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第十九談 夜の攻防

 静寂。

 僕からの問いかけに死神は答えを返さない。

 二人の呼吸音だけが教室に音を生む。

 壁にもたれかかった状態を維持して返答をもう数秒待ってみるも、やはり死神は口を開かない。

 やれやれ、と僕は壁から体を離し、もう一度問いかける。


 「こんな時間に何か探し物でも?」

 「…………」


 沈黙。

 しかし、死神はこの問いかけに一歩後ずさる。

 いいさ、そっちが喋らないなら一方的に話すまでだ。

 遠ざかられた一歩の距離を、僕は二歩前に出て埋める。


 「ここに人がいるっていうのは不思議だよ。今話題の噂が流れた後は中等部にわんさか生徒がやってきたのに、今日はまさかの高等部に訪問があるなんて。どうしてだろう?」


 もう一歩距離を詰める。

 それと同時に死神も一歩後ずさろうとするが、綺麗に並べられた机の一つに後退を阻まれた。


 「まぁ、そちらがこの質問の答えを知ってるわけもないので質問を変えましょう。っていうか質問を一つ前に戻しますよ。こんな時間にこんなところで何をしているんですか。追牧先生?」


 雲が風に押しやられ、月明かりが再び地上を照らす。ゆっくり差し込まれた光は教室の中にも光を与えた。

 薄い月明かりで教室内の暗闇が取り払われる。

 僕の目の前にいるのは、ダークスーツ姿に、真っ黒の外套を手に持った保健医の追牧。いつものポニーテールを解き、白衣も羽織っていない。

 表情は逆光でうまく読み取ることは出来ないけれど、僅かに奥歯を噛み締める音が聞こえた。


 「……何してるって、あなたが教えてくれたんでしょう斎賀君。ここに本庄真美さんが残した手帳の後半部があるって。だから先生として私も探しにきたのよ。それよりも驚かさないで、あんまりにびっくりして固まっちゃったじゃない」

 「そうでしたか、それはすいません。でも、先生にそんな真っ黒いものを羽織って校内を歩きまわる趣味があるとは思いませんでしたよ」

 「こ、これは……。ほらっ、あれよ! 不法に夜校内に入り込む生徒たちを帰らせるための手段よ。『翡翠の死神』だったかしら? あの噂になぞってみたのよ!」


 僕はその言い訳に、ああなるほど、と少し冷ややかに頷いてみる。


 「ところで、先生は何を探していたんでしたっけ?」

 「あなたねえ、自分で言ったんでしょ! ここに本庄真美さんが残した日記の後半部があるって!」

追牧先生は言いきった。


 二度確認すれば、もう一回目が聞き間違いだったなんて可能性は無くなる。

 やはり、そうか……。

 僕はギュッと握りこぶしを作るも、声は震えないよう腹に力を入れて平常心を持たせた。


 「ああ、そうでしたそうでした。でも――」


 僕はわざと言葉を濁す。

 これからの時間は今までの安全な作戦段階とは違う。危険を伴う実戦に入る。

 心を落ち着かせろ。腹を今一度括れ。

 僕はゆっくり息を吸い、言葉を紡ぐ。


 「先生は手帳を見つけたんですか?」

 「残念ながらまだよ。斎賀君はどうなの? 前から噂を知っていたようだし、手掛かりくらいは掴んでいるんでしょう?」

 「ええ、まあ。手掛かりくらいは。でも、まあ僕は手帳を探しに来たわけじゃないんで」

僕のはっきりしない物言いに、追牧先生は怪訝そうな表情をする。

 「あなたねえ。じゃあ、こんな夜遅くに誰もいない学校で何をしてたっていうの? いくら生徒でも立派な不法侵入よ」


 そうですね、と僕は感情を全くこめない声で返答する。

 その反応が気に障ったのか、追牧先生は逃げ腰だったさっきまでとは違い、一歩前へ出て距離を詰めた。


 「斎賀君。私だってあの立て続けに起きた事件を楽観視しているわけじゃないのよ。あなたも知っていることがあったら少しでもいいから教えて欲しいの。だから教えて、あなたここで何をしているの?」


