第五談 『翡翠の死神』
僕は自宅に帰って夕食を食べた後、パソコンを立ち上げた。
起動音がして数秒後、可愛いらしいヒヨ子のデスクトップ画面が表示される。壁紙はよくある夕陽の海だったはずなのに。
……勝手に変えやがったな、あいつ。
ああ、もうこの際どうでもいい。とっとと調べるぞ。
「ていうかなんでこんな意味不明の急展開に発展すんだよ。確かに中学生の間で爆発的に噂が広まったのは怪しいけど……」
僕は静かにぶつくさ言いながら、変更されたデスクトップ画面をそのままに、『翡翠の死神』について検索を始めた。
だが、ものの数分で断念する。検索情報が少なすぎてヒットするものが多すぎた。
検索に引っかかるものの大半は『口裂け女』や『怪人赤マント』など全国各地に伝わる超メジャーなものばかり。この地方限定などのローカルなものはヒットしていない。いや、もしかするとヒットしてるかもしれないが、検索情報を逐一全部見ていく根性は僕にない。
なら、検索情報を狭めればいけるかも。
ヒット件数一。
少なっ! しかもこれ普通のブログじゃんか……。
僕はそのページを見ることはせず、検索ページトップに戻る。
「あ、そういえば!」
自分専用のブックマークに押し出されて気付かなかった。このパソコンにはもう一つブックマークがあるじゃないか。
僕は凉莉がブックマークに集めたサイトを広げる。
たまには役に立ってもらわなければ困るよ、ホント。さて、どのサイトを使おうか……、ん?
僕は都市伝説ブックマークの中に、『フラワームーンの伝説を追え。仁乃の都市伝説日記』と表記されたサイトを発見した。
これさっきヒットしたやつじゃん……。
たぶん意味はフラワームーン=花月。つまり、花月学園の都市伝説日記といったところか。
凉莉のブックマークに入っているのなら、と僕はそれをクリックし、ページを開く。表示されたページは、小銀河のように星が散りばめられた背景に、無数の羽が舞い踊っている。正直画面見づらいよ。
どうやらこのページは、中央に日記、端にサイトリンクやカテゴリ、キャラクターのバナーなど、自由にカスタマイズが可能なタイプだった。
ここで僕が注目したのはカテゴリ欄。そこには徒然日記と都市伝説日記と二項目が作られていた。僕は迷うことなく都市伝説日記をクリックする。
書かれていることを見る限りではこれは日記ではなく、都市伝説の紹介のようだ。
そして、中には『済』と赤い文字で、文面を塗りつぶしたものも存在した。
なんじゃこりゃ。都市伝説が本当かどうか、確かめでもしたのか?
僕は微かな疑問を浮かべながら、『翡翠の死神』の日記を探す。
「あった……」
二週間ほど前に更新された日記。
タイトルは、「ついに発覚、『翡翠の死神』の正体」と名付けられていた。
僕はそれをクリックし、日記のページを開く。
――しかし。
「なんじゃこりゃ」
ページが飛ぶなり、解読不能な文字や記号の羅列が表示される。下にスクロールさせていくも、そのページ全てにおいて文字化けしていた。何度もページを更新させるも結果は同じ。このページのみが読めなくなっている。
「んだよこれ! いじめか? いじめなのか!」
僕はやる気を削がれて、椅子の背もたれにだらしなくもたれ掛かる。
そもそも、どうして僕がこんなことしなきゃいけないんだよ……。っていうか、あの愚妹が危険に晒されるかも、って曖昧な噂から想像した瀬菜の妄言じゃんか。飛び降り事件が殺人事件って、報道じゃそんなこと言ってなかったつーの。思春期の学生なら死にたいって思うこと何回もあるだろうよ。それが実行出来るか出来ないかの違いだろ。突破的な自殺だってあるさ……。
心の中でぶつくさ文句を足れていると、
「にーいちゃーん、パソコン貸してー!」
と、凉莉が今日もうっとうしいほど元気に登場した。
ホント空気読めないな、この愚妹。
「あ、にいちゃんパソコン使ってんじゃん。どうせ思春期の行動そのまま忠実にエロエロサイトでも閲覧してるんでしょ? もー、たまには予想に反した行動くら取って――うわーーーーーー! おかーさーん! にいちゃんがエッチなサイト以外のページ見てるーーーーーーー!」
「どんなチクリ方だ! 普通逆だろうが! もう黙れよお前!」
僕は凉莉の背後へ回り込み、瞬時に見事なコブラツイストを決めてみせた。なんかテレビで見たやつとは違うような気がするけど、問題ない!
ここで母さんに見られたら「妹になにしてんの!」みたく怒鳴られるけど、読書にでも耽っているのか、部屋にやってくる気配はない。
よし、そろそろ決める。
僕はコブラツイストを解き、凉莉を床へうつ伏せに倒しこむ。
そのまま、背中にドスン。凉莉はぐぇ、っとカエルが潰れたような声を出した。
僕はトドメと言わんばかりに、倒れた妹の背中に座り込もうと、凉莉を跨いだ瞬間。
――メールが届いたよ!
