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悪魔の御子  作者: 奏響
第5話 摩天楼に降る雪は
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真実を映す鏡(下)

 時間は少し遡る。

 2週間シンディア家の歓迎の騒ぎに巻き込まれていたカインは漸くNYに戻っていた。

 マイケル=シンディアから得た情報はカインの疑惑を確かなものにした。

 空港からバートに連絡したカインは再び頭を痛める結果となった。

「成程・・・俺のいない間はノア=シェルダンがつきっきりの護衛か」

『えぇ、カインさんがいない間です』

 バートの声には棘があった。突然行方を眩ませたことをまだ怒っているらしい。

「悪かったよ。俺も早々に戻るつもりだったんだが・・・如何せんあのパワフルな一家に捕まって・・・」

 勿論シンディア・ファミリーの事だ。

「だいたい、ノアをあの寝室に招き入れたのはセシル本人だろうが」

 危険を承知でセシルはノアに惚れ込んでいることに違いない。セシルのノアを見る眼はかつての自分と同じだ、とカインは感じていた。

 心から人を愛し、想い、恋焦がれる。狂おしいほどに。

 純粋に愛し合う瞬間が、自分たちにとってどれほど甘美であろう。

 死と背中合わせの毎日の中で見つけた安息の場所。

 愛する人を抱きしめ、その胸に顔を埋め、ただ眠る穏やかな時間。

 『仕事』の遂行以上に難しい行為。

 カインはその手から既に失ってしまった時間を、セシルは今、初めて得ている。

 ノアの誠実な眼差しが、真摯な言動がセシルの心を捉えて離さない。

 喩え、滅びへの序章だったとしても、セシルは手放すまい。

 嘗ての自分のように。

 カインは深い溜息をついた。

「バート、前にも言ったが・・・セシルはお前向きじゃあない。傍で眺めるだけにしておけ。でなければ・・・お前が不幸になるだけだ」

 バートをどのように想い、彼の将来について大きな期待と不安をセシルが抱えていることをカインは知っていた。セシルにとって、バートは秘書である以上に弟のような存在でもある。彼の幸せだけを願い、彼の為に出来るだけのことをしようとセシルは心を砕いている。そんな彼女の想いを知っているからこそ、カインはバートを諭そうとした。その恋は決して実らぬ儚い夢だと。

『解っています、カインさん。レディは僕の恩人です。レディとあの時出逢わなければ僕は生きてはいなかった。僕と母を棄てた父と・・・その父に引き取られた兄を僕はもう恨んでもいない。全てはレディに出逢うためだった。そして、僕という人間が生まれ変わるため・・・』

「バート・・・」

『ですが、やはりFBI捜査官が相手というのは・・・。彼は来年にはICPOの捜査官になっているんですよ?』

「セシルの問題だ。俺たちが口を挟む権限は無い」

 カインに言い切られ、バートは漸く口を噤んだ。

「そのセシルに伝えてくれ」

『はい?』

「今夜急にパーティーに出席すると連絡してきただろう」

『はい。財団の運営上の事なのでやむを得ず・・・』

 本当ならばキャンセルしてくれ、と言いたい所だった。だが、カインもセシルの立場は理解している。彼女でなければ務まらないときもあるのだ。

「今夜の内に必ず戻る。セシルに伝えてくれ」

『・・・』

「窓には決して近づくな、と」

『窓・・・ですか?』

「そうだ。頼む」

 カインは受話器を耳元から離そうとしたとき、バートは察知したのか慌てて質問をした。

『今、どちらですか?』

「空港。到着したところだ。ちょっと寄り道していくが、遅くなっても必ず戻る」

 バートの返答を聞く前にカインは電話を切った。

 空港を出て駐車場から軽快に車を走らせ、カインは摩天楼へ向かう。

 助手席にはバートから入手したホテルの見取り図に周辺地図。

「・・・よりにもよって総ガラス張りの天井か」

 カインは信号待ちの最中にチラッと見取り図を見た。

 円形の大ホールは日差しの強すぎる日や雨模様の天気の際には完全に天井を塞ぎ、空の代わりに絵画を見せ、穏やかな晴れ間や夜空のときは総ガラス張りの天井から天体観測を楽しませる趣向だという。

