第十五談 戦闘開始
しばらく時間経ち、僕は落ち着きを取り戻す。
案の定、泣き叫んだ後の顔はぐっちゃぐっちゃだった。
目は赤く腫れ、頬は涙でカピカピに固まり、体温が上がって鼻水は未だに止まっておらず、大変な状態だった。
こんな姿他人に晒せやしない。
まぁ、ここまで自分の状態をしっかり把握しているのは、落ち着いた僕に手鏡を貸してくれた瀬菜のお陰に他ならない。
手鏡を持ってるなんて、やっぱり女の子なんだなと改めて実感した。服装はジャージだけど。
そんな瀬菜は僕とは少し離れた場所に横座りで鎮座している。
僕の復活待ってくれているようだ。
僕はシャツの袖で目と頬を擦り、鼻を啜る。
よし、まだ鼻声だけどもう大丈夫だ。
「瀬菜。ありがとう」
お礼に落ち着いたことを含めて伝える。
「いいさ。これで作戦の準備が整ったからな」
ジャージのズボンについた砂を手で払いながら瀬菜が立ち上がる。
……作戦?
そういえば不安定な状態じゃ使い物にならないとか、ひどい言われ方してたな……。
暗号も解いたらしいし、もう犯人を捕まえる段取りを立てているのか。
「作戦を伝える。斎賀耳を貸せ」
「あ、あぁ」
いつになく瀬菜が真顔だったこともあり、緊張が走る。そのせいか、背筋が鉄筋でも入れてるんじゃないかと思うほどピンと伸びた。
その際、「それじゃ耳が遠い」と怒られて耳を引っ張られた。
そもそも、耳打ちじゃないといけないんだろうか?
「いいか。まず……に……して、次に君が……を……こむ。それで……呼び込む……」
耳元で吐息がくすぐったくかかるせいで内容を何度か聞き逃しそうになるも、何とか一回で概要を把握した。
しかし、これは――。
「ちょっと待ってくれ。それ、僕の役回り重要すぎない?」
「当たり前だ。君が立ち回ってこその決着なんだからな。いいかヘマしてもいいが逃がすなよ」
手を銃の形にして、僕の胸の真ん中あたりに突き付けた。
「これから数日の作戦は任せるぞ。君の動きで成功率が大きく変化するからな。心して掛かれ」
作戦のハードルをもの凄く引き上げられた。
明日からでは時間が足りない。今日から、今から階段を下りてからの作戦スタート。
そう考えると、緊張で全身から嫌な汗が噴き出してくるような錯覚に見舞われる。
いや、大丈夫だ。言い方は悪いけど、あいつを上手く使えば難なく第一段階は成功する……はずだ。
知らず知らずに握りしめていた拳に気付き、僕は苦笑する。
リラックスだ、リラックス。
「よし、作戦開始だ。じゃあ僕は取りあえず教室に――って、あ」
一歩踏み出した刹那。もう一つ重要な事を思い出した。
言いだそうとしたけれど、途中で切られていた重要事項。
瀬菜は首を傾げる。
「そうだ! 中庭に本庄真美が何かを埋めて隠してたんだよ。早くしないと犯人に先越される!」
「ああ、そのことか。その件に関してはもう考えなくてもいい」
表情を曇らせて、チッと瀬菜が舌打ちする。
「もう一度現場検証をしておこうと中庭に行ったんだがな……。芝生の面影もなく掘り起こされてた。まるで宝探しをした後のような光景だったよ。……ああ、ちなみに君が無駄な努力をしないよう付け加えておくと、数センチの隙間もなく中庭は掘り起こされていた」
つまり、本庄真美が隠したものがまだ中庭にあるかもしれない、という微かな希望は儚く散ったわけか。
けど、たった一人でそんな力仕事を夜の間だけで行えたことが驚きだ。それともショベルカーみたいな重機を持ってきた? もし、その方法を使ったとしても確かに深夜帯ならば気づかれないな。
「だが、そんなことをガッカリしていても仕方がない。その時はその時で対処をしよう」
「了解」
「では、今から私は数日間姿を消すからよろしくな。もし、私の身に大それたことがあっても決して気にするな。君は君の仕事に専念してくれ」
瀬菜は僕の肩をポンと軽く叩き、屋上の扉に向かって足を進んでいく。
僕は一度深呼吸をし、その後に続く形で足を動かす。
あれ……?
