[26] "Off with his head!"(1)
ユ=イヲンを、はじめに「イカれている」と言いだしたのは、だれだったのだろう?
わけがわからない行動ばかりくりかえすイカれ猫だと、嫌そうにフヒトは語っていた。アリス自身もそう思った。
考えるだけ無駄だ。あれは、理解できるはずがないものだから――と。
いつしか、あたりまえのように飲み下していた事実が、急に疑わしく思えてくる。絶対なんて、存在するのだろうか。いまさらこのセカイに、絶対なんて。
「あんた……ほんとうは、なにがしたいんだ?」
ユイは、理解されようとしていないだけなんじゃないか。だれも理解しようとなんてしなかったんじゃないか。あるいは彼女自身が、理解されたくなどないと願ったんじゃないか――。
「ほんとうは、俺をどうしたかったんだ? なんのために」
たじろぐユイを、なかば睨むように見上げたアリスは、常にない焦燥を映した瞳に吸いこまれた。とたん、ぞくりと肌があわだつ。
否応なしに引き寄せられる。そうして、ギリギリのところで反発して、混じり合うことはないまま、また引き離されるような。味わったことのない感覚に、自分がいまどこにいるのか、どれだけの距離で向きあっているのか、わからなくなる。
それでも、アリスは、目を逸らそうとは思わなかった。
「俺が憎いなら【破戒】してしまえばいい。まどろっこしい真似なんかせずに、さっさと消してしまえばいい。中途半端に泳がせて、壊れかけで止めるくらいなら、はじめから俺を引き下ろしたりしなければよかったんだ。そうじゃなけりゃ、放っておけば勝手に――」
「できるものならそうしてる」
ユイは、色のちがう両眼をたぎらせて、鋭くアリスをにらみつけた。
――ああ、そうか。
「やっぱり、俺とおなじなんだな」
アリスは笑った。なんてことだろう。
俺は、いま、はじめて、混じり気のない俺として、ありのままの彼女に向き合っているのかもしれない。いつかのような嘲りは湧いてこない。それでも、カワイソウだと思う。たぶん、俺自身とおなじだけ。
散々わからないとわめいて、とうとう投げてすてた難問の答えが、まさか自分自身のなかにあるなんて!
「ユイ。やっぱり俺は、あんたを嫌いになれないよ。こんな出会い方じゃなかったら、たとえば俺が俺じゃなかったら、友達になれたかもしれないのに」
「うるさい――その姿で理想を騙るな!」
それは、ほとんど悲鳴のような叫びだった。
「俺は、きみとはちがう。きみが例外に届くことがないように、俺は決して、きみのようには望めない……!」
「ユイ、――」
「どこまでも人間的で、独善的で、目先の欲ばかりに囚われた愚者が。どうしてお前なんだ。どうしてお前はお前であることを許されたんだ。どうして!」
掠れた声を振り絞るようにして、ユ=イヲンは慟哭していた。ありったけの痛みを、憎悪を、その一声に込めて。
ノイズをまとった黒々とした境界線が、ほとばしる。まさに、ほとばしるというにふさわしく、でたらめな方向へ、ありとあらゆるものを切り裂いて、飛散していく。
あたかも、セカイそのものを打ち砕こうとするかのように。
「どうして、俺は俺でありつづけなければならないんだ――!」
「お前が望んだからだ」
割り入った一声を合図として、視界を覆うほど一面に広がっていたノイズが瞬く間に収束していく様子を、アリスはぼうぜんとみつめた。
踏みしめるように、一歩一歩。混沌のなかを颯爽と歩み、近づいてくる、その影を。
地紋の浮いた濃紺の衣を、いまだ暴れ狂う風に浮かせていたかと思えば、目配せひとつでそれを鎮める。
それは、いつでもない遠い記憶に残った、彼の人によく似た圧倒的な存在感だった。毅然とした立ち居振る舞いに、格のちがいを思いしらされる。
「ユイ。ユ=イヲン。理から外れた異端の子。お前が望み、選んだからだ。そうあることを」
そこにいたのは、哀れな迷い子に寛容な沙汰を下した慈悲深い青年などでは、決してなく。
裁きを下すために重い腰を上げた、厳格なる学都の主だった。ようやく孤高の高みに足をかけ、一切の私心を振るいすてたかのようにすべてを見下ろす――絶対者だった。




