第二十談 もう一つの謎解き
僕は階段を駆け上がる。
肺に空気を溜め込んでは吐き出し、また溜め込んでは吐き出す。
四階建ての建物の屋上へ二階から階段を使って上がれば、二分もかからない。
しかし、階段を駆け上がる行為に関しては体に多大な負荷を与える。普段から鍛えていない体にとっては当たり前のことだが。だから、屋上の入り口の前に立つ頃には、僕は肩で呼吸する状態になっていた。
「はぁ、はぁ、はぁ……」
けれど、ここで休むわけにはいかない。
無理やり息を整え、校内と屋外を隔てる扉を勢いよく開き、中に足を踏み入れる。
後ろで扉がキィと錆びついた音を立てて閉まっていく。
教室から見えた人影は――。
「う、嘘だろ……」
信じられない光景を目の当たりにした。
教室から見たとき、確かに人影は二つあった。一つは犯人、もう一つは催眠がかけられた生徒。
十中八九その推測は当たっているだろうと踏んでいた。
だが、二割にも満たない確率が僕の推測を裏切る。
僕がさっきまでいた高等部二年四組の教室から見た人影は、確かに二つ。
けれど、それは手前の縁だけのこと。死角となる奥の様子までは窺えなかった。
縁に立つのは一人ではなく二人。
そして、その二人の姿に僕は絶望する。
「凉莉……、彩乃……」
右側に凉莉、左側に彩乃がいた。
そうあって欲しくなかった二人は、どこか虚ろな瞳で空を見つめている。
屋上に飛び込んできた僕の存在は気にも留めていなかった。
二人は澄みきった深夜の風に吹かれながらも、安全圏の手すりを越えて縁に立ちつくしている。もう一歩踏み出せば、待つのは死という位置。
「来たのか遥真」
頭上からが僕の名前が呼ばれる。
僕はその声に反応し、屋上の中央へ動く。
上からの声ということは、犯人は屋上で最も高い位置にある給水タンクの前にいるということ。
――いた。
犯人はポケットに両手を入れ、正面を向いている。まるで僕を待っていたかのように。
予想していた。でも、その予想は外れていて欲しかった。なのに、どうして――
「どうしてこんなことをした、生田!」
「おいおい、そんな恐い顔すんなよ」
「動くな!」
僕は腰から右手で得物を引き抜く。
引き抜いたのは少し重量感のあるエアガン。モデルはコルトパイソン。
瀬菜が用意していたものの一つ。脅し目的の意味と、そのまま武器として使用する。改造済みという説明しか受けていないが、それだけ分かれば十分だった。
どうせ誰かに頼んでの改造だろうが、武器になればそれでいい。
「銃? どうせエアガンだろ? ま、んなことどっちでもいいんだけどさ。お前、俺にそんなもの向けていいと思ってる?」
「どういう意味――ん?」
生田の手元付近で何か光った。
あいつ……、何か持ってる。
「お、気付いたか。鈍い癖にこういうとこは目ざといんだな」
生田がポケットから手を出し、そのまま腕を広げる。すると、何かが生田の周りでキラキラと月明かりを受け光り出した。糸はなぜか風を受けてもなびくことなく、両斜め下へなだらかなカーブを描いて垂れ下がっていた。
糸だ。たぶん釣り糸か何かだとは思う。それを束ねたものを生田は手元に持っている。
だが、それだけで僕の銃を退け――。
「ふざけんな……」
その糸がどんな用途で、どのような状況になっているのかに気がつく。
生田の周りで糸が煌めいているのだ。両手のそれは斜め下へ繋がっている。つまり、それは屋上の量縁に立っている凉莉と彩乃へ繋がっているということ。
生田が糸を離しただけで簡単に二人の命は絶たれる。
いや待て。糸を離しただけで二人を落とせるほど糸がピンと張っている? もしそうならば今生田が両腕を広げた時に二人が手すり側へ動くなり、何か反応があってもいいはずだ。それがないのならば、糸を手放したところで二人に危険は及ばない……?
「おい、遥真。黙ってないでなんかリアクション取れよ。面白くねーだろ。せっかく今回はお前のためにセットしてやったってのに」
「僕のため……? なんだよそれ。僕がお前に何かしたってのか!」
「ああ、したね。遥真、お前は俺から欲しいものを奪ってきたんだ」
生田の氷のように冷たい鋭い視線が僕を刺す。
「……僕がお前の何を奪ってきたって?」
思い当たる節が全くない。イケメンでムードメーカーでスポーツ万能、モテて彼女もいる生田。望むものがあっても、大体のものは簡単に手に入ってただろ。そんなあいつから僕が奪ったものて……? 検討もつかない。
「そうだな。俺は要領も器量もいいから大体のものは手に入る。だけど、手に入らないものもあんだよ。なのに、ああ、それなのに、お前は俺の一番手に入れたいものを毎回毎回手に入れてんだよ遥真!