 僕の口元に薄い笑みが浮んだのが分かった。

 この状況を楽しんでいるのか。それとも不安が一周した結果なのか。

 だけど、そんなものどっちでもいい。

 さあ、本番を開始しよう。


 「僕は『翡翠の死神』を探しにきたんですよ」


 一瞬空気が揺らいだのを肌で感じ取った。


 「そ、そうなの。確かに噂では『翡翠の死神』が犯人だって言われてるわね。でも、全く正体は掴めないんでしょ?」

 「いえ、もう正体は掴みましたし、犯人の証拠も手に入れましたよ」

 「このマントは違うわよ! さっきも言った通り、これは不法侵入の生徒を追い返すための変装グッズよ! 私だって巡回も兼ねてこの教室に来ただけよ」


 聞いてもいない事をペラペラと喋るな、この人は。まぁ、二人きりの状態でこんなこと言われれば疑われているって思うのも当然か。


 「いい加減ヘタな茶番打ってんなよ……」


 消え入りそうな声で呟く。

 たぶんこの静かな教室内ではこの呟きも相手に届いていることだろう。

 だが、相手の反応を待つよりも早く、僕は右腕を伸ばし指を追牧に向かって突き付けた。


 「追牧理実、お前が相沢侑子を殺し、本庄真美を屋上から突き落とした犯人。及び、『翡翠の死神』の正体だ!」


 一瞬追牧の表情が歪んだような気がしたが、すぐに取り繕うように薄く笑い、僕の宣告を受け流そうとする。


 「い、意味が分からないわ。根拠も何もないじゃない! 失礼にも程があるわよ斎賀君!」

 「根拠ならある! 日記の後半部がここにあるなんて噂にはない。確かに日記はこの間の『翡翠の死神』とのバトルで裂かれた。僕たちが持ってるのは間違いなく本庄真美が残した日記の後半部。けど、何であんたがそのこと知ってるんだ? このことを知ってるのは僕と瀬菜。それと僕らと戦った『翡翠の死神』だけのはずだ」


 追牧は僕の追及に息を詰まらせ、顔を両手で覆った。肩が小刻みに震えている。

 僕は止めと言わんばかりに、最後の証拠を突き付ける。


 「あんたが探している本庄真美の手帳の後半部に暗号があったよ。あんたは知ってるかどうか知らないけど、最後の『私の世界に変革をもたらせ、私を作り変えろ。真実の姿でなく偽りの姿のままを』文章。ここの『私』は本庄真美。『偽りの姿』はハンドルネームである雛上仁乃。これをローマ字変換する」


 変換すると、HINAKAMININOとなる。そしてこれから文字列を作り替える。これには相当時間が掛った。なんせ授業を二つ丸々潰したんだから。

 とにかく、このローマ字を僕が導き出した回答に変換させると次のようになる。

 HANNINOIMAKI。


 「つまり犯人追牧と変換される!」


 この回答に対する確証はなかったが、一つ目の証拠で細い糸が繋がった。

 まさか証拠を自らポロっと言ってくれるとは、こちらにとっては良い意味での誤算だったけれど。

 だが、これで終わりのはずがない。正体を暴かれたからって、そのまま大人しくなる奴なんてそうそういない。

 イタズラ程度のことがバレたのなら大人しくなるかもしれないが、こいつは人を殺しているんだ。このまま折れるわけが……ない。

 僕は未だ顔を両手で覆い肩を小刻みに震わせる追牧を凝視しながら、自分の僅かに膨らんだ腰の辺りに手を当てる。

 すると、急にピタっと追牧の震えが止まり、顔を覆っていた手を下にだらんと垂らした。

 切れ切れに笑い声のような引きつった声が聞こえてくる。


 「キシ……キシシ……キシシシシ!」


 死神の笑い声。

 どうやらもう正体を隠す気はないようだった。


 「正解正解大正解よ。これだから頭の良い子供は嫌いなのよ。無駄に探究心のある子も。あの子たちも私の正体を探るために色々やってくれちゃって。良い迷惑だったわ。ま、私個人としてはそれなりに楽しめはしたけれど」

 「……目的はなんだ?」

 「目的? そうねえ、しいて言うなら女の子の悲痛に歪む顔が見たかったから、かしら。落ちる瞬間の恐怖に満ちた表情は堪らないわ……。ぞくぞくする……。だから女の子は大好きよ。カウンセラーをしていてこれほどよかったことはないわ」


 相対している殺人鬼は、殺人理由を自己の欲求を満たしたかったと言う。ただそれだけの為に尊い命を奪ったと言う。

 こんな理由であいつは死んだってのか。

 僕は砕けるんじゃないかと思うほど奥歯を強く噛み締めていた。

 まだ駄目だ。まだ聞くことが残っている。ここで感情を爆発させては駄目だ。もう少し、もう少しだけ耐え抜け。


 「もう一つ聞かせろ。どうやってあの二人を校内に誘い込んだ?」

 

 深夜の学校に女の子一人で忍び込む理由など考えられない。

 本庄真美には自分が狙われることを怖れていたのだから、もし何らかの理由で誘い出されたとしてもおいそれと出向くはずがない。

 相沢侑子は……。必ず誰かに相談する正確だ。同様に簡単に出向くとは考えにくい。


 「斎賀君、私の職業忘れたのかしら? その無駄に回転する脳で思い出してみなさいな」

 「職業? 教師……、カウンセラー?」

 「はい、よく出来ました。私はカウンセラー。思春期の女の子の心を好きに動かすことのできる職業」


 どういうことだ?

 カウンセリングは主に相、談者に抱える問題や悩みなどに対して専門的な知識や技術を用いて行われる相談援助のことだろう。

 それが一体どうすれば殺害対象を学校へとおびき寄せることに繋がる……?

