エピローグ~生きてく強さ~
いつの間にか眠っていたらしい。
倒したシートを少し戻して、セシルは眼を擦った。見計らったように客室乗務員がお絞りを差し出す。
「何かお飲みになりますか?」
「お水をくださるかしら?」
「かしこまりました」
客室乗務員がカーテンの向こうに消え再びグラスを持って現れるまでの間、セシルは機内の天井を眺めていた。
程好い冷たさの水が喉を潤す。
飛行機は太平洋上空を飛んでいた。
(懐かしい夢、見ちゃったわね)
4年前、ノアと出逢うきっかけとなった事件。
年が明けて、ノアはすぐに渡仏した。3ヶ月もしないうちに彼はICPOの特別捜査官として世界中を飛び回る生活に没頭していた。セシルもまた、ノアがリヨンにいる間はパリにいるようにしていた。
だが、そんな生活など長くは続かなかった。
多忙極まるセシルとさらに忙しいノア。擦れ違うばかりでゆっくり会えても一晩一緒にいるだけで終わってしまうこともしばしばだった。
けれども、2人の仲は冷めるどころか深まるばかりだった。
なかなか会えない。だからこそ、セシルは『裏』の仕事も順調にこなせた。
正反対故に惹かれ合う2人。
(・・・フィロス=ルーベルス、やっぱりあの時も会っていたのね。なのに、どうして忘れていたのかしら・・・)
眼鏡の奥に秘められた冷酷な光。顔を覚えることに長けているセシルでさえ何故か記憶出来なかった顔。
まるで、忘れることを暗示されていたかのように。
フィロスの姿が誰かと重なる。
思い出してはいけない人物と。
そして、思い出して当然の人物と。
(・・・?)
(どうしてアイラを思い出すの・・・? 私・・・?)
セシルの顔から血の気が引く。
彼女に未来を予知するような能力は無い。が、何か厭な予感が頭から離れない。
(・・・何、なんなの・・・? どうして、こんなに嫌なかんじがするの・・・?)
頭を振り、セシルは全てを払おうとする。
何もかも自分の思い過ごしであれ・・・と。
不吉な予感を胸に抱えたまま飛行機を降りたセシルは出口に向かうにつれ、より一層足取りが重くなるのがわかった。
きっとバートが可愛くない顔して仁王立ちしているに決まっている。
(最近すっかり可愛げが無いんだから・・・)
4年経った今では、バートもシンディア財団の有能な人材に育っていた。キャロル不在のときも立派に代わりが勤まるまでに成長している。最近は小言を言わないまでも、冷ややかに一瞥して相手を圧する術まで身に付けてしまった。
(誰に似たんだか・・・)
セシルはなるべくゆっくりと歩いた。視線を左右にやり、目立つ銀髪を探す。
(・・・え?)
セシルの眼に止まったのは、銀髪に浅黒い肌の青年では無かった。
優しさを帯びた鳶色の瞳。
片手を挙げて、彼は微笑んだ。
「お帰り、キャロル」
「・・・ノ、ノア!?」
彼に駆け寄り、なんで・・・と言う台詞を発する前にセシルの身体は抱き寄せられ唇を重ねられた。
「・・・ん、ノ、ノア・・・」
漸くキャロルを解放したノアは彼女をその腕に抱きしめたまま正面から顔を覗く。
「どうしたの・・・? リヨンに戻っていたんじゃ・・・」
「やっとひと段落ついたから休暇を貰って帰ってきたんだ。昨日ね。そうしたら、君が香港から戻ってくる途中だとバートから聞いて迎えに来たんだ」
夢の続きのようだ、とセシルは思った。確かに、この迎えならばセシルが逃げる筈が無い。
「暫くはNYにいるから、その間ずっとキャロルの傍にいるよ」
「本当にっ!?」
「本当。昼も夜もずっと・・・ね」
セシルは再びノアにキスをした。深く、熱く。
2人の濃厚なキスの中にセシルの不吉な予感は融けて消えていった。