[4] 最堅の盾と狂戦士
一片の反省も見せないヒジリに、あきれたまなざしを投げながら、リヴは彼を解放した。
そのまま、[調停者]が後ろ手に扉を閉めると、ほどなく乱れた場にわずかな秩序が取りもどされる。
「遅くなったが、全員そろったな。――ああ、そのままでかまわない」
あわてて席を立とうとしたフヒトは、リヴに押しとどめられ、ふたたび腰を下ろした。
ふたりがけの長椅子には、すでにもうひとり。一連の騒動にポカンとあごを落とした、アリスが座っている。
その隣を通りすぎたリヴは、律儀に命に従って動きを止めている[干戈]の手から、無造作に短刀を奪いとった。
「お前はそういうモノだがな、[勇聖]に忠義を持つモノでもなかろう。あれの悪ふざけにいちいちつきあう必要はない」
「……私は」
「いいな? [干戈]」
ひときわ強く輝いた黄金色の瞳に気圧され、[干戈]はゆっくりと構えを解く。
口を閉ざしたまま、こっくりとうなずいた少女は、大人しくヒジリのもとへと下がっていった。
――[干戈]。
戦のために存在する武人、と言えば聞こえはいいが、その実態は争いに魅入られた狂戦士である。
珍しくヒジリには懐いているようだが、本来の性質はすべての関心を戦いのみに向ける、無垢で残酷な殺戮者。
あまり印象に残らない、凡庸な容姿の少女だが、身のうちには狂気を抱えている。
[史記]という性質上、フヒトは、それを誰よりもよく知っている。
「エマ。[守牙]を下げろ」
リヴは、泰然とした態度を崩さない[叡魔]の紅赤の瞳を見下ろして告げた。
やれやれ、とでも言いたげな表情を見せたエマは、しかし左手を持ちあげてヒラヒラと揺らす。
「もどれ、[守牙]。妾に危害はおよばぬ」
軽く一礼して、一言も話さぬまま壁際に下がる[守牙]の背中を、フヒトは思わずまじまじと観察してしまった。
『最堅の盾』とも呼ばれる[守牙]は、その身果てる瞬間までただ一人に仕え、守護するモノだ。当代の主は、[叡魔]。
会話もなく、ただ側にひかえ、害なすものから身をていして護り続ける。その在り方は、まさに生きた盾。意思を持つ、とさえ言い難い。
(そして、【権限】を、持たない存在)
[守牙]も[干戈]も、共通して個体としての名を持たない。
そもそも自我というものが薄く、最低限以外の他者との交わりを持たないため、必要がないとも言える。
ユ=イヲンは、フヒトたちの存在を『権限の行使だけを認められている』のだと言った。
学都DiCeにおいてヒトを形作るのは、『言名』だ。言名に縛られているというより、言名そのものがヒトなのだ。
同種はあれど、同一は存在しない。言名だけが、他者と己を別つ。
――少なくともいままで、フヒトは、そう思っていた。
「フヒト? 気分悪いのか?」
「うわ!」
突然視界を埋めたアリスの黒い瞳に、フヒトは、飛びあがりそうになる身体をあわてて押さえた。
ぱちぱち、と瞬きをする大きな丸い瞳が、不思議そうにこちらを見つめている。
「大丈夫、……ちょっと考えてただけ」
まさか、アリスに気をつかわれるとは思わなかった。
いまは思考に沈むときではない、と己を叱咤したフヒトは、居ずまいを正して正面を見すえた。
いつのまにやら、エマの右隣にすえられた椅子に腰を落ちつかせたリヴが、こちらをうかがっている。
「では、話をはじめよう。ヒジリ、お前も席につけ」
「ああ、はいはい」
[調停者]の言葉に、渋々歩みよったヒジリは、可能な限りエマから距離をとった席――必然的にリヴとアリスの間となる――を選び腰をおろした。
席につくなり、尊大な態度で足を組んだヒジリの斜め後方には、眼に一切の感情をのせない[干戈]がひかえる。
「坊主。お前が来訪者で間違いないな?」
まっすぐ、アリスを射ぬかんばかりに見すえたヒジリのまなざしからは、先ほどまでの揶揄の色が消えていた。




