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悪魔の御子  作者: 奏響
第5話 摩天楼に降る雪は
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真実を映す鏡(中)

 テラスからホールを眺めるセシルの表情は冴えなかった。

 ホテルの大ホール。豪華絢爛、煌びやかな飾り、最高の酒と食事、集まる上流社会の人間。1年の内に幾度と繰り返される饗宴。

 セシルはパーティーが始まる前からウンザリしていた。

 財団の運営会議から2週間、ホテル部門の再興のため、ルパート=グリーンは的確な指導で運営を建て直し、今日は正式な経営責任者としてのお披露目でもあった。セシルはこのパーティーに華を添える役目を担っている。

 財団総帥が、財団関連のパーティーに出席することは稀になっていた。現・大統領夫妻他政財界との交流、海外事業者との提携、芸術界との繋がり・・・『財団の顔』として、マスコミが集まる場所に登場することが頻繁になってからすっかりご無沙汰になっていたのだ。

 招待客の目当てはルパートではない。シンディアのホテルでもない。

 キャロライン・エリザベス=シンディアその人だ。

 その事実を分かっているからこそ、セシルはこの場から逃げ出したかった。

「バート」

 視線はホールに向けたまま、傍に控えているバートをセシルは呼んだ。

「カインと連絡は取れた?」

「はい、レディが今夜の準備をしている間に。空港からでした」

「2週間も何処をほっついていたのか・・・」

 セシルは小さな溜息をついた。

 よりにもよって、ノアと一晩を共にしたその朝に寝室の電話を鳴らしてきたカインは、その夜再び連絡を寄越した。

 当日にはNYに戻れなくなったという連絡だった。

 マイケル=シンディアとの面会後、邸を後にしようとしたカインはセオドアとパトリシアにバッタリ出逢ってしまったのだ。

 セシルの誕生日パーティーなどで顔を合わせて以来、2人はノエル=キャンドルライトのファンだった。

 簡単な挨拶で済ませるつもりだったカインはそのまま茶に呼ばれ、最近の仕事(勿論『表』)の様子を訊かれ、夕食に招かれテーブルで再会したマイケルを久しぶりに声高らかに笑わせた。

 翌日になっても解放して貰えず、マイケルとセオドア夫婦に振り回され、挙句休暇で戻ってきたブリジットにロサンゼルスの街を連れ回され、2週間後にやっと戻ってきた次第だ。

