第一談 都市伝説
「あー、さっぱりした」
一日の疲れを癒して自宅の風呂場から、灰色のスウェットを着て僕登場。
いつになっても髪の毛をドライヤーで乾かさない派で、タオルでガシガシと拭いている途中。そこはもう手慣れたもんで、滴る水滴を服には落とさない。
僕はそのままリビングに赴き、冷蔵庫からミネラルウォーターを一本取り出し、自分の部屋へと向かう。
ミネラルウォーターをちびちび飲みながら、自室の扉を開いた――瞬間、やるせない気分になる。
「またか……」
自室の扉を開けて真っ先に視界へと写り込むのは、真っ白いシステムデスク。普段は高校の勉強をするためではなく、もっぱらネットサーフィンに明け暮れるために使っている。
なのだけれども、明け暮れるネットサーフィンに使うパソコンが、デスクの上にはなかった。
風呂に行く前には確かにそこにあったものがない。
つまり。まぁ、つまりというほどのものではないけれど、誰かが持って行ったということになる。
うちにあるパソコンは父親が仕事で使うものと、僕が使うプライベート用の二台しかない。
とはいえ、母親は普段パソコンを使わない(使えないから僕に頼んでくる)し、借りに僕が家にいないとき使うことになれば、メールの一つでも送って来る。
なら、犯人の目星はついた。というか一人しかいない……。
僕は部屋から出て、すぐ隣にあるもう一つの子供部屋を見据える。扉には『ノックしてね』と可愛らしい丸文字でプレートが掲げられていた。
ここに盗人がいることは間違いなんだよなあ。
いつもなら盗人の気が済むまで貸し与えてやるが、今回ばかりは調べたいことが山積みでそうはいかない。
僕はプレートに書かれた注意を完全無視し、勢いよく隣の子供部屋の扉を開く。
「凉! 俺のパソコン勝手に使うな!」
目当ての人物はすぐに見つかった。
僕の愚妹、斎賀凉莉はベッドの上で、星柄モスグリーンの布団に包まれている。布団から頭と手だけ出し、パソコンを操作していた。ヤドカリかよお前。
凉莉は僕の怒鳴り声をまるで聞こえなかったようにスルーし、パソコンにかじりついている。
こんな状況を僕はウンザリするほど繰り返している中で、すでに対策、というか決まったやり取りが出来上がっていたりもした。
おもむろに僕はヤドカリ状態の凉莉に近づき、キーボードの右上に設置されている電源ボタンをひと押し。
「あ、え、あれ?」
パソコンがスリープ状態にされたことで、凉莉は現実世界に引き戻された。
「返してもらうからな」
妹の顔色も窺わずに自分のパソコンを掴み上げる。
しかし、手にしたものからはものすごい重量を感じた。
原因はすぐに判明。
凉莉が眉間に皺を寄せ、遥真のパソコンにしがみついていた。
「離せよ、テメエッ」
「今、いい……ところ……なの。返して……よ」
力ずくで奪おうとする僕に、凉莉も歯を食いしばって抵抗する。
僅かながらパソコンからミシミシという音が聞こえてくる。
壊れる、壊れる!
さすがにマズイと思った僕は、ぱっと手を離した。すると、いきなり抵抗がなくなった凉莉は反動に負けて、パソコンを額にしたたか打ちつけていた。当然、額を抑えてうずくまる。
その隙に、僕は所有物を再奪取。
「ミッションコンプリート」
部屋に戻ろうと体を反回転させた刹那、今度はスウェットの裾を引っ張られた。
呆れ顔になる僕は顔だけ振り向かせ、「何?」と聞き返す。
その質問に、
「……お願いしますお兄様。もう一時間だけ私めに猶予をお与えください」
と、凉莉は布団に顔を埋めたま、気持ち悪い敬語で懇願した。
妹が時間制限を口にしたら、もう策略が尽きたという証拠。これを拒否すれば後は本当の意味で実力行使が始まる。兄が妹に本気で手を出せないと分かっていての行動だ。
一時間……。後々面倒になるよりはマシだろうか? うーん。
一瞬で過去の厄介事を頭に浮かべ、思考する。
「一時間経ったら絶対返しに来いよ……」
結局、妹に競り負けることを選んだ。あえて、だよ。あえて。
凉莉は布団から顔を上げ、明るい表情で、
「さっすが兄ちゃん。話が分かるぅー。そんな心配しなくても満足したらちゃーんと返すってば!」
こうなることを予想していたかのようなテンション。
さすが十数年一緒に暮らしてきた妹だった。兄のことをよく分かっている。
「ほら、私も集中して調べ物したいから出てった出てった!」
やっぱり力づくで取り返してやろうか、こいつ。
僕はベッドから降りた凉莉に背中を押されて、部屋から強制退去させられる。
扉を閉める時の妹の勝ち誇った笑顔に、
「お前、何そんな真剣に調べてんの?」
と、最後の質問を投げかける。
それに対し凉莉は、
「都市伝説だよ」
何をいまさら、と言わんばかりの表情でそう答えた。