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悪魔の御子  作者: 奏響
第5話 摩天楼に降る雪は
59/71

秘密を飾る者(中)

 顔を上げたバートは緊張の面持ちで招かれざる客を出迎えた。

 エレベーターの中から現れたのは3人。

 壮年の男が1人、30歳前後の女ともうひとり。

「あら・・・?」

 セシルにはその顔に見覚えがあった。彼女の呟きが聞こえたのか、最後に現れた男がその鳶色の瞳をセシルに向ける。

「・・・?」

 男の方は気づかないらしい。

 セシルは口許に笑みを浮かべた。ちょっと意地悪っぽく。

「先日はお世話になりました。」

 その言葉に他の2人が彼を振り返った。

「総帥と知り合いだったの? シェルダン捜査官」

 女性捜査官が驚いた口調で問い質す姿がカインの眼には滑稽に映る。国家権力を背景に持つ彼らでさえ、シンディアの力はあまりにも強大なのだ。

 しかし、当の本人はしげしげとセシルを見返すだけだった。

 ようやく何かに思い当たったらしく「あぁ」と声を漏らした。

「いつかの、強盗の人質・・・。あの時はどうも」

 幾分間の抜けた返事にカインは失笑した。

 天下のFBI特別捜査官にも色々いるらしい。目の前にいるセシルが、いや、『キャロル』がどういう人物かわかっているのだろうか?

 壮年の捜査官が咳払いをし、改めて身分証をセシルに向かって提示した。

「FBI特別捜査官のブラスです」

「アン=ハザウェイです」

 続いて女性捜査官も名乗った。栗色のショートボブが良く似合い、プロポーションも抜群。すぐにでもモデルに転向できそうな容姿だ。

 ハザウェイの視線がセシルを越え、自分自身へ注がれていることにカインは気づいた。用心をしてサングラスをかけていたのだが却って気を引いてしまったらしい。

 軽く微笑み返してやると、彼女は慌てて視線を逸らした。

 薄っすらと頬が紅く染まる。

(何やってるのかしら、あの馬鹿)

 振り返らなくてもカインがどんな挙動をとっているかぐらいセシルには手に取るようにわかった。

 ライの『遊び』を非難はしないまでも呆れているくせに、自分は口許の微笑で平然と女性を誘っている。意識する、しないに関わらず。

 もっとも、ライと違って行き着くところまでなかなか行かないのがカインなのだが。

「改めて」

 目の前に差し出された右手にセシルは思わず相手の顔を見た。

 にっこり微笑まれて思わずつられてしまう。

「ノア=シェルダンです。よろしく」

「・・・こちらこそ、シェルダン捜査官」

 セシルはいつもの総帥スマイルで握手に応じた。自分ではそのつもりだった。が、バートには彼女の表情がいつもと違う別のものであることに気づいた。

 胸によぎる微かな不安。

 バートは心の内で沸きあがろうとする不安を拭うように小さく頭を振った。

「立ったままではなんですからお座りください。コーヒーでよろしいですか」

「えぇ、ありがとうございます」

 差し出されたバートの右手に従うようにブラスとハザウェイは先程までカインが座っていたソファーに腰を落とした。その隣のシングルソファーにノアが座る。

 セシルが腰を下ろしたのを確認してからバートはカインの傍に近づく。

「新しい飲み物をお持ちします。何が良いですか?」

「同じもので。バートの淹れたコーヒーは気に入っているんだ」

 カインの言葉にバートは微笑んで応えた。

 しばらくして湯気のたつコーヒーをバートが配り終えるのを待ってセシルが口を開いた。

「ご用件はお伺いするまでもございませんわ。先程ファースト・レディよりお電話をいただきましたの。」

 セシルの表情は終始穏やかだ。むしろ、穏やか過ぎるといっていい。

(何を企んでいるのやら・・・)

 カインには背を向けているセシルの顔は見えない。だが、その背中が先程以上の威圧感を放っている。恐らくFBI捜査官といえども逆らうことの出来ない何かを彼らは感じているに違いない。

