[30] 首を刎ねよ、と叫ぶは誰そ
たどりついた断頭台の上。断罪の鎌は容赦なく、おびえつづけたその人の手によって、振り下ろされようとしていた。
「[調停者]の名に於いて、【宣言】する――」
リヴの声が、朗々と【宣言】を成していく。
長いあいだ待ち望みつづけていた瞬間なのに、フヒト自身も理解した決断なのに、――それでも。
「"アリスは落ちてこなかった"」
アリスの顔が、ぐしゃりとゆがんだ。
感情を置きわすれたかのように、ずっと、色をなくしたままなりゆきをながめていた瞳から、一雫の涙が流れでる。
そのとたんに、フヒトは、己を支えつづけてきた覚悟が、たやすく崩れ落ちていくのを感じた。
淡く掠れたアリスの身体が、こまかく震えて解けていくのを、だまって見ていることができない。逃避癖のある少年が、最後の最後にみせた素直な涙を、どうして無視することができるだろう。
頼れと言ったのは、フヒトなのだ。
あの子がすがることのできる相手は、他に存在しないのだ――。
「ッ……待、」
「――【破棄】する!」
たまらず踏みだしかけたフヒトの足を止めたのは、他でもないユ=イヲンの叫び声だった。
言葉の意味を理解する間もなく、消えかけていたアリスの身体がカタチをとりもどし、糸が切れたようにその場に倒れる。
「アリス……!」
こんどこそためらうことなく、フヒトは駆けた。
わき目もふらず、傍らをすり抜けていく背中を、リヴはなにも言わずに見送った。
「アリス! アリス、……っアリス! どうして」
元が床かも壁かもわからない石板にひざをついて、アリスに呼びかけつづける。触れてもいいのだろうか。簡単に壊れはしないだろうか。先ほどまで、彼はまちがいなく消えつつあったのに。――そも、いまここにいるのは、ほんとうに『アリス』か?
(だめだ……僕がうたがっちゃ、いけない)
浮かびかけた疑念を、むりやり払いすてて、ぐったりと倒れ伏す少年をみつめる。
「どうし、て……」
どうして? そんなの、フヒトが一番わかっているではないか。アリスという存在の不安定性も、受け入れるわけにはいかないリスクの高さも、身近で見続けてきた。わかっている。……わかって、いるならば、いまさらなにを問おうとしているのだろう。
フヒトは混乱していた。アリスは目を開かない。こんな状況は、歴代の[史記]の知識にもないにちがいない。なにが起こったのだ。回らない頭を無理に動かして、必死に答えを探る。あるかどうかすらもわかない答えを。
「……正しい判断だよ、リヴ。俺が肯定してあげる。きみは、まちがえていない」
虫を噛むような顔をしたユイが、一音一音しぼりだすように言った。
「きみがやらなくても、俺がやるつもりだった……きみがやる必要は、どこにも」
「並び立てと言ったのは、お前だろう」
「そのままでいいって、言ったんだよ……。きみはどうしようもなく愚かで、愚かなままでかまわなかったのに。だって、俺には、もうそれしか」
「ユイ」
静かな呼びかけを聞いて、ユ=イヲンは、おびえたように身をひいた。
「俺はお前にいままで、どれだけのものを背負わせてきたんだろうな。もういいんだ、ユイ。もういい。……終わりにしよう」
ユ=イヲンの顔から、サァッと色が引く。ただでさえ白い肌がより一層冷えこんで、まるで[寒月]や[幽鬼]のようだ。
なぜ? ユ=イヲンは、アリスを敵視しているのではなかったのか。なぜ、ユ=イヲンは、アリスをかばい、そして己の手でコワそうとする?
フヒトにはわからなかった。
彼らのあいだにある、不自然にゆがんだ友情とも執着ともとれる絆が、なにに起因するものなのか。
「ユイ。俺は、お前を変えない。この先なにがあろうと、お前の最大の願いだけは、叶えてやらない」
わからなかった。
「俺たちは、あの日のまま止まっていた。いまでも、止まりつづけている。望んだのなら、最後まで望みとおしてみせろ。俺は、妨げない。ただ、[破戒者]としての有り様を肯定してやろう。お前は、まちがえていない、――と」
ゆえに、願った。
――知りたい。
なにもわからぬまま友をうしないたくない、と。
強く、願った。
これまでにないほどに、強く。




