[1] 『闇呼び』の誕生(1)
『学園』の北部、校舎の陰となった奥まった立地の監査棟。その一室で、フヒトはじっと窓の外をみつめていた。
「『闇呼び』が戻った……」
広がる、灯りのない空。先代が消えてから、長らく空位だった[長庚]が生まれたことを知る。学都に、ひさしぶりの暗闇が訪れていた。
[焔灯]とのバランスはどうなるのだろうか、と思いめぐらせながら、フヒトは窓枠に頭をあずける。
(もう、つかれた)
なにも変わらないくりかえしの日々。機械的に過ごす日常に、飽き飽きしていなかったかといえば、嘘になる。
それでも、フヒトは変化を望んでいたわけではない。
特異職の一、今代唯一の[史記]として、そうあるべきと定められたままに生きた。記録者たることこそが、フヒトを構成する柱だった。
――しかし、今は。
フヒトが、本日何度めかわからない吐息をこぼしたとき、ばたばたとせわしない足音が廊下に反響する。
壁一枚はさんでなお衰えない想像しさに頭をかかえながら、フヒトは窓辺から離れ、後方へ視線を流す。
その先で、古びた木製の扉が、痛々しい音をたてて押しひらかれた。
「フヒト! 外! どうなってんだよあれ! いきなり暗く――」
「うるさい」
駆けこんだ勢いを殺さず、まっすぐ飛んできた金色の猫っ毛をわしづかんだフヒトは、はた迷惑な小動物をすぐわきの長椅子めがけて乱雑にほうった。
「いった! なにすんだよ、フヒト」
「『痛い』と思うから痛いんだよ。わかってる?」
淡々とした口調で言いはなつフヒトに、そういう問題じゃ……とごねるアリスは不満気だ。ぶすくれた少年をさらりと無視したフヒトは、無言で窓に向きなおると、手早くカーテンを引いた。
「あ!」
思わず、といったように声をあげたアリスを、フヒトはいたって冷静に見下ろす。
「別に、めずらしいことじゃないよ。本来の在り方に戻っただけ。じきに明るくなる」
「なんだよそれ」
「[焔灯]がいるからね」
「はあ?」
ぽかん、と口を開けたアリスに、詳しい説明をする気力が萎えたフヒトは、別の一脚を引きよせて腰を下ろす。
「特異職の一つ。[焔灯]は、熱と灯りの管理者。『闇呼び』の[長庚]が戻ったから影がきた。だけど、まだ不安定だからつづかない。……もともと、[焔灯]の権限のが優先されるし」
つらつらと言葉を並べたてながら、先代の[長庚]が消えた、いや、【破戒】されたのは、どれほど前のことだったかと、フヒトは首をひねる。
【参照】してしまえば早い。
けれど、そこまでの労力をかける気にもならず――ましてやこの場にいる『読み手』はアリスだけだ――早々にあきらめたフヒトは、まぶたをおろして背もたれに身体を投げた。
(イカれ猫の考えなんて、わかるものか)
[長庚]はユ=イヲンの逆鱗にふれて消された。例のごとく、うまく【参照】できない記録であるため、詳細はさだかでない。しかし、事実だ。
だんまりを決めこんだフヒトにいらだったアリスは、長椅子から身をおこすと、フヒトの目の前で、バチン、と両手を鳴らした。
「……なに」
数秒おいて、しぶしぶ目をひらいたフヒトが、アリスを見上げる。
「戻ったってなんだよ。そんな説明でわかるわけないだろ」
「わからなくていい」
「俺はよくない!」
すかさず叫んだアリスに、ひくり、とほほを引きつらせたフヒトは、盛大に息を吐きだして気持ちを落ちつかせる。
現実逃避から抜けだそうともアリスはやはりアリスで、開きなおったその行動力に振りまわされ、フヒトは辟易しはじめていた。




