[24] Forbidden fruit(1)
「ねえ、アリス。いいことを教えてあげる」
まるで、舌なめずりをする猫のように。
わずかに目を細めて、口もとには慈愛の微笑を形作りながら、ユ=イヲンは言う。
「きみに帰るべき世界なんて存在しない」
ゆったりと開かれた唇が、たっぷりと時間をかけて、甘やかにささやく。
「ここではないどこかに、きみの居場所なんて存在しない。きみという存在が許される場所なんてない」
甘い甘い声に彩られた言葉は、猛毒のように染み渡る。
「ちがう!」
アリスは吠えた。言葉未満の痛みを、そっくりそのまま音にしたような叫びを上げて、両耳を覆う。
「俺は、落ちてきたんだ、ずっと、ずっと、上から、落ちて、……あんたが! あんたが呼んだんだろう。戻せよ……! 俺を、帰せよ!」
「いいや。ちがうよ。俺はただ、きみを引きずり下ろしただけだ。呼び寄せてなんかいない」
ユ=イヲンは、落ち着きはらった声で、淡々とアリスから『真実』を取り上げていく。きみが抱きしめるべきはそんなものではない、と、冷酷に突きつける。
「きみは始めからここにいたんだ。わかるかい? アリス。きみは、そういうものなんだ。セカイはきみを受けいれたんじゃない。知っていたんだよ。きみという存在を、きみ自身よりもずっとね」
アリスは、かぶりを振って、毒を払い落としてしまおうとした。数少ない『真実』を、決して離すものかと握りしめながら、他はすべて『嘘』だと遮断する。
「あんたになにがわかるんだ!?」
「わかるよ。だって、きみは俺の対だもの」
ユ=イヲンは、一歩踏み出して、かたくなに耳を塞ごうとするアリスの両手を、そっと引き離した。わずかに浮いた隙間から、また、しとりしとりと毒を垂らしこむ。
「ねえハカイシャ。気分はどうだい? 仮初めのヒトの遊戯は楽しかったかい? そのすべてを、きみは【破壊】するのに」
アリスは、すぐにでも叫びだしてしまいそうな唇を噛みしめて、塞ぎきれない耳を震えた指先で支えながら、ただただ耐えていた。侵食する毒に、なにもかも狂い堕ちてしまいそうだ。
目の前が、ゆれる。ぐちゃぐちゃにかき乱された、どこでもあってどこでもないセカイのどこかが、滲んだ白に溶けていく。
そうして、すべてを拒絶するように、見開いた目にはなにも映さず、固まるアリスを、ユイは嗤う。掠れた笑い声が、高らかに響く。
「あ、はは! 皮肉だね。きみって存在は、ほんとうにカワイソウだ。受け入れられたら壊さなきゃならない。そこに意思なんて介在しない。なのに、きみは自我を与えられてしまった! ああ、もう、いっそ泣けてくるよ」
紫黒と白藍の二色の瞳が、鋭くアリスを射抜いた。この期におよんで逃避を許すユ=イヲンではない。神の瞳は容赦なく、決して肯定されることの叶わない『異物』の結晶を映し、爛々と輝いていた。
「ねえ、わかる? わかるだろう? ほんとうは、とっくに気づいてるんだろう? 可哀想な破壊者」
人形のような顔が、満面の笑みを形作り。
「――きみの存在が、すべてを壊すんだ」
そうして、知恵の果実は残酷に、楽園からの追放を告げた。