 カインの事だから手ぶらで戻ってはいないだろう。

 何か必ず情報を掴んでいるはずだ。

 しかし、夜になってもカインは姿を見せなかった。

「何か伝言は?」

 セシルは漸くバートを見た。バートは逆に視線を逸らす。

「表には決して出るな・・・と。ただ、本日のパーティーのことをお伝えしましたら・・・窓際には絶対に立つな、と伝えるよう言われました」

 その言葉にセシルは口許を吊り上げた。

 セシルの背後はテラスの大きな窓だ。

「成程ね・・・さっきから私に張り付いている訳はそういうこと?」

「・・・」

 バートは黙ったまま頷きもしなかった。

 カインのいない2週間、セシルの傍に常にいたのはノアだった。それこそ、ベッドの中まで。

 職場ではアン=ハザウェイも同席をしているのでバートは仕事に専念できたが、ペントハウスに戻ると2人は一緒に寛いでいた。

 むしろノアにセシルがべったりくっついて離れない、としかバートには見えなかった。

 ノアが嫌いなわけではない。バートにとっては好ましささえ感じる相手だ。だが彼とセシルの2人が見つめ合っている。その光景が無性に腹立たしい。

 カインには見透かされていた醜い感情。

「キャロル」

 名を呼ばれ、セシルは振り返った。もう表情は穏やかで柔らかい。

「タキシード姿も素敵ね、ノア」

「冗談言わないで・・・。正直堅苦しくて堪らないよ」

 苦笑気味に、それでもセシルの手を取りその頬に唇を寄せる姿は優雅な紳士以外の何者でもない。

「警備は万全。招待客もFBIがチェック中。いつもどおりに・・・ね」

「Thank you, Noah.」

 セシルは静かに階段を降り始めた。その背後にノアとバートが続く。光の渦の中へ。

 影の主役の登場に、招待客は一斉に拍手する。何人かと握手を交わしながら演台の上に立つルパートと抱き合った。

「ジョナサン伯父様は? ルパート伯父様」

「準備中から姿が見えないんだよ。全く・・・兄さんには困ったものだ」

「まぁ、良いですわ。お客様もお揃いですし、始めましょう」

 セシルはニッコリ微笑んでマイクを手に取った。

「本日はお忙しい中、皆様足をお運び頂き誠に有難うございます。我が財団全米ホテル部門の新しい経営者をご紹介いたします。私の伯父・ルパート=グリーンです」

 セシルの言葉に再び拍手が沸き起こった。

 演壇から下りてきたセシルを多くの人間が囲む。

 その中からひとりの人物にルパートが声をかけ、セシルの前に連れてくる。

「キャロル、紹介しよう」

 ルパートの言葉にセシルは振り返った。

 目の前に突然現れた青年の姿にセシルは息を呑んだ。

「こちらはMr. ルーベルス。フランス部門でも様々な取引をしているレイモンド財閥の総帥・ジャン=レイモンド氏の秘書だ。今日はレイモンド氏の代役で来米されたんだよ」

「初めまして、レディ」

 茶系の髪を緩やかに纏め、細い銀色のフレーム眼鏡は滲み出る知性と美貌を際立たせる。

 何よりもセシルが一目で見抜いたのはその双眸の冷たさ。

 表面では穏やかに微笑んではいるが、瞳は欠片も笑ってなどいない。

(この男・・・)

「ようこそ、Mr. ゆっくりお寛ぎ下さいましね」

 以前会ったことがあるような、そんな奇妙な既視感に囚われながら、セシルは一刻も早くこの男の前から去らねばと思っていた。

 関わってはならない。そんな警鐘がセシルの中で響く。

「レディ、あちらでお客様がお待ちですよ」

 セシルの微かな同様に気づいたかのように、絶妙なタイミングでノアが彼女の耳元で囁いた。

「わ、わかったわ。では、失礼」

 相手に気取られぬようセシルは出来る限りの美しく見える微笑を浮かべ、青年に背を向けてノアと共に歩き出した。

 再びルパートに向き合い会話を始めたことに気づいたが、青年の視線が時折セシルを捉える。

「随分若い秘書だね、彼」

 のん気な口調のノアがセシルには誰よりも安心できた。

(油断のならないひとだわ、あのルーベルスとか言う男)

 何人か顔見知りの貴婦人たちがセシルに声をかけた。またキャロルの微笑を浮かべて相手をするセシルにこの青年のことを考えている余裕は無かった。

 いつしか、青年の存在そのものを忘れた。

 そんなセシルの心を知らないバートは、壁の花のようにただじっとセシルを見つめていた。

 彼女は人前に立つだけで多くの人間を惹きつける。

 誰が理解できるというのだろう。この美しい女王が暗殺者だと。

 バートは招待客の集団に眼を配る。彼でさえ見知った顔ばかりで怪しげな人間はいない。挨拶を交わしながらバートは天井を見上げた。

 シンディアの数あるホテルの中でも有名なホール。天井は開閉式で開くと総ガラス張り。夜空を見上げることが出来る。

 少しバートは不安を感じた。

 カインは窓際には立つなと警告してきた。

 なのに、このホールは窓に囲まれているようなものだ。

(カインさんは何故『窓』と・・・?)

