[3] 亜麻色の少女
監査棟の自室を離れ、フヒトは学園の正門方向へ向けて歩きだした。
向かう先は、すでに特定してある。本棟前の中庭だ。
「フヒト、なんでどこにいるのかわかるんだよ?」
「ああ、うん。……まあ」
リヴに知られれば良い顔はされないだろうが、使えるものは使ってしまうのが、さがというものだ。
開きなおったフヒトは、個人に関する『記録』以外は、度々【参照】をおこなっている。
アリスの疑問をあいまいに濁しながら、フヒトはひっそりと息を吐きだした。
「そろそろ着くよ、アリス。僕が言ったこと覚えてる?」
「わかってるよ……話さなきゃいいんだろ」
「ならいいけど」
いぶかしげに、隣を歩く少年を見やるフヒトに、アリスが応じる声は小さい。
本当にわかっているのだろうか、と疑わずにはいられないフヒトは、なんども念を押す。
「まちがっても、口ひらかないでよ?」
「ああもう、わかってるって!」
むきになったアリスの声が、中庭に響く。その直後、くすくすと軽い笑い声が届いた。
足音のする方へ視線を投げたフヒトは、正門のわきに、覚えのある姿をみつける。
「ずいぶんと、さわがしいのがいるね。どこの迷い子かな」
足首までおおう濃紫の衣を引きずるようにして、小柄な少女が歩みよってきた。
エマの擬態した姿よりも、さらに幼い、あどけない顔立ちが目をひく。
きょとん、と丸められた亜麻色の瞳は、さっぱりした同色の髪に縁取られ、理知的な輝きを見せている。
「ひさしいね、メイ」
「メイ? それはワタシの名かい?」
「……そうか。ユ=イヲンは名までコワしたんだね。そうだよ、きみの名だったものだ」
フヒトの言葉に、少女はすこし考えるそぶりを見せるも、やはり記憶にないのか、ゆるゆると頭を振った。
「わからないよ。そうかもしれないし、ちがうかもしれない。でも、ワタシには『名』があるのだね」
「今代のなかで、影を招くことができるのは、きみだけだ。気に入らないのなら、また別のを名乗ればいい」
ぱちぱち、と穏やかな色合いの瞳をまたたかせてから、少女はふわり、と微笑んだ。
「いいや、そのままでいい」
目尻と眉尻を下げて、すこし困ったように崩れた表情は、幼い容姿ながら、どこか一回り大人びたものを感じさせる。
隣で顔を赤らめたアリスを、冷めた眼でちらりと一瞥して、フヒトはメイとの距離を詰めた。
生まれた――あるいは生まれなおした――ばかりの身体は、小柄なフヒトの胸あたりまでしかこないほど、小さい。
フヒトは、すこし腰を折って目線を合わせながら、右手を差しだす。
「そう。――よく戻ったね、[長庚]。僕はフヒト。きみを歓迎するよ」
「史……ああ、『書』だね」
納得したようにひとつうなずいたメイは、フヒトの手のひらに、小さな手を重ねる。
「教えてくれる? 時の管理者。ワタシはどれだけ離れていたのかな」
「十年とすこし。それだけのあいだ、学都には影がこなかった」
小首をかしげたメイの問いに、フヒトは端的に答える。
同時に、『時の管理者』とはまた、ずいぶんと凝った言いまわしをしたものだと、内心驚嘆していた。
(まあ、たしかに、一年を区切るのは[史記]だけど)
フヒトの困惑にも気付かず、口もとにこぶしをあてながら、メイはフヒトに言われた内容をじっくり咀嚼している。
……しかしその間、来訪者が黙っているはずもなかった。
「十年!? 嘘だろ、だってさっき、ユ=イヲンがコワしたって――」
「アリス」
屈めていた身体を起こし、ななめ後ろにひかえる少年を、フヒトは半眼でみつめる。
ばつが悪そうに苦笑を浮かべたアリスは、降参、というように両手を胸の前に掲げ、目一杯視線をそらした。
「ご、ごめん、フヒト」
「いい加減縫いとめようか?」
「なにを!?」
焦るアリスに、冗談だよ、と答えながら、フヒトは、この小動物を完全に無力化する方法を真剣に考えだしていた。
(『来訪者』。でもアリスは学都に適応したモノ。縫われたという感覚さえ思いおこさせれば、あるいは――?)
そこまで思考をめぐらせたところで、フヒトは、くい、くい、と低い位置で袖をつかむ小さな手に気づいた。
はっと視線を前に戻せば、メイがこちらを見上げている。
「フヒト。その迷い子はどこからきた?」




