第十一談 対峙
当然のことで勢いよく吹っ飛んだ僕は、近くの机数個を巻き込んで転がりながら床に倒れる。
椅子と机に絡まる形で関節が思いっきり変な方向に曲がったような気もしたが、とりあえず問題なく動くので骨折の心配はないようだ。体中したたか打ちつけたせいでめっちゃ痛いけど……。
それにしても一体全体どうして突き飛ばされ――。
「実は僕って予知能力者だったりするのか……?」
昼間の嫌な予感が的中してしまった。
僕は床に転がった状態で視線だけを持ち上げる。
さっきまで僕たちが立っていた場所。そこに黒い何かがいる。はっきりとは分らないが、黒い外套を被った何物か。
そう。
本庄真美の手記に記されていた『翡翠の瞳の死神』と姿が酷似している。瞳の色までは確認していないから『翡翠の死神』か。
いや、今はそんなことどっちでもいい……! 死にかけたのか僕……。
本庄真美の机に何やら刃物のようなものが突き刺さっていた。
もし、瀬菜が僕を突き飛ばさなければ刺されていたかもしれない。
僕は体の上に乗っかっている机と椅子を適当に退け、跳ねるように飛び起きる。そのとき不意に足元で何かが転がった気がした。
死神は僕には目もくれず、瀬菜を見据えている。
瀬菜も僕を突き飛ばした際に場所を移動したらしく、本庄真美の机から多少なりとも遠ざかっている。
しかし、死神との距離は僅か。ほんの数歩で詰めよれば手が届く。加えてすぐ後ろは窓。それ以上後退することが叶わない状態だった。
死神は机に刺さった刃物を抜くことはせず、次なる得物を懐から取り出した。右手に構える得物。刃渡りは分らないが、三十センチ定規くらいの長さはある包丁のような形だった。
やはり瀬菜に狙いを定めている。
やばいっ……!
死神が動いた。
距離を詰め、月明かりに煌めく刃物を瀬菜目掛けて振り下ろす。
「くっ……!」
防御手段のない瀬菜は体を右に倒し、ギリギリの所で振り下ろされた刃物を回避する。
だが、それだけでは死神の振るう刃物は止まらない。
再び瀬菜を射程範囲に捉え、左斜めから刃物を振り下ろす。
これも状態を横に逸らし回避した――と思われたが、僅かに右腕を掠った。赤いジャージが薄く切れ、白い肌が覗く。
「キシシシシシシシシ」
『翡翠の死神』が気味悪く笑い、愉快そうに刃物が振りかぶられた。
「このっ! 調子に……乗るなよ!」
防御に徹していた瀬菜が動く。
自分の足に構うことなく眼下の机を死神目掛けて蹴り飛ばした。近距離から蹴り放たれた机の角が死神の腹部にヒットする。
その衝撃で死神がふらついた隙を突き、瀬菜は窓際から入口付近まで距離を取ろうと視線を外した。
「キシシシシシシシシ!」
ふらつきながらも死神は一歩前へ動き、瀬菜の腕を掴む。
「……嘘でしょ」
一瞬生まれた隙を突いたつもりが、逆に隙を突かれた形となる。
体の重心を逃げる方向へずらした瀬菜の体に、次の攻撃を要求するには僅かにタイムラグが生じてしまう。
もし、回避行動が取れたとしても、腕を掴まれている状態では――今度こそ次で終わる。
だけど、そんなこと僕がさせるわけないだろ!
「うおおおおおお!」
僕は床を蹴り、右手に持つ武器を振りかぶって真後ろから死神へと飛びかかった。
武器と言ってもリコーダーだけど、長さも硬さもある。リコーダーにするには申し分ない。
それに、死神の態勢も瀬菜と同様、現段階で僕の攻撃を完全に避けられるものじゃない。
それに、ヤツこそ墓穴を掘った。
予想通り死神は瀬菜の腕を離し、僕の攻撃を回避するために後ろへ飛び退く。
それは無理なんだよ……!