分からない、思いつかない。記憶を辿ってみても、生田から奪ったものなんて検討もつかない。
僕の困惑した様子に苛立ちを覚えたのか、生田は左手を前に突き出して握る糸を僅かに緩めた。
反射的に僕は彩乃がいる左側に顔を向ける。
グラっと彩乃が動く。風に揺られてではない。間違いなく生田が握っている糸の操作によっての変化だった。
ならば、さっき両腕を広げた際は手に絡めた糸を若干解いたのか。
くそっ……、これじゃ動けない。どうすればいい。考えろ考え――。
また生田が左手の糸を緩めた。
「ま、待て生田、やめろ! そもそもどうしてこの二人じゃなきゃいけないんだ! 僕に恨みがあるなら直接僕を狙えばいいだろ!」
「それじゃお前に絶望を与えられないだろ。俺、柏樹のことも恨んでんだよ。お前の妹を選んだのは簡単だ。お前が苦しむからだ」
「彩乃のことを恨んでってのは、どういうことだ?」
「おいおい、質問は順番にしようぜ。今度は俺の番だ。どうして俺がこの事件に噛んでるって分かった?」
その答えは至って簡単だ。まぁ、そこに至るまでは結構な時間と労力を費やしたけれど。
生田が犯人の一人と知った理由もやはり本庄真美の暗号だった。
追牧理実は本庄真美の『私の世界に変革をもたらせ、私を作り変えろ。真実の姿でなく偽りの姿のままを』の部分。だが、その文の一つ前に妙な引っかかりがあった。
『音を読み、奏よ』
この部分の必要性が全く理解できなかった。
瀬菜の推測で暗号文は大方の意味を示したが、この部分に関しては必要なのかと疑問を隠せない。追牧理実を犯人と表す文章ですらよくよく読んでみると必要を感じなかった。ならばこれも何か意味があるかもしれない。
そう考えた僕は、よくある暗号解読に倣ってみることにした。
『響き渡る鳥の声、穏やかな風の舞う都に私は住まいし者。
半分に分れし世界を見届けるもの。
赦されない世界が闇に覆われ、タナトスがヘベを手にかけた瞬間を私は凝視した。
生きろ救世主よ。
多くの犠牲を強いてもタナトスを滅し、世界を救え。
音を読み、奏よ。
そして私の世界に変革をもたらせ、私を作り変えろ。真実の姿でなく偽りの姿のままを』
文章を別け、その頭の文字を取る。これで音を読む。つまり音読する。すると答えは自ずと現れた。
響半赦生多。
きょうはんしゃいくた。
つまり、共犯者生田。となる。少し変則的過ぎて自分でも納得がいかないところがあった。けれど、証拠となったものはいくつもある。
一つ目は生田の彼女。電話に二回出た時に聞いたことがあると思った声。あれは追牧の声だった。
二つ目は旧校舎の血だまり事件の時。生田は痛そうに右肩を抑えていた。
そして最後、三つめ。少し時系列が遡るが、これが決め手だったのは間違いない。
「生田。お前瀬菜が教室にやってきたとき、『ジャージ魔女娘が来たぞ遥真』って言ったよな。どうして瀬菜が魔女だって知ってたんだ? あいつは彩乃にしか正体を明かしていないのに」
「それは柏樹から話を――」
「いや、もし彩乃が喋ったならまずお前以外に話すはずだ。都市伝説好きの誰かにな。もしそうなってたのなら、瀬菜が教室に来た途端に都市伝説好きのやつらがヒソヒソ話し合うはずだ。あの時そんな魔女の話題を出してるやつなんていなかった」
「そんなものお前の耳に入ってこなかっただけだろ。教室の隅っこで喋ってたかもしれないぜ」
確かにその可能性は否めない。
けれど――まだある。
「なら、お前は瀬菜を見つけて真っ先に僕の客だと言ったよな。あれはなんでだ?」
「決まってるだろ。あのジャージ魔女とお前が校内で一緒に歩いているのを見たってだけ――」
「それはないんだよ。瀬菜は基本授業に出ない。出席したとしても一時間終わったらすぐに帰るさ。だから、僕たち二人が一緒に歩いているところを見かけることはありえないんだ」
僕の断言に生田はバツが悪そうにため息をつき、肩を竦める。
「あー、なるほど。そりゃ失言だった。自分からボロ出すなんてな。しょーもないミスだなあ……」
ガックリと肩を落とし、右手で頭を掻いた。
「次は僕の番だ。彩乃を恨んでるっていうのはどういうことだ? お前、彩乃と仲良くしてたじゃないか」
「そうだな、仲は良かった。それだけだ。友達……、以上の関係にはならなかった。違うな、なれなかっただな。ま、理由としてはこの女が俺を拒否したから。俺よりもお前を選んだんだ」
だから恨んでる、と生田は言う。
フラれたから彩乃を恨んでる? ただそれだけのことで、彩乃を殺そうとしているのか。そんなのただの逆恨みだ。自分勝手な独りよがりな理由すぎる……。
「サービスでお前の疑問を一つ先に答えてやるよ。相沢侑子も同じく俺じゃなくてお前を選んだ。だから、殺してやったんだ」
あまりにも軽いカミングアウト。
人を自分勝手な理由で殺しておいて、オマケのような感覚で告白しやがった。
ふつふつと沸き上がっていた怒りが、ついに……爆発する。