 金持ちの道楽以外の何物でもない。さすがに天井は防弾ガラスでもないらしい。

 車両の流れに沿ってカインは再び車両を走らせる。

 今日のパーティー会場になっているホテルはさほど高層ではない。むしろ1階にある庭園と大ホールを売り物にしているため、宿泊客よりも演奏会やパーティーを開く常連が多い。NYの一等地によくもこれほどまでの広大な土地を所有しているものだ、とカインは呆れたこともあった。

 高さがない分広さがある。そこが売りなのだ。

 だが、逆にホテルの周辺は高層ビルが立ち並んでいる。

 他企業経営のホテル、オフィスビル、アパート・・・。

 カインは今夜のパーティー会場であるホテルの周囲を走った。何軒かのビルの前に停まり様子を窺う。人の出入り、入り口の数、非常階段の位置。

 1時間ほど周囲を走ると、カインは再び別の場所へ向かった。

 感謝祭が過ぎた街は、もうクリスマスのイルミネーションに彩られていた。

 ツリーが飾られ、色とりどりのネオンが光る。

 カインはひとつの建物の前に車を駐車した。

 ショー・ウィンドウに飾られているのはクリスタルの天使たち。

 扉を押し開け、カインは店の中に入った。

 静かなクラッシックが流れ、厳かな空気が辺りを包む。先程のクリスタルの人形に再びカインは見入った。

「May I help you?」

 髪を結い上げた年配の女性が声をかけてきた。カインはニッコリ微笑んだ。彼にしては珍しく。

「とても綺麗な人形ですね」

「Thank you. 実は主人の手作りなのよ」

「ほぉ、なら店内の商品は全て貴方たちの手作り?」

「そうなのよ。プレゼントをお探しかしら?」

「えぇ・・・」

 カインは店内を見渡した。決して広くないスペースだが品のある趣だ。

 夫人と会話をしながらカインはあれこれ手に取りながら商品を選ぶ。

「・・・では、こちらで宜しかったかしら?」

「ありがとう」

 店主夫人に礼を述べ、カインは車に戻った。注意深く助手席の足元に商品袋を置き、後部座席に置かれていたアタッシュケースを手に取った。

 ゆっくりケースを開けながら、カインは中身を確かめた。

 ビル郡の間から覗く空には夕刻が迫っていた。


 珍しく晴れていた昼間とは異なり、夜になると空は雲に覆われていた。

 カインはパーティー会場の周辺ビルのひとつにいた。屋上は思った以上に寒かったが、ついこの前まで滞在していたロシアのことを思えばたいしたことは無い。

 アタッシュケースを開き、カインはスコープから周囲の様子を窺う。高性能スコープはしっかりと会場内のセシルを捉えた。

 ノアとの仲睦まじい光景が飛び込んできた。

「あいつ・・・窓の傍には寄るなと言ったのに・・・」

 とは言え、全面ガラス張りの建物に死角を探すほうが困難だ。

 スコープを下ろし、手早く狙撃銃を組み立てる。銃砲を握り、銃床を頬に引き寄せる。引き金にかけた指に、皮手袋の上からでもしっくりと馴染む。

 銃を握ることに、他人の命を奪うことに、何の躊躇いも無い。

 躊躇いなど生まれようも無い。

 殺さなければ殺される。

 カインの生きてきた道筋は他者の血溜まりで溢れている。

 もしも、セシルが『キャロル』として100%生きることが出来れば、『セシル』として生きた時間を忘れひとりの女性として生きられたら、恋愛も、結婚も思いのままに出来たはずだった。