後ろへ飛び退いたはずの死神の体が、グイッと元の位置まで引き戻される。
「残念賞だ。私のジャージを切った罪を思い知れ」
さきほどまで腕を掴んでいた瀬菜に自らの腕を掴まれ、回避行動を阻まれた。
死神は瀬菜の手を振りほどこうと必死にもがくが、すでに遅い。
もう僕の射程範囲内に入った。
僕は全力を込めた腕と肩の力、飛んだ反動を余すことなく使い、死神の肩口へとリコーダーを叩きこんだ。
そして前方へ倒れ込む勢いを利用し、右足による回し蹴りを止めとばかりにお見舞いする。
いくら貧弱な僕とは言え、男子の蹴りだ。死神の正体がムキムキマッスルだとしても、容赦なく吹っ飛ぶ。
予想通り、机を巻き込みながら一直線に吹っ飛んだ。
「やったか……?」
まだ警戒は解かない。
アニメやゲームならここで緊張を緩めた瞬間、大惨事が起こるからだ。だけど、今こうやって非現実のような現象と向き合っていると、ゲームもリアルも対して変わらない気もする。
まぁ、ゲームを作ってるのも人間だしね。
僕は右手に持ったリコーダーをそのままに、近くの机から適当な物を取り出す。
筆箱か、丁度いい……。
僕は筆箱とリコーダーを持ちかえ、机に埋もれたままの死神に投げつける。
とりあえず当たるよう、そこまでの威力は込めずに。
しかし、投げつけた筆箱は標的に当たる寸前で叩き落とされた。
「キシシシシシシシシ」
死神がゆっくりと起き上がる。
だが、ダメージがないわけではない。主に僕の打撃がヒットした右肩を庇っているようで、もぞもぞと外套が動いている。
大きなダメージは右肩にしかない。どうやらまだまだ動けるようだ。
僕はリコーダーを右手に持ち直し、応戦準備を取る。
瀬菜も同様に体を横向き変え、いつでも椅子を蹴飛ばせるようさりげなく足の位置をずらした。
一呼吸置いた刹那――。
死神が瀬菜目掛けて突進してきた。
やはり飽く迄も狙いは瀬菜らしい。
瀬菜は自分に向かってきた敵を、僕の予想通り椅子を蹴飛ばして応戦する。
だが、その攻撃は予め読んでいたのか、死神は左腕を盾にして防いだ。
「っ……!」
瀬菜の眼前で刃が煌めく。
まずい……!
僕は咄嗟に手にあるリコーダーを死神の腕へと投げる。命中率は低くなるが、気を逸らせば瀬菜が逃げる隙を作れると考えた。
投げたリコーダーは死神の腕ではなく、偶然にも刃物そのものへと命中。衝撃で刃物が宙へと舞った。
だが、死神は投げつけられたものや、飛んでいった刃物を気にも留めない。
そのまま前へ、瀬菜へと手を伸ばした。
いや、違う。瀬菜じゃない……!
「手帳だ!」
叫んだ僕の声にハッとなる瀬菜は、瞬時に僅かながらも本庄真美の手帳を体に寄せた。
しかし、やはり一瞬遅い。
先に伸ばしていた死神の手が手帳の半分を掴んでいた。
その際、手帳が開いた状態となり、二人はその両端を手に取る形になっている。
「瀬菜!」
手帳が破れないよう注意しろ、という意味で叫んだつもりだった。
その声にまず反応したのは死神。僕が応戦してくると思ったのだろう。手に取った半分を無理やり引っ張り、力ずくで奪う選択をした。
当然、装飾されていようが手帳は紙。そのまま真っ二つにビリビリと音を立てて破けた。
その光景を目の当たりにした死神は、手帳の半分を懐に仕舞い後ずさると、一目散に教室を飛び出して行った。
さっき投げて床に落ちたリコーダーを拾った僕も、教室から飛び出す。
すると、教室の目の前にある窓から四つ先の窓が開いていた。
そこから身を乗り出して辺りを見回すと、校舎から数十メートル離れた場所を死神が走って行くのが見えた。
まだ追えるか? いや、無理か……。
姿を目で追えたのも束の間、黒装束の死神は暗がりに自身を溶け込まして姿を消した。
仮に追えたとしても、まだ凶器を所持している可能性は高い。身の安全を考慮しての追跡中止でもあった。
緊張を解いて僕が教室に戻ると、瀬菜が悔しそうな顔で手帳を見つめていた。
「怪我とかしてないか?」
「ん? ああ。私は大丈夫だ。ジャージを少し切られたが、体までは届いていないよ。それよりも済まない。半分持って行かれた……」
「まぁ、いいよ。大方は読んだんだし。お前に怪我がない方が重要だろ」
軽い口調で慰めてみるも、瀬菜にとってはあまり効果がなかった。
眉間に深い皺を寄せて唇を噛んでいる。
「あの不審者め。こんどあったら容赦しない……」
うわぁ。負のオーラ半端なく滲み出てるんですけど……。
――おや?
苦笑いを浮かべる僕の眼の端に、手帳の一文が入り込んだ。
「ちょっとそれ貸してくれ」
手帳をひょいっと掴み上げ、目を通す。
綺麗に真っ二つにされたおかげで読む分には全く支障はない。
やっぱりそうだ。悪運は強いってことか。
襲われる前まで読んでいた『翡翠の瞳の死神』の後ろ半分がそこには記載されていた。
つまり、奪われたのはほぼプリクラ帳と化している手帳の前半部。残ったのは都市伝説の内容が多く載せられた後半部だった。
「へこむのはもう少し後にしよう。瀬菜、本庄真美が残した手掛かりを使って『翡翠の死神』の正体を暴くぞ」
「どういうことだ? 詳しく説明してくれ」
「もちろん説明はするけど、ここで落ち着くのは危険かもしれないな。とりあえず、家で話そう。家なら必要な物も揃ってるし」
言葉の真意を理解しかねている瀬菜を余所に、僕は本庄真美が残した手掛かりの最後の部分を頭の中で復唱していた。
私はそれを、『翡翠の瞳の死神』の正体を記した暗号として都市伝説を愛する友人へ送る。暗号を見事解き明かしたものだけがこの『翡翠の瞳の死神』の真実へと辿りつける。さあ、私が至った解答へ辿りついてみたまえ。