言葉の庭のAlife(4)
「そうして、星を堕とすことに決めた」
たぶんリヴは、俺が[史記]の代替わりに乗じて『記録』を破り捨てたことも、あたらしい[史記]から拝借した【権限】でそれを繕ったことも、気づいていたのだろう。
以来ずいぶん警戒されてしまって、彼は『フヒト』を手元に囲うようになっていた。もともと目の届くところに置いていたものを、『監査役』などという廃れた役職を与えてまで、俺から引き離したのだ。
しかたない、『記録』の書き換えには、右眼を使わざるをえなかったから。
口約束を反故にしたのは俺だから、しっぺ返しは覚悟していたのに、リヴはなにも言わなかった。だから俺も、黒布を捨てられないままだった。彼を縛りつづけたいわけじゃない。……だけど彼に与えられた鎖は、俺にとって、断ち切りがたいほどに甘美なものだった。
「彼は、……愚かなんだよ。俺とおなじくらいね。それでいいと思っていた。愚かなままでいてほしかった。それが彼の救いでもあると知っていたから」
リヴはいまだに【宣言】をしない。自分のためなのか俺のためなのかわからない。ただ、愚かしいと思った。俺が勝手にやった気まぐれに、借りを感じる必要なんてないのに。
――ユイ。お前は、この期におよんで『外』に干渉できるのか。
――……つながりが、あるからね。
リヴ。きみに伝えていないことがたくさんある。俺は[寒月]の生んだ子なんだ。
ねぇリヴ、きみに伝えられないことがたくさんある。俺はね、きみの一番の望みだけは叶えてあげられないけれど、そのかわり、きみのためならなんだってできるんだよ。
「こうなった以上、もう俺が『外』を知ることはないんだろうね」
あの『主』は、いまの俺たちを、どう見ているのだろう。滑稽な喜劇だと笑っているだろうか。すこしずつ狂いはじめた箱庭の遊戯を、どんなまなざしで、見つめているのだろう。
まだこのセカイは、俺たちは、『主』の手のひらの上だろうか。
あるいは、もうすでに――。
「……いいや、なんでもないよ。この世界はお気にめしたかい?」
金糸の髪に、漆黒の瞳。否が応でも、かの人を思いださせる、華やかな容姿。華奢な体格は、むしろ、あのころの自分自身を見るようだ。
「ああ、気に入っていただけなかったようだ。残念だなあ。ふふ、じゃあいっそ、作り変えようか?」
俺にはできる。それだけの【権限】を与えられている。セカイからと、フェンからと、半々に。ただ、理由だけを与えてくれなかった。だれも。俺に、存在理由だけはくれなかった。――リヴ以外には。
「冗談だよ。でも、そうだな……きみが望むなら」
きみの欲は、俺の欲なんでしょう。
俺にはわかるよ。きみにわからなくても、俺には、わかっていた。このつながりが、なにに由来するものなのか。
だからこそ。
「そうだね……このセカイは大概クレイジーだ」
彼のためにきみがじゃまだった。
彼を追いつめるきみがうとましかった。
そのくせ、俺にできないことを、軽々とやってのけるきみが……妬ましくてたまらない。
「俺は、きみが嫌いだよ。――アリス」
だれよりも憎くて、だれよりも愛しい。
「おかえり。俺の欲望」
焦がれつづけた兄と瓜二つの容姿をした少年に、ほほ笑みかける。
――人工生命にすぎぬ己が、抱いた心。
とりあげられた欲のかたまりは、もはや己のものではない。
リヴの犯したあやまちが生んだ、ちいさな罪深い生命体に。
これからを生む変化を望み、託そうか。
ゆらせ、ちいさな箱庭を。
澄んだ水を穢して、攪拌し、ときに零しながら。
望みつづける。
狂ったセカイの片隅で、もっとイカれてしまえと煽る。
俺が俺でなくなるときまで、俺は俺でありつづける。
「思ったより早かったな。もっと沈んでいるものかと思っていたのに」
本当の願いは、決して叶わない。
俺たちの願いは、背反する。次点を選びつづけ、苦しみながら寄り添いつづけるしかない。
伝えられない心を抱いて。
それでも、いつか。
ともにあることを、喜びにできたなら。
なにか、変わるだろうか。
「やあ、リヴ。どうしたの?」
――ちいさな[観測者]が、生まれたように。
言葉の庭のAlife -Fin-




