[2] 拾いモノ=少年アリス
人目につきづらい裏路地を選んで、商業区を抜けたフヒトは、逡巡のすえに進路を北に変えた。まっすぐ学園の敷地内へ向かうためである。
学都DiCeは、通常おおまかに四つに区分けされている。南方中央部に広がる居住区。それを取りまくようにして、東に商業区、西に工業区。そして北半分をしめる、事実上の心臓部――『学園』。
リヴはいつも、学園の裏手、学都の最北部に位置する森の奥にいる。目的地は、いまは、その森のすぐ手前。
あの『来訪者』につかまらなければ、余裕を持ってたどりつけていたはずなのに、とフヒトは唇をかみしめ――そして、足をとめた。
「ああ、もう! しつこいなあ」
ごうを煮やして振りかえった先には、ゼェゼェと荒い息をついて崩れおちる少年。商業区のはずれからずっと、しぶとくつきまとってきたその執念に、フヒトは嘆息した。
冗談じゃない。時間に余裕さえあれば、入りくんだ路地の多い工業区をまわって振りきってしまおうと思っていたのに。
泣く泣く待ちあわせを放棄し、苦々しい思いで少年を見おろすフヒトに、繊細な美貌の小動物はニイッと笑ってみせた。――色々だいなしだ。
「あんた、細っこいくせに体力あるんだな」
「きみが軟弱。諦めてどっかいって」
「なあ、その髪触っていい? サラっサラだし。緑とか、俺、はじめて見た! すげー綺麗」
「……聞いてる?」
[史記]のならわしとして、首のうしろで二房に分けて肩にかけた、緑青色の長い襟足。腰のうしろでまとめられたそれをすくいとろうと、伸びてきた細腕を、フヒトは容赦なく叩きおとした。
「いい? 僕は忙しい。きみに構ってるひまはない」
「そんな」
「僕である必要もないだろう。ここまでついてくるくらいなら、いくらでも助けを求める相手がいたと思うけど」
目の前の未知の生物が簡単に引きさがるとも思えないが、フヒトとて譲れない。さらに言いつのろうと、正面から少年の眼をとらえて口をひらき、……そのまま閉口した。
「――嫌だ」
短く答える少年の、まっすぐな輝きを持った瞳が揺れる。泣きそうにゆがんだ顔のなかで、一心にフヒトをみつめる両眼には、しかし迷いの影はまるで見えない。
「きみ、本当になんなの」
全幅の信頼、という言葉が、フヒトの脳裏をかすめる。まさか。たった一度見かけただけの相手に、そんなものを寄せるなんて、どうかしてる。
(ましてや僕に、それを向けるなんて)
いきすぎた純粋無垢。得体の知れない『来訪者』に、筆舌しがたい焦燥にかられたフヒトは、ほとんど無意識に【参照】をおこなっていた。
己に蓄積された『記録』のうち、直前の、『壁』に関するものをひもとく。見つからない。ならば、金髪の少年をキーにして、もう一度。――みつけた。
……落下、落下、落下……白ウサギを追いかけた……『アリス』?
「『落ちてきた、アリス』?」
「アリスじゃない、有栖だ! 有栖來兎!」
ありす、とおぼつかない発音で反復したフヒトは、ふと我にかえる。――やってしまった。【自己参照】は滅多なことではおこなうなと、リヴさまにも念を押されていたのに。
「あ……。ごめん」
あわてたフヒトが頭をさげると、『来訪者』は落ちつかない様子で身をすくませた。
考えが言葉や行動に直結するタイプなのだろう。『拾ってくれ』等のとっぴな発言もすべて、思ったことをそのまま発した結果と考えれば、ギリギリほほえましく感じられなくもない。
そう、言いわけじみたことを考えながら、フヒトの心は決まっていた。
「べ、べつに謝らなくても」
「アリス」
「だから俺は有――」
「一緒にくる?」
問いながらフヒトは、いまだに地に座りこんだままの少年、アリスの前に右手を差しだした。
待ちあわせ時間にはずいぶん遅れてしまったが、生真面目な[調停者]が己を待たないはずがないことを、フヒトは知っていた。
なにはともあれ、リヴの判断をあおぐべきだろう。
あまりにも邪気のない瞳に、ともされたかもしれない。苦笑を浮かべたフヒトは、おそるおそる伸ばされたアリスの柔らかい手をつかむと、華奢な身体を引きおこした。




