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第十四談 前へ進む努力

 風が頬を撫でる。

 遠くを見渡せば果てしない空と街が広がり、自分の存在などはちっぽけなものだと錯覚させる。

 上を見上げれば太陽は眩しく、僕はその光を手で遮った。

 僕は瀬菜に連れられて高等部の屋上にいる。

 そう。

 昨日本庄真美が飛び降りた現場。

 当然ここも立ち入り禁止になっているのだけど、瀬菜には関係ないらしい。

鍵を手に入れた経緯も教えてはくれないだろう。もし答えてくれたとしても「職員室からかっぱらってきた」とか言うに決まっている。

 瀬菜と僕は手すりに体を預け、横並びに立っていた。


 「それで、何に用だよ? こんなところに連れてきて」

 「ああ、そうだな。まずは君に礼を言おうと思ってな。昨日は助けてくれてありがとう」

 「別に礼言われることじゃないだろ。あんな状況だったら誰でも助けに入るっての。んなことよりもお前の無謀さに呆れたよ。刃物持ってる人間を前にして逃げずに戦うか普通? ホント怖いもの知らずっつーかなんつーか」


 もっと早く瀬菜があの『死神』から離れてくれていれば、こっちにも机を投げて応戦するとかやりようはあった。

 けれど、あの状況で瀬菜が逃げれば標的は僕に矛先を変える可能性も捨てきれない。瀬菜の行動は僕を守るためでもあったのかもしれない。考え過ぎだろうか?


 「私にだって怖いものはあると前にも言っただろう?」

 「あーはいはい。僕のことって仰ってましたねー」

 「ああ、私は君が怖いよ。相沢侑子の話で取り乱したかと思えば、次の話題では何事も無かったように取り繕う。そんな不安定で歪な感情を持つ君が、私は怖い」

 「そうだ瀬菜! 新しい発見があるんだ――」

 「誤魔化すな!」


 鋭い眼光が僕を突きさす。

 体中が痺れたように動かない。鼓動が速くなり、息が荒くなり始めた。


 「相沢侑子のことで君が隠し事をしていることくらいとっくに気が付いているさ。けれど、君は犯人じゃないし、犯人を見てもいない。それも保健室での会話で理解している」


 それ以上……口を開かないでくれ。

 

 「君が後悔しているのは知っている。だが、君とこの犯人を探すにあたって君自身が前に進まなければ意味がない! 待つのは最悪な結末だけだ!」


 頭の中で映像が……流れる。

 落ちる人影――骨と肉が砕ける音――鮮血の中庭――鳴り響く着信音――。


 「う、うあああああ――」


 自分でも初めて聞く獣の唸るような声が出かかった刹那――急に何かで口を塞がれる。それもがっちり頭を固定されて逃げることが叶わない状態。


 「ん……! んー、んー!」


 最初は混乱して状況が全く理解できなかったが、数秒で頭が冷える。

 眼前、と言うよりも零距離のところに瀬菜の顔があった。

 数秒か数十秒か、それとも数分か。僕は瀬菜の口によって自分の口を塞がれた。

 そろそろ息が続かなくなってきたところで口を解放される。

 僕は力なくその場にへなへなと座り込む。


 「落ち着いたか斎賀? しかし、激しく混乱した人間にキスをすると冷静になる、というのは本当だったのか。漫画や小説の世界だけだと思っていたが、一つ勉強になった。それと、どうだった? 私のファーストキスは」

 「普通……、男女逆なんじゃないのか……これ」

 「……私のファーストキスの感想がそれか。斎賀らしいと言えばらしいが……。まぁ、許してやろう」


 ファーストキスの感想を照れ隠しをするでもなく、ただの興味として尋ねてくる。

 頭の中が真っ白で答えるどころじゃないんだけど。


 「許してやるけど、君の隠し事は吐いてもらうぞ」


 そう言って自分の薄紅色をした唇を指でなぞった。

 風が僕の火照った頬を撫でる。

 ここで話していいのかどうか、そう逡巡する。

 話したところで何が変わるのか。僕の心に刻まれたあの光景、あの後悔が消え去るとでもいうのか。瀬菜に僕の胸の内を明かしたところで犯人の正体が暴かれるとでもいうのか。

 そんなことあるわけが――。


 「ああ、ないね。けれど、前に進むことは出来る」

 「……前に進む? あいつを殺したも同然の僕が? 笑わせるなよ!」


 勢いに任せて手すりを右手で強く殴る。

 金属が鈍く響く音の後、じわじわと右手を痛みが襲う。


 「笑うわけがないだろう。いいか、私が話せと言っているんだ。とっとと吐け。有無を言う前に吐け。君に拒否権はない」


 めちゃくちゃ自己中心的だコイツ……。

 待つのは最悪な結末だとかどうとかほざいてたけど、結局は自分の欲求を満たしたいだけじゃないのか。


 「このままじゃ君は使い物にならない。ましてや、相対するやつがあいつかもしれないとなるとなおさらだ」


 人の心境そっちのけでまだ言う……か。ん? 相対するやつがあいつ? どういうことだ? まさか……!


 「お前、本庄真美の暗号解いたのか? この短時間で?」

 「ああ、解いた。君が死ぬ気で走って登校している最中に、朝ごはんをゆっくりと食べながら」

誇るわけでもなく、奢るわけでもなく、ごくごく当たり前のように瀬菜は答える。

 

 なら、犯人が捕まえられる?