 セシルが『セシル』としての人生を棄てなければ、いつかノアとの関係に苦しむときが来る。

 いつかの自分のように。

 狙撃銃にスコープを取り付け、カインは再び右眼で覗く。

 セシルではなくノア=シェルダンを見る。

 いっそ彼女が苦しまないように始末してしまおうか。

 失う哀しみをカインは嫌というほど味わってきた。だが、共に過ごした時間が短ければ、忘れる時間も早いはずだ。

 ライならば躊躇わずにあの男の首をへし折るかもしれない。アイラならば毒で瞬殺かもしれない。

 スコープの中で、ノアと踊り始めるセシルの横顔が浮かぶ。

 この上ない幸福の微笑み。彼女のそんな表情をカインは初めて見た。

 引き金にかける指に力を込める。

 銃砲の先をカインは急に45度左方に向けた。

 何軒か隣のビルの屋上に向かって。

 そのビルとの間には少し低層のビルがあり、屋上の高さはカインのビルのほうがやや高い。

 角度を調節し、スコープの中で標的を捉える。正確に、標的の急所を射抜くために。

 静かに引き金を絞り、一気に引こうとしたそのとき。

 閃光が放たれた。

 カインは次の瞬間にはもう撃っていた。標的はそのまま崩れ倒れる。

 落ち着いて再度スコープでカインはパーティー会場を見る。銃弾で砕けたガラス天井と逃げ惑う人々の影でセシルを確認できない。

 舌打ちして狙撃銃をバラし、ケースに収めて足早にビルから出、車でホテルに向かった。

 ビルとホテルの距離は車を飛ばして5分程度のところだった。

 ロビーには逃げ惑う人々と従業員が溢れていた。車をホテルの地下駐車場に突っ込み、カインはホールに急いだ。だが、招待客に阻まれ思うように進まない。

 何とか掻き分けている最中に、カインは異様な匂いを嗅ぎ取った。

 女性の咽返るような香水の匂いや紳士のオードトワレの香りでも葉巻の芳醇な香りでもない。

 カインの最も馴染み深い匂い。

(・・・火薬の匂い?)

 思わずカインは振り返ったが人波に呑まれ、その匂いでさえもあっと言う間に掻き消されてしまった。

(つい、ほんのつい先程発砲したような・・・)

 後方から彼を追い越していく一団があった。5人の救急隊員がストレッチャーと救命用具を抱え走っていく。

 カインはその後ろを付いていくように走った。

 ホールの真ん中、スコープの中でセシルとノアが踊っていた場所にセシルは座り込んでいた。ドレスは血に染まり、血まみれのノアが彼女の両腕からストレッチャーに移され今まさに運ばれようとしていた。

「どういうことだ・・・」

 思わず洩れた一言にバートが振り返った。血の気の失せた顔をカインに向ける。

「Mr. ・・・」

「何故・・・シェルダン捜査官が・・・?」

 ストレッチャーに乗せられ搬送されていくノアがカインの横を通り過ぎていく。追うようにアン=ハザウェイも走った。

 呆然と座ったままのセシルの傍にカインは膝を折る。

 胸元から両腕にかけて、セシルは浴びたように血だらけだった。

 彼女に怪我は無い。

(・・・庇ったのか・・・?)

