第十二談 死者の本心
すっかり目が冴えてしまった深夜三時半。
警戒に警戒を重ねた全力疾走で、学校から自宅へと辿りついた。
それから家族を起こさないよう、抜き足差し脚忍び足で自室へ。
最後の全力疾走で体力をフルに使いきったせいか、二人揃って床に倒れ込んだ。息を整え、体力を回復するのに数分。ようやくまともに動けるようになる。
まず起き上がって最初にパソコンの電源を入れた。
さすがに本庄真美の事件があって落ち込んでいるのか、凉莉がパソコンを触った痕跡は無い。
「落ち着いたところで説明願おうか斎賀」
床に寝転がったままの瀬菜が顔だけこちらに向けて尋ねてくる。
説明はするけど、具体的にどこを説明して欲しいのか具体的に言って欲しいよ。
……やっぱり全部?
「どうやって『翡翠の瞳の死神』の正体を暴くというんだ? いくら手帳の後半部がこちらの手にあっても、肝心の正体が記載されていないんじゃどうしようもない」
おお、絞って質問してきてくれた。
まぁ、よく考えなくても知りたいのはそこしかないか……。
「そうだな。正体は記載されて無いけど、手掛かりは載ってるよ。最後の文。暗号を友人に送ったって書いてあるだろ?」
パソコンが起動しデスクトップが表示されるのを確認すると、僕はマウスを操作し、インターネットアイコンをダブルクリックした。
瀬菜は手帳に書かれた『翡翠の瞳の死神』の項目にある最後の文を小声で朗読する。
「意味は理解したが、友人に暗号を送ったのだろう? その友人を探すのにもまた一苦労するんじゃないのか?」
「それがそうでもない。実はその友人ってのが案外近くにいたんだよ」
僕はインターネットのブックマークからメールと書かれた文字をクリックし、ページを移動させる。
移動後に表示されたのは受信、送信、ゴミ箱などいくつかの項目に分かれたメールボックス。背景は白一色で、全く装飾っけのないものだった。
お目当てのものを探すため、僕は受信箱をクリック。新着メールが届いていたが、無視する。どうせネットショップ時登録したメルマガだろうさ。
お目当てのものはすぐに発見できた。
僕はそれを発見するなり瀬菜を横に呼び、クリックして画面に表示させる。
送信者、雛上仁乃。宛先、斎賀凉莉。
タイトル、親愛なる我らが同志たち。
『響き渡る鳥の声、穏やかな風の舞う都に私は住まいし者。半分に分れし世界を見届けるもの。赦されない世界が闇に覆われ、タナトスがヘベを手にかけた瞬間を私は凝視した。生きろ救世主よ。多くの犠牲を強いてもタナトスを滅し、世界を救え。音を読み、奏よ。そして私の世界に変革をもたらせ、私を作り変えろ。真実の姿でなく偽りの姿のままを』
「……これはまた」
「電波なメールだよなぁ。僕も最初見たときはチェーンメールかと――」
「ギリシャ神話が好きなのだな。雛上仁乃とやらは。私も好きだぞ、神話」
「そこに興味引かれるのか! 同調してんじゃねぇよ!」
ていうか文章読んだだけでギリシャ神話とか分っちゃうんだコイツ……。
さすが本の虫だけあるなぁ。
呆れ半分感心半分の僕を余所に、瀬菜は食い入るようにメールを読んでいる。
すると瀬菜の手が、マウスを掴んでいる僕の手の上に置かれた。
そのまま瀬菜は僕の手ごとマウスを掴み、画面上のカーソルを動かしていく。
――のだが、ひょろひょろした動きをするカーソルは、右へ行ったり左へ行ったりとなかなか目的に辿りつかない。
……何かをしたいっていうのはそれとなく感じ取れるんだけど、もの凄く行動が迷子になっている。
「何?」
「いや、ちょっと、いんたーねっと? なるもので調べ物をしたいなと」
あ、そうなんだ……。
まぁ、自分でやろうと努力したことは褒めてあげるけど、中々思うようにならないからって、僕の手ごとマウス握りつぶそうとしなくてもいいじゃん……。
「調べるから検索したいワード教えて」
「ん? そうか。すまないな。じゃあ、ちぇーんめーるを頼む」
「それ、僕がさっき言った言葉じゃん! 雛上仁乃のメール全く関係ないじゃん!」
すごい不満そうに睨み返してきたぞー。
「後で教えてやるから、まずはこっちの解読からやってくれ……」
「解読もなにも意味自体は難なく理解できるだろう?」
そうおっしゃられても、タナトスやら、世界を救えやら、変革をもたらせやら、僕には電波メールにしか思えません!
