第十三談 翌日の日常
翌日の教室。
昨日あんな事件があっても学校は通常通り。ただ中庭に規制線……というよりも上下左右どこからも中の様子が窺えなくなる弾幕のようながもの張り巡らされ、通行禁止になっているだけの措置だった。
そんな中、僕はグッタリと机に突っ伏していた。
状況から説明すると、僕は二時間目開始直後に全力疾走で登校した。
まぁ、つまり盛大に寝過ごしたわけだ。
もちろん瀬菜も同様に寝過ごしているんだけど、僕とは違ってあいつは授業に出ないから平然と歩いて登校した。
昨日格好よく「明日早めに学校着けば誰の目にも留まらないか」なんて一人で呟いてた自分が恥ずかしい。
それで今は二時間目が終わった後の休み時間。
いつ中庭に行こうか。時間があるのは昼休みか学校が終わった直後だけど。あ、それか瀬菜に頼もうか。あいつ時間ならたっぷりありそうだし……。いや、無理か。どうせ「どうしてこの私がそんな愚民染みた行動を取らなければいけない? 確固たる考えがあるなら人に頼らず自分の手足を使って行動したまえよ」とか即座に言われて心折られそうだ……。
さてどうするか――
「はーるー!」
「げふぁ……!」
誰かに上からのしかかられ、肺が圧迫される。けれどそれだけでは止まらない。机に突っ伏しているわけだから、机の角が僕の腹部に食い込み追加ダメージを与えた。
まぁ、誰かにって言ってもこんなことするのは一人しかいないし、そもそも声で誰か判る。
早く退いてくれ、と一刻も早く言いたかったが、彩乃の行動がそれを阻止する。
どんな風に乗っかってるか僕には分らない(何やら柔らかいものは当たっている)けれど、乗っかった状態で体を上下に揺すっているため腹部が連続圧迫され、うめき声しか出ない状態にいるのだった。
「ねぇねぇ、昨日あれからあの子と二人で何してたの? っていうか何したの? ナニをしたの? もう信じられない! 遥はあたしのなんだから!」
彩乃のとんでも発言に周囲がざわめく。
「え、斎賀君誰か襲ったの?」「二股とはやるな遥真」「二人まとめて襲ったってこと?」「斎賀君サイテー」
僕の評判が一瞬にして最下層まで落ちた。主に女子の……。
上に乗っかったままの彩乃はまだ騒いでいる。当然それにつられて周囲のざわつきもヒートアップ。
「いや、さすがだわ遥真。いくら俺でも二人同時に相手すんのは無理無理」
僕は顔を声のした方へ横に向ける。
あっはっは、と高笑いしながら生田登場。携帯をいじりながら僕の隣の席に腰かける。
彩乃は生田登場など全く気に掛けず、僕から回答を得ようと自分の体をゆすり続けた。
しかし、僕が答えない(答える状況にないだけなんだけど)と分るなり体を離し、僕の顔を覗きこんだ。
「どうしたの? 今日は元気ないじゃん。やっぱりあの子に変なことされたんでしょ!」
「まあまあ、柏樹。遥真が元気ないってのも無理ないだろ。あんな事件が起こって昨日の今日だ。遥真じゃなくても元気無くすっての」
彩乃の爆弾発言があったから少し教室内の空気が変わったものの、さっきまでは事件の話で持ちきりだった。
いくら自分と関係ない人間が飛び降りたとはいえ、自分の通う学園で起きた事件だ。気持ちのいい出来事ではない。
「でも、ちょっとこの学校って変なとこあるよね。事件があったら次の日休みになるもんじゃないの? ふつーに学校始まってるし」
「そうだなぁ。人が死んだら全校集会があってそこで黙祷とかするのが普通だよなぁ」
二人の会話に耳を傾けながら、自分の早くなる鼓動を抑え込む。
けどそういえば、あの時も学校は次の日も通常通りだったな……。
「ま、元気がないなら元気がないで励ましてもらえよ。もう一人の美人魔女っ子に――ぐへは!」
突如生田の姿が僕の視界から消えた。
宙を舞った携帯電話が僕の視界を横切って床に落下する。
僕は体を起してキョロキョロと周りを見回す。
うわ……。
