プロローグ~硝子の棺~
少女の頃の私は、どこか人を食ったようなところがあったらしい。
いつからか子供らしくない子供、と言われた。
物心がついた頃には、両親や妹とは別に暮らしていた。
田舎にある小さな古城。そこは、祖母が相続していた由緒正しい城だった。
もとは王室にも連なる貴族の出だった祖母。私が生まれた頃に祖父は他界したと聞いた。
祖父は、ロシア亡命貴族と聞いている。
幼少時に起きた革命。父親は宮殿が襲撃を受けた際に殺害され、命からがら母親と共に西欧州に逃れ近親者を頼って英国に渡ったのだという。
祖母から詳しい話を私はあまり聞こうとはしなかった。
老女の想い出話より、私はまだ両親に甘えたい盛りだったのだ。
年に数回、両親と妹は城に遊びに来た。
稀にしか会わない娘だというのに、父はひとつ下の妹と私を分け隔てなく愛しんでくれた。なのに、私を産んだはずの母は何故かよそよそしい態度だった。
どう接すれば良いのか分からない。そう言いたげな表情だったのを覚えている。
母との会話はいつから途絶えていただろうか。しかし、幼いはずの私に触れさえしない母に、私は興味を失い、庭で草花や虫、動物と戯れることに一生懸命だった。
母など眼中になかった。
その頃の記憶は、今にして思えば酷く曖昧なような気がする。
思い出そうとしても断片的で、その記憶の意味さえ自分自身わからない始末だった。
そんな私もはっきりとした記憶を思い出すことがある。
覚えているのは、暗い夜空に浮かぶ光のカーテン。
時折、煌めくように揺れるカーテンが反射しているのか、空は緑色のような不思議な色を醸しながら頭上を覆っていた。
凍えるような世界なのに、何故か寒さを感じない。
小さな右手を握る暖かな手。
顔は覚えていない。
金色のうねる様な長い髪がオーロラと重なる。
時々振り返って私を見る眼は優しかったように思う。
他には誰もいない。祖母も、父も、妹も、・・・母も。
連れて行かれたのは、大きなロッジだった。周囲には何もない。生きるものの気配さえ感じない。
(『雪の女王』でもいるのかしら?)
今よりもっと幼い時に読んだアンデルセン童話を思い出す。
酷く荒涼とした場所。
淋しい世界。
でも、哀しくはなかった。
7歳の誕生日は最悪だった。
祖母と両親と妹。毎年恒例の、古城での誕生日パーティー。招待客の大人たちは私とは無縁の人間ばかり。
そして、成長する私を見るたびに囁く。
祖母を憚ってか、ヒソヒソとした会話が会場の至る所から聞こえてくる。
幼い私には理解できないと思って、傍を通っても気にせず話を続けていた。
私は母に似ている。
金色の髪。翡翠色の瞳。
けれど、父には似ても似つかなかった。
黒髪に灰青の瞳の父。妹は、髪の色は父と、瞳は母と同じ。
そして、先日私は父の友人だというこの男に託された。
父は最後まで私を家から出すことを反対したらしい。例え容姿が似ずとも父は娘として愛してくれた。
だが、頑固者の祖母が自らの決定を覆すようなことは決してない。
私が古城を発つ日の前夜、両親と妹はやってきた。
未だ抵抗していた父も、最後には諦めて涙を流し私を抱きしめてくれた。
妹も、私を姉として慕ってくれていた。何かを察したのか、私の後ろを付いて回り、『お姉ちゃまと一緒にいる!』と泣いて離れようとしなかった。見送りに来ても余りに泣き喚くものだから、こっちが哀しくなる暇もなかった。
母も愛してくれていたと思いたい。けれども、家の中で避けていた私の成長する姿を見続けることに耐えられなくなったのだ。
自分の過去の過ちから眼を背けたかったのだろうと気づいたのはいつだったか、それも忘れてしまった。
それほどに、私は幼かったのだ。
彼らと出逢ったときは。
ロッジで出迎えたのは金髪に青い瞳の優しげな女性だった。聞き取り易い英語で語りかけ、私の顔を覗き込み微笑むその様子を見て漸く安堵したのを覚えている。
少女の私は、極度の不安を抱えていた。その不安を女性はあっという間に拭い去った。
温かいミルクは甘く、ビスケットと共に空腹を満たしてくれた。
私を連れてきた男の人は、その女性と親しげに話していた。会話は英語ではなかったように思う。殆ど聞き取れなかったが、中に『カイ』という音に近い名前を聞いた。
(この人が『雪の女王』なのかしら)
とっくに飽きて妹に譲ってしまったアンデルセン童話が何故か頭から離れなかった。
(私も『カイ』と同じだ。連れてこられただけ。自力で探しに来た『ゲルダ』とは違う・・・)
しばらくすると私は部屋に通された。
案内してくれたのは女性。英語で「疲れたでしょう?」「今日はもう眠りなさい」と語り優しく抱きしめてくれた。
甘い花の香りが、ふわっと鼻孔を擽った。
女性が部屋を出て行ってから、改めて振り返り部屋を見渡した。
2つのベッドが並ぶ部屋。デスクと椅子も2つ。壁にはクローゼット。
殺風景な部屋に、男が持っていた自分のスーツケースが無造作に置かれていた。
この部屋が、今日から私の監獄なのだ。
7歳の私は悲嘆などしなかった。
これからの運命を知らなかっただけ、今よりは確実に幸せだった。