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言葉の庭のAlife ―『生きた歴史書』と理外の少年アリス―  作者: 本宮愁
第二話*観測者と三位
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[10] 観測者の常識、来訪者の非常識(1)

 どう答えたものか、フヒトは、しばし迷った。


 やがて、一言、静かに声を落とす。

 ……それがアリスの望む答えではないことは、わかっていた。



「……『壁』、だよ」

「壁? そうじゃなくて、俺がききたいのは――」



 なおも詰めよるアリスをさえぎり、フヒトは告げる。



「壁の外なんて存在しない」

「……は?」

「覚えておいたほうがいい。――それが、学都での共通認識なんだ」



 フヒトは、アリスが帰還を望んでいることを、はからずも知っている。


 『外』が存在しないという事実が、アリスにとってある程度の重みを持つだろうことは、簡単に予測できた。


 気まずさに視線をそらしたフヒトの両腕を、強く掴んだアリスは、すがりつくようにして、問う。



「でも、外は……あるんだろ? だって、俺は」



 アリスの声が、腕が、震える。それに気づかないふりをして、フヒトは応じる。



「アリス。きみは、なにを根拠にそれを唱えるの?」

「根、拠って、――そんなの!」



 グッと力のこもったアリスの両腕を一瞥したフヒトは、短く嘆息するなり、視線を持ちあげて、真正面から来訪者の黒い瞳をとらえた。



「あたりまえ、だから?」



 フヒトの耳には、アリスが息をのむ音が、たしかに聞こえた。



「ねえ、アリス。閉ざされた空間の外にはナニカがあるの? 必ず? ……本当に?」



 アリスの瞳のなかに映る像が、揺れる。



「ここはきみのいたバショじゃない。きみの常識は、学都のそれと必ずしも一致しない。もう、わかってるよね」



 ――それともまだ、認めないの?


 感情のこもらないフヒトの声が、容赦なくアリスを追いつめる。


 アリスの反応を観察しながら、フヒトは気づいていた。己の言葉を、おそらく、来訪者が正確に理解していることに。



(――そう。この子は、ただの馬鹿なんじゃない。現実を認めずに、投げた)



 力の抜けたアリスの両腕を、フヒトは振りはらう。


 わからせなければならない、と思う。いま、フヒトが突きはなさなければ。この少年は、いつまでも仮面に甘えつづけるだろう。



「だっ、て……そんな」

「いつまでなにもわからない子供でいるつもり?」



 似合わないことをしている、とフヒトは心中で自嘲する。一体いつから、こんなお節介な人間になったのだろう。


 アリスは、くちびるを強く噛みしめて、うつむく。


 それをフヒトは許さない。両手を金色の猫っ毛に差しいれ、ほとんど同じ高さの頭を、自分に向けてしっかりと固定する。


 抵抗は、ほとんどなかった。



「アリス。僕はきみを助けない。自分で立って、認めて、選んで。この世界はきみを必要としていない。あり方を見つけなければ、淘汰されるだけ」



 それが、学都の、『言名』に縛られた地の、理だ。フヒトにとっての常識であり、アリスにとっての非常識。



「きみがここに在ることは、とんでもない異常なんだ。理は必ず異物を排除する」



 表情の消えたアリスの顔のなかで、瞳だけが大きく見開かれている。感情を削げおとした、光のない黒珠。なにを感じているのか、わからない。


 やや時間をおいて、アリスのくちびるが、薄くひらく。



「俺、……消えたく、ない」



 どうすればいい、と消えいりそうな声でつぶやいたアリスの頭部を、フヒトは開放した。視線は外さないまま、答える。



「存在を許されているのなら、きみのあり方が認められているということ。それを見つけて、受けいれなきゃ」



 そう、しなければ。


 フヒトの脳裏に、漆黒の布で右眼をおおった、人形じみた獰猛な猫の姿が浮かぶ。気まぐれで残酷な、学都の『例外』。



「ユ=イヲンに、コワされるよ」



 あの、少年のようなかすれた笑い声が、フヒトの耳奥で延々と反響しつづけているようだった。

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