悔しかったのでもう三度読み返してみるものの、全くもって僕には解読不能だった。
暗号文と格闘している僕を見かねたのか、瀬菜はメール文章を指さして解説し始めた。
「いいか、まず登場人物だ。これは二名、タナトスとヘベ。両名ともギリシャ神話に登場する神様の名前。そしてそれぞれ、死そのものを意味する神と、若さ青春を意味する神だ。おそらく『世界が闇に覆われ、タナトスがヘベを手にかけた瞬間を私は凝視した』は、死神が若い者を殺したところを目撃した、といったところだろう。そのタナトス、つまり犯人を捕まえて学園を平和にしろ、という意味合いだな」
意外と簡単に意味分かるんだなこの暗号文……。
まぁ、僕は解けなかったけどね!
と、自虐的な事は置いといて。
本庄真美が犯人を目撃したってことは、すでに手帳でも確認済み。ここを解読したところであまり意味は無い。瀬菜には悪いけど、必要なのは犯人が誰かという解答だ。
なら自分で解いてみろって言われるだろうけど、こうヒントがないんじゃなぁ……。
もう一回手帳も読み返してみるか?
「ふぅ、これ以上頭を働かせると疲れる。今日はここまでにするとしよう。明日に備えて私は寝る」
お休み、と瀬菜は眠たそうに眼を擦り、デスクから離れた。
そのままごろ寝するかと思いきや、転がる気配はない。
あ、こいつまさか。
瀬菜は僕のベッドへ飛び込んだ。そして、数秒で寝息を立てる。
寝るの早!
っていうか、コイツ学校に忍び込む前も寝てたんじゃなかったっけ? 寝すぎだろ……。
「こっちはショックが大きすぎて眠れないってのに……。まぁいいよ、眠くなるまで手帳読んでるから」
僕は椅子の背もたれに体を預け、破られた手帳をめくっていく。
そういえば中間にあった『翡翠の瞳の死神』の項目までしか目を通してなかったな。後半部は襲われたせいもあって読んでなかったし、これでようやく落ち着いて読めるか……。
読む、と言っても全文を読むわけじゃない。当然パラ見して重要なところだけ探すんだけどね。
おぉ、すごいな。後半部も都市伝説で埋め尽くされて――あれ?
最終ページに近いところで一枚破り取られてる……。
前漫画で同じような展開読んだっけか、ダメ元で試してみよう。
僕は床に放り投げた鞄から筆箱を引っ掴み、中からシャープペンではなく鉛筆を取り出す。
机に戻り、手帳の破られたページの次のページに鉛筆芯の腹を水平に当て、ゆっくり擦っていく。
「ちょっと薄いけど読めなくはない、か」
全ての白紙を鉛筆で塗りつぶすと、何やら文章が浮かび上がった。
都市伝説についてじゃない。
これは――。
僕の心臓の鼓動が一気に早くなる。
『これは私に下った罰なのでしょう。あの時、相沢先輩を助けられなかった罰。先輩を殺した犯人を目撃したにも関わらずそれを公表しなかった罰。でも、公表したら私はすぐに狙われる。殺されてしまう。だから私は皆を頼ります。私の他に先輩が落とされた現場を目撃した三人に頼ります。どうか、私のメッセージに気付いて下さい。私を、真実ではなく偽りの私を変えてください。相沢先輩ごめんなさい、ごめんなさい』
――これは懺悔。そして、救援のメッセージ。
本庄真美も、あいつを助けられなかったこと後悔していたのか……。
僕は動悸を深呼吸して抑え、冷静さを取り戻すことに努力した。
僕には本庄真美のメッセージを受け取らなければいけない義務がある。
あいつを助けられなかった者としての義務が。
奥歯を噛み締めてこの文章に暗号を解くヒントがないか、頭をフル回転させる。
最後の文章……。
「これはメールの暗号にも書かれてたよな。真実ではなく偽りの私を変革させろ。たぶんここが一番の重要個所……。要チェックだ。それと――」
僕は目についた文章を指でなぞった。
目撃者が三人……。ここも気になる。
今のところ事件を目撃したのは僕と瀬菜、それと本庄真美の三人が判明しているけれど。
本庄真美はもう一人目撃している? それとも犯人を目撃者と見間違えたのか?
