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言葉の庭のAlife  作者: 本宮愁
第五話*観測者とハカイシャ
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[32] 観測者は改編を望む

 断罪者リヴを咎めるために、ここまで来たのではない。


 彼には、鎌を振り下ろさざるを得ない十分な理由がある。わかっている。ただ、はじめから断罪することを前提として罪人アリスを招いたこと――それを、アリス自身に隠しとおしたことに、フヒトは憤っている。


 どうすることもできないと知りながら。


 うつむいた視界に、ピクリとも動かない少年の横顔が映る。伝えたかった。それだけだった。だれよりも臆病で、孤独に弱い少年と別れる前に、――きみに手を差し伸べたことを後悔していない、と。


 認めて、やりたかった。



「アリスは、どうなるんですか……?」



 すべてが変わった。よい変化ばかりでは、決してなかった。


 フヒトひとりが認めても、現実はなにも変わらない。『アカリ』が消えた。致命傷とまではいかなくとも、[調停者]が動くには、十分に大きな損失だ。存在することで学都を乱す。存在することで学都を壊す。


 だから、リヴは、アリスの存在それ自体を否定した。『言名』さえもゆらがす強力な理をつむぐその【権限】で、アリスを断罪した。断罪せざるを、得なかった。



「消滅するよ。っていうと、ちょっとニュアンスがちがうかな。ソレが影響を及ぼしたものすべて、リセットされるんだ。もとに戻る」

「なかったことになるんですか? すべて? いまの僕も、僕らのすごした時間も?」

「フィーちゃん」



 聞き分けのない子どもをなだめるように、ユ=イヲンが苦笑する。



「わかっています。アリスの存在が、許容できるものではないことも、失われたモノをとり戻す術が、ほかにないことも。……だけど!」



 金色の猫っ毛に指をからませて、蒼白に色をなくした少年のほほをみつめる。かつて、ここには生き生きとした薔薇色がおどっていた。つぎからつぎへと表情を変え、さわがしくて、生命力にあふれた、色が。


 ぐったりとしたアリスの横顔は、まるで遊びつかれて眠る子どものようだった。無垢な信頼をたたえていた黒い瞳は、まぶたの奥に沈んだまま。


 ――この子に、なにをあげられるだろう。



「……許可を、ください。リヴさま。【改編】の許可を」



 リヴは答えない。代わりに口をはさんでくるのは、やはりユ=イヲンだ。



「なにが変わるわけでもないのに?」

「軌跡を遺したいだけです。アリスの存在した事実を、この世のどこにも遺せないというのなら、せめて、記録ぼくのなかにだけでも」

「それの存在は失われる。誰が求めることもなければ、記録の底、深く眠りつづけるだけだよ?」

「っそれでも遺したいんだ! お願いします。――【改編】を」



 リヴは、金色の瞳をまぶたの奥にひそめて、うなる。



「なぜ俺に許可を求める」

「あなたが認めてくださらなければ、意味がない」

「俺の不完全性を、お前は既に知ったのだろう」

「それでも、あなたが法だ!」



 つかの間訪れた沈黙が、痛いほどに突き刺さる。だれもが動きをなくした静寂の場で、漆黒の衣が、ばさりとはためいた。



「そう。……きみは、ようやく、役目を理解したんだね」



 少年のようなハスキーボイスが、凛と響く。


 空気が変わった。滞っていた時が、ゆったりと流れ出す。すべては錯覚にすぎないのに、まるで本当に流れ(・・)が変わったように――[破戒者]の言葉には、それだけの重みがあるのではと思わされて、フヒトは息をのんだ。



「俺からも頼むよ、リヴ。その子は、まちがったことは言っていない。己のあり方に従ったまでだ。俺たちの介入すべきことじゃない」



 ユ=イヲンのまなざしを、しっかりと受けとめて、リヴは、ため息を吐いた。



例外おまえに、俺に求める許可などないだろう」

「ふふ、そうだね。勝手にすることにしよう。――ありがとう、リヴ」

「なんの礼だ」



 しかたなさそうに、それでいて、どこかうれしそうに、リヴは生ぬるい吐息を漏らす。その横顔の、晴れやかなこと。



――あれの望みは、なにを差し置いても優先される。

――望んだのなら、最後まで望み通してみせろ。



「フヒト」



 気がつけば、透き通った闇色の左眼と、『壁』によく似た薄光を抱いた右眼――禍々しくも神々しいオッドアイが、フヒトを射抜いていた。



[破戒者](おれ)を妨げられるモノなんて、存在しないんだ」

「え……」

「俺が時間をあげる。ほんのすこしの間だけ、きみを『例外』として退避させてあげるよ。ただし、ほんの一瞬だ。できるかい?」



 フヒトが硬くうなずくと、ユ=イヲンは穏やかに笑った。彼女には似合わない、奇妙なほどにやさしげな顔で。



「きみはすべてを忘れるだろう。ほかの多くの民と同様に。けれどきみの奥底に、記録はたしかに眠る。きみが、きみの存在理由を追い求めるかぎり、いつか真実にいきつくかもしれない。――そのときを、楽しみに待っているよ。[観測者](フヒト)



 倒れ伏した少年の冷えた手に、そっと己の手指を添える。いつか手を差しのべた、あのときのように。


 アリス。


 きみに未来あしたをあげられるだけの権限ちからは、僕にはないけれど、きみの過去きのうを守ることならできる。


 このセカイのだれもがきみを理解できなくても、僕だけは、きみを認めることができる。


 ――それが、きみという存在のたった一部でも、かまわないんだ。



 アリス。


 有栖來兎。



 きみだけに与えられた『名』を、どうか僕に守らせてほしい。


 やわらかな手を、かたく握った瞬間。



[調停者](リ=ヴェーダ)の名に於いて【宣言】する――」



 朗々たる【宣言】が、響きわたった。

最終話*観測者とハカイシャ 〈了〉


エピローグにつづきます

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