不意に何か忘れているような、絶対に忘れてはいけないことがあったような気がした。
いや、気がしたじゃない。絶対にある。それも最重要項目だ。
――あ、思い出した。
っていうかこんなこと忘れるなよ僕……。
前を歩いている瀬菜の背中にもっとも重要な質問を投げつける。
「暗号文に書いてあった犯人の正体って誰なんだよ!」
扉を潜る手前に、瀬菜は長い髪をなびかせてターンするよう僕に振り向く。
そしてどこかおどけた様な、悪戯をする前のような小悪魔的な笑顔を浮かべ、
「自分で考えろ」
と、一言で作戦に使う必要不可欠な情報の譲渡を拒否してくれやがった。
しかしながら、さすがに犯人の目星すらついていない状態で作戦に臨ませるのはマズイと判断したのか、瀬菜は去り際に、
「君も予想しているだろうが最後の文章が鍵だ。犯人を知りたかったらそこをまず重点的に考えてみるといい。それと、変革は変換と意味を変えろ。『偽りの』、別名の本庄真美を変換させるんだ」
ここまでヒントを与えたんだからもう簡単だろう、みたいな感じでさらっと説明された。
階段を下りて教室に向かう短時間での思考では、さすがに解答へ辿りつくことは無理。
もうこれは持ち帰り仕事にするしかなかった。
っていうかもったいぶらずに教えろよ……あんにゃろう。
とかなんとか自分でぶつぶつ呟いているうちに教室に到着。
中を覗く。
彩乃は……いた。僕の席の真横にいる。生田はいない。彼女の所にでも行っているんだろうか。
まあ問題はない。目的は彩乃なんだから。
僕は入り口でたむろっているクラスメイトを避け、自分の机へと向かう。
途中、何度か女子に侮蔑のような視線を送られ、男子からは授業を抜け出して何をしていたのかと質問攻めにあった。
――号泣していました。
なんて馬鹿正直に説明をするはずもなく、適度に適当に誰もが納得するような(家族がどうたらこうたら)かわし方をした。
「あー! やっと戻ってきた! 心配したんだよ、遥!」
クラスメイトと仲良く談笑していた彩乃が僕の存在に気付き、近寄ってきた。クラスメイトはクラスメイトで、旦那じゃんとか僕のことを呼んでくる。
これは絶好のチャンスだ。
彩乃には悪いけれど、手段は選んでいられない。
「ごめんごめん。あいつがどうしても彩乃に昨日のお詫びをしたいっていうからさ。仕方なくついて行ったんだよ」
口から出任せだ。でも案外良い出任せが出たもんだ。
彩乃は「別にいいもん」と口を尖らせてそっぽを向くが、まんざらでもない様子。瀬菜のことを気にはしているようだ。
魔女だからかもしれない。
「ふーん。で、なんて?」
「うん。直接は恥ずかしいからって謝れないけど、代わりに彩乃の今一番興味があるもので返すってさ。だから言付かってきた」
「今一番興味があるもの? もしかして都市伝説?」
食いついた。
後ろで僕らの様子を見ているクラスメイトも耳を傾けている。
「そうだよ、都市伝説。しかも話題騒然の『翡翠の死神』に関して」
「聞きます!」
右手をビシっと上に上げて聞く準備万端です、と続けた。
僕は周囲のクラスメイトにも聞こえ、なお且つ大きすぎない音量で作戦行動を開始した。
「『翡翠の死神』が校内を彷徨ってるのには理由があってさ。実は、自分の正体が書かれた手帳を探してるんだって」
「手帳?」
「そう、手帳。まだ見つかってないらしいんだけど、本庄真美の事件があったろう? どうやらその
手帳の持ち主は本庄真美で、手帳は中等部のどっかにあるって噂だ」
二年五組とまではあえて説明せず、少し抽象的にする。
僕の情報に彩乃は、むむむ、と腕を組んで思考を始めた。
まずい、感づかれたか……?
「それじゃあ、今日から争奪戦が始まるかもね! こうしちゃいられない。グループの皆に知らせなくちゃ!」
いつになく目を輝かせながら彩乃は教室を飛び出して行った。
これで他クラスの生徒にまで情報が伝わる。
彩乃だけじゃない。僕の偽噂話を盗み聞きしていたクラスメイトも急に携帯電話を手にしたり、こそこそ顔を近づけて話しあったり、少なからず反応を示してくれている。
これで第一段階「噂流し」のお膳立ては終了。後は彩乃や都市伝説好き連中の行動力に期待する。
では、第二段階の行動開始だ。