 これ以上この学校で事件が起こることは無くなるのか。

 学園の平和はこれで守られる。


 「だから、いい加減にしろよ斎賀。さっきまでの話を自分の中で無かったことにするな」


 瀬菜に胸倉を掴まれて強引に腰を浮かされる。

 この細い体のどこにこんな力があるのか、不思議に思えるくらい強い力だった。

 そんなに何ともなかったような表情をしていたのだろうか?

 僕は何も言えず、ただ黙っている。

 こいつに話したところで一体どんな意味があるのか。いや、意味など生まれるわけがない。だから前に進むことは、進めるはずがない……。


 「私は授業にも出席しないし、魔女の噂を流して人から遠ざかっている。それに他人に感心も興味もない、ただの人間嫌いだ」


 突拍子もなく自虐に入りだした。

 いや、違うか。突拍子もなくは……ない。

 僕は不思議と瀬菜の言う言葉がある程度予測できた。


 「そんな人間嫌いの私でも、相沢侑子と接点がない私でも、人が飛び降りる瞬間に居合わせれば助けなければと逡巡する! 論理的に不可能だと頭では理解していても体は動く! 実際……、助けることは叶わなかった。もう少し早く屋上の様子に気づいていればと、後悔もする……」

最後は弱々しく呟くように喋り、そして俯いた。


 僕は反射的に瀬菜に手を伸ばす。

 

 「だから!」


 急に発せられた瀬菜の張り上げた声に、思わず手を引っ込める。


 「君が全部背負い込む必要はない。私も一緒に背負ってやる。だから……話せ!」


 掴まれている僕の胸倉が少しゆるんだ。

 顔を上げた瀬菜の表情もどこか柔らかいものに変わっていた。

 自分の喉の奥から声が上がってくる。


 「ふざけるな……」


 瀬菜に口を塞がれる直前まで発していた、唸るような低い声が出た。


 「助けられなかった? もう少し早く屋上の様子に気が付いていれば? たったそれだけのことで後悔なんかしてんじゃねえよ! たったそれだけのことで僕の罪とお前の罪悪感を同列にしてんじゃねえよ!」


 僕は掴まれている胸倉を力任せに振り払った。

 払われた勢いで今度は瀬菜が地面に尻もちをつく。

 中腰から立ち上がる際に、ふら付いて肩を手すりに強打したがそんなのはどうでもいい。


 違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う。


 お前の善行と僕の行動を一緒になんかしてくれるな……!


 「僕はあいつが飛び降りるもっと前からメールもらってた。けど、それを内容を見ずに無視した。理由はなんてことないよ。ちょっとテレビから目が離せなかっただけ。テレビが終わるまで約一時間、僕はあいつの助けを放置したんだ!」


 僕は記憶を逆流させて叫んだ。

 頭がクラクラして吐き気がする。だんだん足にも力が入らなくなってきた。

 手すりに手を伸ばし、それに掴まる。たぶん手すりから手を離したら、力なく床に座り込んでしまう。

 そんな僕を瀬菜はじっと視線を逸らさず見つめている。


 「全力で自転車漕いで、真っ先に校舎へ向かったさ。高等部校舎の前に着いた時、目に映ったのは全身を黒いマントで包んだ変な格好したやつに追われてるあいつの姿。僕も自転車乗り捨てて、窓割って校舎に入ったよ」

 

 けれど、あいつはもう四階まで上がっていた。高等部は四階建ての校舎だ。屋上はまではもう目と鼻の先。

 でも、僕は全力疾走で階段を駆け上がった。

 あれ……。

 急に視界がぼやけてきた。


 「屋上の扉に鍵がかかっていたから蹴破った。けど、駆けつけてもあいつの姿は屋上に無かった……。犯人の姿も……。僕がメールにもっと早く気が付いていればあいつは死ななかった……。僕が殺したも同然だ。はは……あははは……あははははははははははは!」


 笑いが止まらなかった。

 自分をこれまで何度嘲笑し、非難し、殺そうとしたか。そんなもの数えきれやしない。

 後ろを振り向くと果てしなく広がる空と、見慣れた街並み。

 もういっそ、このまま飛び降りて楽になってやろうか……。


 「逃げるな」


 瀬菜が後ろから僕の腕を掴む。


 「そんなに悔しいんだったら、逃げるな」


 悔しい? どういうことだ? 誰が悔しいって? 大体こいつにそんなことがどうして分る?

 瀬菜は僕の横に並ぶように体を移動させる。

 そして、僕の顔に手を伸ばした。触れられた瀬菜の手はひんやりと冷い。


 「人前でこんなに涙流しているんだ。悲しくて悔しんだろ? 女子の前だと考えるな。親戚の前だと感がえろ。もう溜め込まなくてもいい。もう、泣いていいんだ……」


 瀬菜が切ないような、優しいような笑顔で僕に微笑みかける。

 足の力が抜け、ガクッと膝が折れた。力を失くした体は前のめりになり、顔が瀬菜の腹部に当たった。

 瀬菜は僕の頭をそっと両腕で抱き抱える。

 目頭が熱い。

 手が震える。

 もう限界だった。

 僕は瀬菜の腰に手を回し、腹部に顔を埋める。

 一人で抱え込んでいたものを吐き出すように叫んだ。数か月だったが、これでもかと溜め込んでいた悲しい悔しい涙を流して流して、子供のように泣きじゃくった。


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