 背後に気配を感じバートは振り返った。

「うわっ! びっくりした」

 行き場の無くなった右手をヒラヒラさせて、エドモンド=パーシーは大して驚いた様子も無く白い歯を見せて笑った。

「久しぶりだな、バート」

 馴れ馴れしい口調にバートは嫌そうな表情を露わにする。

「本日はどのようなご用件で?」

「もちろん、君に逢うため」

 エドの冗談にバートは無言で対抗する。

「真面目だなぁ」

「職務ですから」

 素っ気無いバートの態度に気分を害した様子も無く、エドはカメラを構える。

 ふと、その体格の良さにバートは初めて気づいた。

「ご自分で撮影を?」

「変か?」

「いえ・・・そういう訳では・・・」

 一瞬感じた違和感にバートは寒気を覚えた。

 パーティー会場でキャロルの追っかけの如く現れるエドだが、カメラを構える姿をバートは初めて目撃したような気がした。

 もっとも、ずっと一緒にいる訳ではないので、たまたま出くわしただけかもしれないが。

「ふ~ん」

「・・・何か?」

「総帥殿は、いや、女王陛下はいつの間にか随分美しくおなりになったようだな」

「!?」

 エドの言葉にバートは思わずセシルを見やる。特別変わらない、いつも通りの笑顔の『キャロル』がそこにいるだけだ。

「毎日見ていたら気づかないか? 以前よりもずっと笑顔が柔らかい。前に逢ったときはもっとキツい感じの美女だったが、今はすっかり花の女神の如く女性らしい優美な微笑みを浮かべている。そう、まるで・・・恋をする乙女が如く・・・」

 絶句するバートの様子を楽しむようにエドは小さく笑った。

「その顔から察するに、相手は君じゃないな。俺としては嬉しいけどね」

「何を馬鹿なことを・・・」

「お相手はそう・・・彼かな?」

 セシルをエスコートするノア。スラリとした身のこなし。穏やかなメヌエットに合わせてセシルをダンスに誘う。彼女が人前で踊ることは滅多に無い。

 招待客たちが場所を開け、2人のダンスに注目する。皆がその美しさに溜息を漏らす。

「愚かしいと思わないか?」

 突然低く響くエドの声にバートは自分の耳を疑った。

 その表情には先程までのヘラヘラした愛想笑いは無く、冷たい瞳で優雅に踊るセシルとノアを睨んでいる。

「このホテルから一歩外に出ればさほど遠くない場所にスラム街。ホームレスがたむろし、ストリートチルドレンが凍死する。まともな生活さえ出来ない連中が溢れかえっている大都市に、ほんの一握りの連中が贅に溺れる。君だって昔はそうだったろう?」

 エドの双眸が鋭くバートの両の眼を射抜く。

 この男は知っている。

 バートがかつてスラム街の片隅で病気の母親と共に貧しさの中にいたことを。

 そのことを知っている人間は極限られている。

 シンディア・ファミリーとカインたちセシルの仲間。

「あなた・・・いったい?」

 バートが懐に隠し持っていた護身用の銃に手を伸ばした瞬間、弾けるような音と共にガラスの破片が雪の結晶のように降り注いだ。

「きゃぁぁぁ!!」

 絹を裂くような女性の叫び。天井から降るガラス片を遮るように頭を両手で覆い逃げ惑う人々。

 ガラスが氷の結晶のように輝く。

「レディー!!」

 セシルを呼びながらバートは落ちてくる破片の中に駆け込んだ。割れても丸く粉々になるガラスのため怪我はしないが危険には代わりない。

「大丈夫だよ、バート」

 バートの呼び掛けに応じたのはセシルを庇っていたノアだった。彼には眼もくれずバートはセシルの腕をとる。

「大丈夫ですか?」

「平気よ、それより早くお客様の非難を・・・」

「ルパート様が既に行っています」

 言われるままにセシルはルパートを見た。彼は離れたところにいたため無事のようだった。従業員たちに大声を上げて招待客を奥の間に避難させるよう指示をしている。

「ノア! 平気!?」

 アン=ハザウェイも漸く傍まで到達した。逃げ惑う招待客に阻まれてなかなか進めずにいたのだ。

「怪我はありませんよ、アン。それより狙撃です! 緊急配備を!! ポイントは恐らく・・・」

 ノアは剥き出しになった夜空に浮かぶビル郡に向かって指す。

 アンは無線に向かって叫ぶ。

 突然の渦に飲まれるかのように、慌しさの中でバートの頭は急速に冷え悪寒を感じた。

 周囲を見渡す。

 セシルは砕けたガラス天井を睨みつけている。

「・・・何か・・・変だ・・・」

 異常事態の中の違和感。

 服の上から肌を刺すように冷たい何か。

(そうだ・・・誰かが・・・)

