[10] 目覚め
「――ト、フヒト!」
かん高い声が、くりかえし響く。強引に揺さぶられる感覚が、わずらわしい。
いつになく長時間【参照領域】に留められた結果、精神をすり減らした疲労感が、フヒトの目ざめを妨げていた。
まぶたが、重い。
戻りきらない肉体感覚をたぐり寄せるようにして視界を開くと、案の定。そこには、金色の猫っ毛に木もれ日を反射させた少年がいた。
「アリス……?」
光に慣れない視覚を無理に使って、フヒトは状況把握につとめる。
場所は、変わらず監査棟の裏だろうか。目の前のアリスは起きていて、ユ=イヲンの気配はない。
やつに引きずりこまれたときにでも倒れたのだろう。アリスの肩ごしには、こずえが見える。さいわい草が多少のクッションになったらしく、身体に痛みはない。
(――リヴさまは?)
「うわ!?」
ばっと勢いよく上半身をおこしたフヒトに、アリスが慌ててのけぞった。
「い、ない……?」
その場にいたはずの[調停者]の姿が見つからず、フヒトは困惑した。そもそも【参照】後、どれだけの時間が経過したのか。それさえ見当がつかない。
「アリス。誰か、ここにいなかった? リヴさま――ええっと、背が高くて、髪が青藍で」
「ああ! すっげえ仏頂面の人だろ?」
「ぶっ……」
たしかに、あまり笑う方ではないけれど。あまりにも率直な物言いに目をみはったフヒトを置いて、アリスは言葉をつぐ。
「金色の瞳って、すごいよなあ。フヒトの緑も驚いたけどさ」
にへら、とゆるく笑う少年に、フヒトはあきれまじりのため息をこぼした。
「きみ、本当に外から来たの……?」
「俺の生まれた場所じゃ、あんな鮮やかな金眼なんてありえない。髪が青いのも、緑なのも、わけわかんねーけど」
きょとん、とした表情で小首をかしげるアリスに、フヒトは頭痛をおぼえた。
過去、こちらに落ちてきた『来訪者』たちは、自らの常識が通用しない異空間に困惑し、焦燥をいだいた。
――そう、『記録』は告げている。
だというのに、この少年は、なんだ。学都の異端中の異端、ユ=イヲンを目のあたりにしてなおも、へらへらと笑う。
『アレは災厄をもたらす』――[破戒者]は、そう告げたのではなかったか。
もっとも、気狂いじみた馬鹿猫の言うことなど、素直にのみこめるはずもない。無表情のまま、まゆを寄せたフヒトの前に、ふと影が落ちた。
「学都では、『言名』がすべてを決める。生まれ持つ言葉こそが至上の理だ。『色』もまたその一端――フヒトの色は、[史記]特有のものだったな」
若く張りのある声にはいささか不釣りあいな、厳格な口調。反射的に視線をあげたさきで、黄金色の双眸が、穏やかな輝きをまとう。
「リヴさま」
「無事にもどったようで、なによりだ」
ふっ、と相好を崩した青年、リ=ヴェーダは、かたわらにたたずむ少年、アリスへとまなざしを流した。
華奢で小柄なアリスと並ぶと、上背のあるリヴは、まるで保護者だ。
それが体格差によるものなのか、はたまた生来の性質の違いによるものなのかは、定かでないけれど。
「アリス。お前はもう平気なようだな」
「だから俺、なんともないって言ってんのに」
子供のようにムキになるアリスに、リヴは苦笑した。
ユ=イヲンと対峙していた間の沈黙はやはり、アリス本人の意図するところではなかったのであろう。
「大方、ユイにあてられたな。意図的としか思えんが……あれなりの『歓迎』ではないのか」
リヴの言葉を、存在として不安定な『来訪者』をかき乱して遊んでいた、という意味にフヒトは解釈した。……おおいにあり得る。
「歓迎だって? ユイって、あのわけわかんねー奴だろ」
「――アリス。そのお方を、誰と心得る」
無表情のなかに、剣呑な空気をにおせて、フヒトはうなった。
「三位の一、[調停者]リ=ヴェーダさま。学都における最高権力者だよ」
「だ、けど、俺……そんなの」
「アリス」
言外に糾弾するフヒトの迫力に、反論を封じられたアリスは、居心地悪そうに眼を泳がせた。
彼が、本当に異世界からの訪問者であるのならば、多少の無礼には目をつぶるべきなのだろう。
しかしフヒトには、礼節に欠けるアリスの態度を、野放しにすることがゆるせない。他の特異たちのふるまいが、そこに重なって見えて、しかたなかった。
「構わない」
「しかし」
「もとより、来訪者は学都においてイレギュラーな存在だ。その処遇については追って知らせることになるだろう。……ヒジリとエマにも伝えねばな」
[勇聖]と、[叡魔]。三位がつどうことを意味した発言に、フヒトは表情をかげらせた。
[調停者]は、『王』ではない。最終的な決議権を持つにしても、采配は二人の王がふるう。それが、理の定めた学都におけるパワーバランスだ。
「ショグウ?」
「きみは黙ってて」
状況がまるでわかっていないらしいアリスを、ぴしゃりとはねつけたフヒトは、釈然としない表情のまま、リヴに向きなおる。
「本当に、彼らを集めるのですか……」
「そういうな。フヒト、来訪者を連れてきてくれるか」
「わかり、ました」
気乗りしないながらも、断るという選択肢はフヒトにない。
先ほどの言葉通りに黙りこんでほほを膨らませている金髪の美少年を眺めて、フヒトは重苦しいため息を吐きだした。
第一話*観測者と来訪者 〈了〉




