[6] 『来訪者』の有り様(2)
「フヒ、ト……? え、なに、言って」
「言葉のままだよ。アリス。きみは存在するはずがない。きみの存在は――異質だ」
フヒトにとっては、当たり前の真実を語っているにすぎなかった。リヴも、エマも、ヒジリでさえ、その程度のことは知っている。
だからこそのイレギュラー。『言名』によって、明瞭な封建制が敷かれるこの地で、それがどれだけ特殊なことなのか。
アリスだけが、わかっていない。
(三位が集うほどのことなんて、まず、ない)
信じたくない、といまにも叫びだしそうなアリスは、しかしパクパクと口を開け閉めするだけで声にならないようだった。
その様子を見かねて、リヴが助け舟を出す。
「前例がないわけではないだろう。非常に稀なケースではあるがな」
フヒトがあえて伝えなかった事実を補足しながら、黄金色の瞳が伏せられる。
あくまでも気休めに過ぎないことは、彼自身も承知しているのだ。それでも、困惑するアリスを、わずかに落ちつかせる効果はあった。
もとより、それが目的だろうと、フヒトは推察した。
「座れ、アリス。話はまだ途中だ」
ヒジリにうながされ、アリスは崩れおちるように椅子に身をあずけた。それを横目で見守りながら、フヒトは冷めきった紅茶を口に運ぶ。
嗜好品としての意味しかもたない飲食を、フヒトはもともと好いていない。のどを滑りおちていく液体の感触を、どうにか無表情のままやりすごす。
ていねいな仕草でカップをソーサーに戻すと、フヒトはいま一度口をひらいた。
「確かに……前例は、あります」
アリスの肩が、びくりと跳ねあがる。右隣から、すがるようなまなざしを感じながら、フヒトは語りはじめる。
「さきほど申しあげたように、直近の例では約八十年前。学都にあらわれた、僕らのような存在とは異なるモノは、『来訪者』と呼ばれました」
「なにが違う?」
面白そうに目を細めるヒジリに、わかっているくせに、と、フヒトは憎々しい視線を送った。
「――三年。それだけの時をかけて、『来訪者』は一応のカタチを得ました。存在を安定させた、と言いかえてもいいでしょう」
「己の在り方を見いだした、と?」
「そうです。ゆえに定着度が低いながらも、彼は市井の民となれた。来訪者が、『来訪者』であった時期はとにかく不安定で、たかだか数年。健在であった[叡魔]に面識がないのは、当然のことかと」
「ふむ。大方その時期、妾も多忙であったのであろう」
フヒトの語った内容に、三位はそれぞれに納得した様子を見せていた。
「テイチャクド? 三年かかったとか、安定させるとか、なんだよそれ」
ことの重要さがわかっているのかいないのか、すねたようにアリスが口を挟む。
いさめようとしたフヒトは、ふと少年の腕が小刻みに震えていることに気がついて、一度言葉を飲みこんだ。
「アリス?」
「だって、意味わかんねーよ! なんで……なんでそんな、まるで俺がオカシイみたいな、そんな」
じわりと、アリスの目もとに浮かぶ涙を見て、ようやくフヒトは、残酷な理解をしいているらしいことに気がついた。
乱雑に目をぬぐい、はがれ落ちていく虚勢を必死に保とうとするアリス。一体なにが華奢な少年を追いつめたのか、フヒトには理解ができない。
[史記]であるフヒトにとっては、求められた真実を正確に差しだすことがすべてである。それになにを感じとるかは、まるで管轄外とも言える。
――いままでだって、そんなものを気にしたことなどないはずだった。
「有栖來兎」
二の句を告げなくなってしまったフヒトに変わって、リヴが口をひらく。一段落ちついた、低く硬質な声色に、室内の空気までもがつられて固まった。
「お前を仮に来訪者と呼ぶのなら、それは俺たちとは異なる存在だ。わかるな? 土地がたがえば理も変わる。学都においての『理』は、非常に強い拘束力を持つ。――適応できねば、存在さえもが許されぬ、ということだ」
強い威圧をまとう、逃げをゆるさぬ黄金色の瞳が、アリスをまっすぐに射ぬいた。
[調停者]だけではない。フヒトの正面でほほ笑む[叡魔]も、右手でくつろぐ[勇聖]も、皆、仮称『来訪者』の出方をうかがっている。
揉める様子を見せないどころか、迷いのない彼らの姿に、フヒトは直感した。
(処遇は、もう、決まっていた――?)
そして、いまこの場の他愛ないやりとりを通して、最終決議がなされていたのだ、と。




