおりの年齢であるのなら、フヒトとさして変わらないはずなのだが――。
もう何度めかもわからないため息をひそかに飲みこんで、フヒトは、かぶりを振った。
そもそも、[史記]と比べることが間違いなのだ。
「きみもだよ、アリス。特異としてあつかうと三位が決めた。僕らとおなじ、チガウモノ」
「ちがうもの? どういう意味だよ、それ」
「特異職っていうのは、ほかと違うから『特異』なんだ。絶対数が少なくて、それだけ持つ【権限】も大きい。遠くから眺めて、もてはやすことはあっても、関わりたいとはまず思われない」
淡々と語るフヒトを、メイもまた、口をはさむことなく静かに見上げている。
「……わかるかよ」
ぼそり、とつぶやいたアリスは、不機嫌に眉を寄せた。
帰還を望む以上、学都の価値観を拒絶する思いは、あるのだろう。それでも、消えたくないと望んだのは、アリスだ。
身体の横で握りしめられたアリスのこぶしを、冷めた浅緑の双眸に映しながら、フヒトはふたたび口をひらいた。
「わからないならそれでいい。だけど、僕らはそういうものなんだ」
「だから、そういうものってなんなんだよ! ここにいる奴らは、みんなそうだ。すぐに『そういうもの』だからって、なにもかもそれで片付けてる!」
俺にはなにが『そう』なのか全然理解できねえよ! と、アリスは叫ぶ。
そのまましゃがみこんでしまった金髪の後頭部を、まるで子供のかんしゃくだと思いながら、フヒトは困ったように見下ろす。
力の緩んだ右手から、少女の小さな手のひらが、ぬけ落ちた。
前へ進みでたメイが、小さな背をさらにかがませて、アリスと視線を重ねる。
「迷い子。自分の在り方を認めていないから、どこにもなじめない、かわいそうな子。きみは一体どうありたいのかな」
穏やかな口調で問いかけるメイに戸惑うように、アリスは、まばたきをくり返した。
「どう、って……。俺は、俺で、どうとか、そういうの、……」
幼い少女になだめられている現状に、さすがに気まずさを感じたのか、アリスの言葉は尻すぼみに小さくなっていって、最後の方はまるで音になっていなかった。
メイは、こてり、と小首をかしげて、さらに問いかける。
「なら、きみはどういうもの?」
「……そんなの、俺がしりたい」
「ワタシたちは、それを、しっているのだよ。はじめから、ぜんぶ。だから、『そういうもの』なのだとわかる。だから、『そういうもの』なのだと説明できる」
言いながら、メイはふんわりとほほ笑んだ。
「大丈夫、そのうちわかる」
アリスの左手を握って、ひき起こそうとするメイは、やはり力が足りないらしい。ふらつく様子をみかねたフヒトは、しぶしぶあいた手をつかんで、手伝ってやる。
ぎこちない笑みを浮かべたアリスが、たち上がろうとした、そのとき。
――フヒトの視界は、とつぜんの真白い輝きに奪われた。