だとしても本庄真美は本人確認をしていない。そうでなければこんな当てずっぽうなメールを回したりはしない。
僕は天井を見上げて、右手甲で両目を覆う。
最後に本庄真美と会ったことを思い出す。浮かび上がるのは手ぶらで中庭を慌てるように走って行った姿。あの時、学園の憩いの場である中庭で心を癒しにでも来たのか。やはり、あの子は恐怖に怯えていたのだろう……か?
そこで、僕は自分の回想に停止をかけた。
――中庭?
椅子に預けていた体をゆっくり起こし、額に手を当てる。
何故あの場所にいた?
あそこは立ち入り禁止になっているし、そもそも高等部の校舎だ。
それよりも問題なのは……。
「あそこは通り抜けできる場所なんてないだろ……!」
コの字型で設計された高等部のデッドスペースを埋めるために作られた中庭。唯一の欠点は下駄箱から回り込まなければ辿りつかないということ。
確かに面倒で靴を持ったまま窓から中庭に入る生徒もいる。
しかし、本庄真美は中等部の生徒だ。
椅子から降りた僕はデスク脇にある窓に近づき、カーテンを手で払いのけた。
そこからは夜の静かな街中の光景が見え、僕らの通う花月学園の一角も窺える。
本庄真美が中等部に行くために、あの場所と通ることは考えられない。となると僕が中庭に行く前からあの場所にいたとしか考えられない。
ならば、あそこに何かがあるはず。
「明日早めに学校着けば誰の目にも留まらないか」
カーテンから手を離し、外界の景色を遮断する。
「明日も大変そうだし、そろそろ僕も寝よう――と思ったけど、寝る場所ないじゃん……」
ベッドの上では瀬菜が小さな寝息を立てて熟睡している。時折寝がえりをうったり、寝言を呟いたりと、他人の部屋にも関わらずリラックスしきっているようだった。
けれど、ベッドの半分はしっかりスペースが空いていて……。
これはどういうことなのだろうか……。
え? 何? 一緒に寝てもいいよ、的なことですか?
ま、まぁ、瀬菜に、親戚に興味なんて持たないからあれだけど! 寝る場所ないから一緒に寝るしか手段がないかなって思わなくもなかったり! せっかくスペースも空けてくれてることだし、もう眠いし、明日も早いし、よし寝よう。そうしよう。
僕は瀬菜が起きないよう音を立てずにベッドへ潜り込む。
うわ……、寝息が真横から聞こえてくる……。
心なしか女の子特有の良い匂いもした。ちょっとドキドキする。
あー、でももう睡魔が襲って――
――ドン。
痛い……。そして硬い……。
なぜか蹴られて床に落とされた。
くそぅ、と思いながら三度ばかり挑戦してみるものの、すべて蹴り落とされる結果となった。
寝相悪すぎるだろ、コイツ……。あー、くそ、もういいや、眠くなってきたからこのまま寝てやるし。うぅ、床が冷たくて硬い……
こうして女の子と一緒に眠る夢のようなシチュエーションは、五秒足らずで終了を迎えたのだった。