 相変わらず無線に向かって話しているアン。

 ルパートがノアに何か喚き、ノアが返事をしている。

 セシルもルパートに何か叫んでいる。

「怪我はないか? キャロル!!」

「私は無事だからお客様をお願い、伯父様!」

「あぁ、わかっている」

「Mr.グリーン、被害状況を、現段階で構いません。教えてください!」

 すぐ傍で交わされる会話をバートは妙に遠くに感じていた。

 たったひとつの違和感を探り出すために他の神経全てが遮断されているかのようだ。

「貴方は無事ね、バート!」

 セシルに名を呼ばれバートは我に返った。

「は、はいっ! レ・・・」

 振り返った一瞬の視界の中で、バートは鈍い光を見つけた。

 言葉よりも早く、バートは動こうとしたが、自分のいた場所は少し遠すぎた。

 彼よりも早く動いた影があった。

 多分、同じように違和感を感じ、彼女を庇いながら同じように探っていた人物。バートよりも敏捷に動いたのは彼の経験と勘、そして誰かを守ろうとする想い。

 一発の銃声が騒々しさに埋め尽くされていたホールを鎮めた。

 凍りついたように止まった時間。

 ホルダーから抜こうとしていた銃がその手から滑り落ちる。

 カァーンと乾いた音がこだました。

 崩れるその身体にセシルの2本の腕が伸びる。

「いや・・・いやぁー!!」

 力無くその場に倒れこむノアの身体をセシルは必死に掻き抱いた。

「ノア! ノアァ!! 眼を開けて!! ノア!!」

 アンの左手の無線が床に落ちる。

「だ、誰か! 救急車!! いや、その前にハウスドクターを! 早く!!」

 2人に駆け寄るルパートが、遠巻きに眺める集団に向かって叫んだ。数人が慌ててホールから飛び出す。

 パトカーのサイレンが鳴り響き、穴の開いた天井から白い雪がちらほらと降り始めた。

「離れなさい、キャロル。ドクターに診て貰わないと・・・」

 双眸から溢れる涙を拭うことも忘れ、セシルは両腕でノアを抱いて放そうとしなかった。

 到着したハウスドクターは仕方なく、そのままの状態でノアの上着を脱がせ、シャツを裂いた。

「いかん・・・防弾チョッキのお蔭で致命傷にはならなかったが、弾が体内で止まっている。早く運んで取り出さないと・・・一刻を争います! 総帥!!」

 総帥、と呼ばれセシルはビクッと身体を震わせた。

 ノアを抱いていた腕の力が揺るむ。

 ちょうど到着した救急隊員がハウスドクターの指示でストレッチャーにノアを移そうとした。

「どういうことだ・・・」

 聞き覚えのある声にバートは振り返った。

 銀の髪を振り乱し、肩で息をし、紅い眼を見開いたカインが立ち尽くしていた。

「Mr. ・・・」

「何故・・・シェルダン捜査官が・・・?」

 ストレッチャーに乗せられ搬送されていくノアをただ見送るしかないカインはセシルに駆け寄った。

「セ・・・キャロル・・・」

「私のせいだわ・・・ノアにもしものことがあったら・・・」

 カインはセシルの肩を抱こうとして手を止めた。

 彼女の眼に涙はなかった。

 代わりに噛み締める唇には血が滲んでいた。

「・・・許さない・・・絶対に許さない」

 力無く開かれていた手をセシルは握り締める。

 セシルの眼とカインの眼が合う。

 彼の耳元に唇を寄せ囁く。

 その言葉が決して甘いものではない事をバートは知っていた。

 2人の双眸に暗い光が宿る。

 バートは先程の悪寒よりも遥かに冷たい気配を感じた。

 彼は初めて見た。

 何者かがセシルの逆鱗に触れた瞬間を。

 そして、初めて聴いた。

 愛する仲間の為にその手を血で穢す堕天使の叫びを。

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