「セ・・・キャロル・・・」

「私のせいだわ・・・ノアにもしものことがあったら・・・」

 カインはセシルの肩を抱こうとして手を止めた。

 彼女の眼に涙はなかった。

 代わりに噛み締める唇には血が滲んでいた。

「・・・許さない・・・絶対に許さない」

 セシルの視線がきつくカインを射抜く。耳元に薔薇色の唇が近づく。

「・・・狩るのよ、カイン」

「セシル・・・」

「誰であろうと、もう許さない。私だけでなく、私の大切なものを奪うならば・・・生まれてきたことを後悔させてやる」

 両手でカインはセシルの頭を抱き寄せた。

「この手を、この身体を使うが良い。お前のためなら俺は全ての人間を滅ぼす」

 微かに洩れる嗚咽を隠すように、カインはセシルを強く抱き締めた。


 小さな機械音が響く。規則正しく。その音こそ命ある者が生きようと必死にもがく証だった。

 ガラス越しにセシルはチューブに繋がれ機械に繋がれたノアの横たわる姿を見つめていた。

 その痛々しい姿にバートは思わず顔を背けた。セシルは凝視したまま瞬きさえしていないようだった。

 彼女の傍にドクターが近寄る。

「どうなんですか? 先生」

 質問したのはバートだ。セシルは微動だにしない。

「体力のある方ですね。急所は外れていました。銃弾の摘出手術は成功です。完全に回復するには暫くの間リハビリが必要でしょうが・・・この分では早そうです。意識も暫くすれば戻るでしょう」

「良かった・・・」

 ドクターの言葉にバートは心から安堵した。セシルは少しだけ顔を動かした。

「彼の傍にいっても宜しいかしら」

「えぇ、どうぞ」

 断ってからセシルは部屋に入った。バートは遠慮する。

 まだ青い顔をしているノアの頬にセシルは指で触れる。微かに温かい。

「ごめんなさい、こんなつもりじゃなかった。こんなつもりで・・・貴方を護衛にしたんじゃないのに・・・」

 セシルはそっと彼の額に唇を寄せる。

「愛しているわ、ノア」

 彼女の告白に応えるかのように、彼の人差し指が微かに動いた。

 静かにセシルは部屋を出、ドクターに再度挨拶をし、病室を後にした。

 足早に歩く彼女の後ろからバートは慌てたように声を掛ける。

「宜しいのですか?」

「カインは何処?」

 バートの言葉が聞こえなかったのか、セシルは全く違う質問をした。

「え? あの、病院の外にいらっしゃいますが・・・」

 そうこうしているうちに、2人は病院の玄関から出ようとしていた。

 車の横で、カインは煙草を吸っている。

「ノアは?」

 2人の姿を認めてカインは訊ねた。

「大丈夫だそうです」

 その質問にはバートが答える。

 車に乗り込み、バートがエンジンを掛ける。

 後部座席に座ったセシルは隣のカインを見た。

「犯人は特定出来た?」

「あぁ、黒幕は、な。だが、まさか会場内で実行する人間が潜んでいたとは気づかなかった」

「私も同じよ。あんたから『窓』の傍には近寄るな、と言われてワザと目立つように踊ったのに」

「あの天井、ガラスが砕けて衝撃を吸収するタイプだろう。一発だけならば防弾ガラス代わりになる」

「そうよ。カインが狙撃手を仕留めるための布石ね」

 2人の会話を聞きながら、初めてバートは真相を知った。全ては敵をおびき出す為の伏線だったことに。

「けれど、ホール内の人間の中に真の実行者がいたのね」

「と、言うよりは、実行せざるを得なかった・・・が正しいな」

「え?」

 カインの台詞にセシルは驚く。

「どういうこと・・・?」

「あのホールの中にいた人間は、招待客、従業員、マスコミ・・・。俺がホールへ向かう途中火薬の匂いをさせた人間とすれ違った。一瞬のことだったから顔は見なかった。もうひとりの実行犯ならば用意周到に準備をしているはずだ。一歩間違えば誰に目撃されるか分からないような場所で実行には移すまい。結果連中は失敗した」

「・・・・・・」

 セシルは右手の親指の爪を噛んだ。子供の頃から考え事をするときのセシルの悪い癖だ。

「でも、必ず黒幕と繋がっているわ。ノアを傷つけた報いを絶対に味あわせてやる」

 セシルはバートにペントハウスへ戻るよう指示した。

 街は朝焼けに染まっていた。

 セシルの長い一日が始まろうとしていた。

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