 言葉の真意を理解しかね黙る僕に追牧は、分からないのかな、と見下したような視線を送ってきた。

 いつもなら時間をもらってじっくり考えられるけれど、今はクイズをしているわけじゃない。考えに集中しすぎて隙を見せるわけにもいかない。

 駄目だ、頭が空っぽになってきた……。


 「この程度の問題くらい三秒で答えに辿りついたらどうだね斎賀」


 突然、背後から声がした。

 だけど、驚きはしない。必ず来ると分かっていたから。


 「まぁ、状況が状況だから教えてやる。答えは『催眠』だ」

 

 解答を口にしながら、背後から足音が近づいてくる。

 僕の横に並ぶのは、いつもどんなときでも同じ服装。真っ赤な学校指定のジャージを着た、『魔女』と呼ばれる少女。

 悠木瀬菜。

 月明かりを溜め込んだ蒼い目を輝かせ、ふわりと揺れる髪を手で払い優雅に登場した。


 「遅い」

 「すまないな。番組予約に手間取った」

 「お前何やってんの?!」

 「あ、後。君が教えてくれなかった文字化けの意味をいんたーねっとで検索していた」

 「お前マジで何やってんの?!」


 思わずシリアスなシーンをぶち壊すようなツッコミを入れてしまった。

 たぶん瀬菜はわざと遅れてきたんだろう。じゃなきゃこんなにタイミングよく現れるわけがない。

 一応見せ場はくれてやるけど、一番おいしい所は貰って行くよ、的な感じじゃなかろうか。


 「って、お前の登場のタイミングはどうでもいい! 『催眠』ってどういうことだよ!」

 「言葉のままだよ。カウンセリングは心理学を用いるものだ。その中に催眠療法というものもある。それを悪用して何らかのスイッチを植え付けたんだろう。特定のキーワードを聞けば深夜に学校を訪れる。そんな感じじゃないか?」


 パチパチパチパチ。

 追牧が正解の拍手を瀬菜に送る。

 だが、表情は僕と相対していた時とは打って変わって険しいものになっていた。


 「……正解よ。でも、あなたどうしてここにいるの? あなたは私が殺してあげたはずでしょう?」

 「この『魔女』を殺せると思うなよ、愚民風情が。あんなもの演劇部にあった血糊とちょっとした防護服を使えば簡単に防げるだろう。しかし、メッセージまで残してやったのにこの程度か。とことん愚かだな。人間をやめてミジンコにでも成り変わるかね、ん?」

 「いいわ……。この際もう一度殺してあげる。その可愛い顔を苦痛に歪めて頂戴!」


 突如、追牧が懐からナイフのようなものを取り出して瀬菜に襲いかかる。

 しかし、瀬菜も予めこの展開を予想していた。

 軽く腕を振るうと、袖口から手のひらサイズの筒が飛び出し、その筒の中から棒状の何かが伸びる。

形を見ると警棒を彷彿とさせるフォルム。

 だが、決定的に違うのは、時折バチッっと電撃のようなものが走っていたことだ。

 スタンロッドじゃんこれ……。ゲームでしかお目にかかったことのない代物じゃん。

 瀬菜は手にしたスタンロッドで追牧の振りかざすナイフを受け止める。

 僕もすかさず腰の得物を抜き取ろうとしたが、


 「斎賀、君には他にやることがある!」


 と一言制止がかかった。

 この状況でふざけたことを言う――やつだけれど、たぶん理由があるはずだ。

 瀬菜は追牧の腹部を蹴り、後方へ吹き飛ばす。追牧は背後の机にぶつかりよろけるも、倒れることはなかった。

 思いのほか時間を稼げなかったが、瀬菜は即座に僕へ耳打ちする。


 「追牧理実はあの夜私たちが戦った『翡翠の死神』じゃない」

 「…………」


 僕は唇を噛む。

 今の追牧が瀬菜に襲いかかった行動から、また別の確信を得た。

 数日前、僕と瀬菜は『翡翠の死神』と戦った。あの時、僕が全力を込めて振り下ろしたリコーダーは間違いなく死神の右肩へとヒットしていた。最後も右肩を庇うように撤退していったのだ。

 しかし、襲いかかってきた追牧にはそれらしい反応は全く見られない。攻撃を受けた右肩を十分に使って攻撃を仕掛けてきた。

 いくらあの夜から数日経過しているとはいえ、全く痛みも何もないことはあり得ない。

 つまり、追牧理実はあの時の『翡翠の死神』ではないということ。


 「どこにも行かせないわよ……!」


 一瞬、追牧が目を横に動かしたような気がした。

 窓の外は死角になっていて見えないはずだ。だけど、そちらに何かがあると知っていれば、自然と気になって視線が動く可能性もある。

 僕は視界の盾となる追牧を避け、窓の外を凝視した。


 「……ふざけんなよ!」


 ――屋上に人影があった。

 僕は即座に視界を離し、教室扉へと振り返る。


 「行かせないと言って――」


 追牧の声の後、バチッ! と電撃音が響いた。


 「斎賀。ここは私に任せて君は先に行け」

 「……頼んだ!」


 僕はそのまま振り返らず教室扉を潜った。

 その去り際、瀬菜が一言呟いた気がする。いや、確かに呟いた。


 「今度は絶対助けてくれ」


 自分の後悔を晴らすための役割を僕に託したのだった。


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