パソコンから聞き慣れない音声がした。どこか甘ったるい、やけにキーの高い、いわゆ
る萌え声が。
――メールを開くよー。
と再度同じ音声が流れ、画面に『イエス/ノー』の選択コマンドが現れた。
僕はすかさずパソコンのマウスを握り、イエスの項目をクリックする。
画面はすぐにデスクトップからメール受信画面へと変わる。
送信者『雛上仁乃』。
本文はこう書かれていた。
『響き渡る鳥の声、穏やかな風の舞う都に私は住まいし者。半分に分れし世界を見届けるもの。赦されない世界が闇に覆われ、タナトスがヘベを手にかけた瞬間を私は凝視した。生きろ救世主よ。多くの犠牲を強いてもタナトスを滅し、世界を救え。音を読み、奏よ。そして私の世界に変革をもたらせ、私を作り変えろ。真実の姿でなく偽りの姿のままを』
なんじゃこりゃ……。わけわからん。
しかも、どんだけの人数に送信してんだよ。見切れてんぞ。
完全に表示されていないが、ざっと数えただけでも軽く僕のクラスにいる生徒数の半分くらいあった。
「お前の友達も電波なやつがいるんだな……」
「えぇ、そんな子いないと思うんだけど」
凉莉はむくりと起き上がって、僕の前に体を割り込ませてきた。パソコンの画面をまじまじと眺め、眉をひそめた。
「これ、本庄ちゃんのハンドルネームだ」
「……誰だって?」
「本庄ちゃん。クラスメイトの本庄真美。兄ちゃん覚えてないだろうけど、一回だけ家にも来たことあるよ。部屋に貼ってあるプリの子ね」
一回家に来たことが合って、プリクラが部屋に貼ってある子……。ああ、昼間中庭でぶつかった子か。こんな妙チクリンなメール送ってくる子には見えなかったけどな。
「ハンドルネームでメール送ってくるって初めてだよ。携帯に直接送ってくれればいいのに」
「こんだけ大量に一斉送信するんなら、パソコンのほうが便利だったんだろうな。チェーンメールっぽいし」
何人にこのメールを回せとは書いてなかったけど、たぶんチェーンメールの類いだろう。僕も携帯買買ったばっかりの時、届いて怖がってた記憶あるなぁ……。まぁ、今となっては嘘っぱちメールだって知ってるから怖くもなんともないけどね。
「あ、そうそう。お前さ、『翡翠の死神』っていう花月学園の都市伝説知ってるか? 詳細がこのページに載ってたっぽいんだけど、消されてんだよ」
僕は凉莉の頭に自分の頭を乗せながら質問。さっき見ていたページを再度画面に表示させた。開いた際にページを更新してみたが、相変わらず文字化けは変わらない。
凉莉は、どれどれ、と僕からマウスを奪い、文字を読みながら画面をスクロールさせていく。
「これってあれだね。飛び降り事件に関係してるって噂のやつでしょ。まさか兄ちゃんの口から女子中学生の間で流行ってる話題が飛び出してくるなんて、夢にも思わなかったよ。明日土砂降りにならなきゃいいなぁ」
「失礼な! たまには僕だって流行に乗るときだってあるっつーの」
兄に対して失礼な態度を取った罰として、顎で頭をゴリゴリしてやる。凉莉は軽く唸っていたが、僕もこいつの髪の毛が顎に擦れて結構痛かった。次の罰には他の手を使おう。
「お前このページに書かれてた内容覚えてねえの? ちょいちょい見てたんだろ?」
「んー。ちょくちょくじゃなくてかなりの頻度で来てたけど、ピンポイントで内容までは覚えてないよ。『翡翠の死神』でしょ? 確か、口裂け女系統の派生だったとかなんとかで? 深夜に鎌持って校内を徘徊してて? 遭遇したら魂取られる? らしいよ」
「情報全てクエステョンマークで固められてんじゃねえか……」
「だって曖昧にしか覚えてないんだもん。そんなに詳細聞きたいんだったら明日聞けばいいじゃん」
今度は僕の頭の中にクエスチョンマークが飛び交った。
明日聞けばいいって誰に?
「え。ブログタイトルで分かんない? 今さっきもコンタクトあったのに」
ん? ブログ名とコンタクト?
このブログの名前は『フラワームーンの伝説を追え。仁乃の都市伝説日記』。
さっきあったコンタクトっつーとメールか……。送信者は『雛上仁乃』。
ああ、そういうことか!
僕は髪の毛が顎に食い込まない程度の力で、分かったぞ、と凉莉の頭をグリグリする。
「ならお前と同じクラスだな。じゃあ明日午前中くらいに行くから、そんときよろしく」
午前中ならば瀬菜から勝手に取りつけさせられた時間にも間に合う。
僕は机の上に置いてあった携帯を掴み、メール画面を表示させる。一応、調べた内容と鍵となる人物の情報だけ瀬菜に教えておく。これならあいつも自分で調べられることが増えるはずだ。インターネットじゃなくて、本とかのアナログでしか調べごと出来ないっていうのはこのご時世不利だよな……。
「よし、送信完了っと。……ほら持って行っていいぞ」
得物を刈るような視線で僕を見つめていた凉莉に、パソコンを差し出す。すると、恋敵から愛しい人を取り返したかの如くパソコンを抱きしめ、脱兎のごとく部屋から退散していった。
やれやれだ……。
こうして僕は『翡翠の死神』の情報を持つ本庄真美に接触する機会を得た。
しかし、次の日。それは叶わないことだったと、思い知らされることとなる。