僕の前方。教卓方面へ生田の体が移動していた。
倒れこんでいる姿は見事な大の字。器用に机と椅子の間に手足が入り込んでいる。
コイツ絶対飛ばされてから大の字になったな……。
「ふざけんな生田! 遥はあたしのって言ってんでしょ! あんな子じゃなくてあたしが慰めるのよ!」
まるで野球の投手がボールを投げ終わったかのようなポーズをとっていた。
どうやら生田の発言は彩乃の嫉妬逆鱗に触れて顔面を殴られたようだ。
何度も言うけど、ホント不憫なやつ……。
ピリリリリ。
床に落とされた携帯から電子機械音が鳴る。
着信『彼女様』。生田の携帯は折りたたみ式ではないので、そのまま画面の液晶が見えてしまった
生田は……伸びてる。
まぁ、勝手に出るのもアレだし、このまま放置しておこ――あ……。
変なボタンに触れてしまった。
自分の折りたたみ携帯とはボタン配置が違うため、ついつい指ポジションを誤った。
確実に触れたのは通話ボタン。
電話の向こうからは『もしもし、生田君?』との声も聞こえてくる。
仕方ない、間違って通話ボタンを押したことをそのまま伝えて切ろう。
「あー、もしもし? ちょっと今生田出られないんだよ。それで僕が間違って通話ボタン押しちゃって――」
『っ!』
ブツッ! ツーツーツー。
息をのむような悲鳴のような短い声とともに通話が切られた。
まぁ、突然違う人間が出たらびっくりするか。っていうか、どっかで聞いたような声だったような。前はぶち切れててたから分んなかったけど、うん。どっかで聞いたことあるな。ということは生田の彼女は僕も知ってる人か?
僕が生田の彼女の正体を探っていると、当の本人がふらふらになりながら起き上がり、僕の手から携帯を取り上げた。
しっかり赤く腫れた右頬を手で抑えながらぶつぶつ呟いている。
「そんなか……。そんな逆鱗にふれるほどだったか……?」
毎度毎度だけど、こいつの回復力は獣並みだと思う。
「ん? あれ、噂をすれば……ジャージ魔女娘が来たぞ遥真」
生田の視線の先。教卓側の扉から瀬菜の顔が覗いていた。
心なしか睨まれているような気がする。
「あー! また性懲りもなく遥をたぶらかしに来たな、このダサジャージ女!」
大股で怒鳴りながら瀬菜に近づいていく彩乃。
また一触即発な気配が漂う。
周囲のクラスメイトは「あれが斎賀君の二股の片割れ?」「マジかよ、遥真の野郎あんな美人と……」「うわー、これが修羅場ってやつ?」とかもうあれやこれや言いたい放題だった。
瀬菜は彩乃がずかずか近づいてくるなり顔を引っ込め、わざわざ後ろの扉から教室に入ってきた。 やっぱり今日も赤いジャージ姿だった。
傍から見ると次が体育の時間にも思えるためか、彩乃みたく大きな反応をしているクラスメイトはいない。
「ちょっと待ちなさいよ! 勝手に教室に入らないでもらえるかな!」
「ギャギャーうるさい愚民が。二酸化炭素が増える。二時間ばかり息をしないでもらえるか?」
「死んじゃうじゃん! 今日も生意気にカラコンなんかして、似合ってないぞ!」
「カラコン? ふざけるな愚民。この瞳はれっきとした天然ものだ。曾祖父がイギリス人で、その血が濃いだけだ」
うっとうしがっている割に、投げかけられた質問にはきっちり答えてる。この二人実は仲良かったり? どことなく生き生きしてるし。
最終的に瀬菜は噛みついてくる彩乃の顔をアイアンクローばりに右手で掴み、出来うる限り自分から遠ざける行動をとった。
「斎賀、次の時間サボってちょっと私に付き合え。話の続きがある」
「……別にいいよ。ちょうど僕もお前に用があったし」
「なら、ついてこい。おあつらえ向きな場所を用意した」
そう言うと瀬菜は彩乃の顔を解放し、反対の手に持っていたらしいどこかの鍵をチラつかせる。
僕は引きとめられるより先に彩乃へ、
「次の授業のノートよろしく」
と、頼んで素早く教室を後にした。