「申し出はお断りさせていただきますわ」

「しかし、レディ。我々は非公式とはいえ命令に従っております。我々とてこのまま帰るわけには参りません」

 『キャロル』の返答は予め予想されていたのだろう。大統領夫人からキャロルの性格を教えられていたに相違ない。

 ブラスは大して驚く様子も無くキャロルに対して反論する。

「ご理由をお聞かせ願えませんでしょうか、総帥。何故、我々が不要なのか」

 ハザウェイが落ち着いた口調で問う。

 セシルは小さく溜息をついた。

「第一に、このビルには最善のセキュリティを施してあります。シンディアには優秀なSPを投入していますわ。スイスには財団運営のボディーガード養成学校を設け、そこから優秀な者たちを引き抜いています。世界中のVIPからも派遣の依頼が殺到するほどの信頼を誇っていますのよ。」

 差し出された人差し指に、中指が足される。

「第二に、私の身辺には常に秘書のハービッシュがおります。彼は仕事の管理から家事までこなす優秀な人材です。先日の狙撃事件のとおり、身を挺してワタクシを庇ってくれましたわ」

 最後に薬指を出し、セシルはにっこり微笑んだ。

「第三に、そこに腰を下ろしている男。」

 3人の視線が一斉にカインへ注がれる。

「彼はワタクシの幼馴染ですの。小さい頃勉強のために祖父の知人に預けられておりましてね、そこで一緒に学んだ仲ですの。ワタクシも彼も一通り身を守る術は持ち合わせています。彼、ワタクシが危ない目に遭ったと聞いてわざわざパリから飛んできてくれましたの」

 あながち間違ってはいないが大幅な脚色が施されている。

 誰がいつ、誰を心配して飛んできたって? 無理やり飛ばしたくせに。

 カインは心の中で毒づいた。2人っきりになっても絶対言葉には出せない台詞だ。

「彼は・・・?」

「ノエル=キャンドルライト、と申します。紀行作家でして、フランスではここ2~3年売れてきましたの。ですから・・・」

 一度言葉を切り、セシルはコーヒーを口に運んだ。

「いや、我々にも立場というものがあります。」

「そうでしょうね」

 ブラスの言葉をセシルはあっさりと肯定した。

「夫人のお心遣いですし、どうでしょう? おひとりだけワタクシの身辺警護をしていただくというのは」

「ひとり、ですか」

 ブラスはハザウェイを見た。彼女はセシルを見る。

「ワタクシとしては・・・」

 セシルはノアを見る。彼は話の展開についていけていないらしい。セシルをマジマジと見返す。

「Mr.シェルダンにお願いしたいのですけれど・・・いかが?」

「僕でよければ大丈夫ですよ。」

 セシルの指名にノアはあっさりと頷いた。

 ブラスが慌ててノアを遮る。

「シェルダン捜査官はただ同行しただけなんです。本当は別の者が来る予定だったのですが・・・。おい、そうだろう! シェルダン!!」

「でも、とるつもりも無かった休暇をとらされるだけですし・・・」

「彼は1月からICPOに派遣されることになっているんです。」

 2人の言い争いを遮るように、ハザウェイが口を開いた。

「シェルダンは連邦捜査局に入ってからまともな休暇を取ったことがなかったので、長官より派遣までの約2ヶ月間を休むように言われております。」

「アン、僕なら平気ですよ。それに、2ヶ月も仕事を休んだら勘が狂ってしまう」

 ハザウェイの説明にノアは反論した。

 これでは埒が明かない。

「キャロル」

 腰を上げ、カインはセシルの傍に立った。セシルがカインを見上げる。

 やっぱり面白がっている顔だ。

 ようはセシルがFBIをからかっているのだ。体よく追い返すために。

 それだけ、と言う訳でもなさそうだったが。

「Mr.シェルダンに異存が無ければガードして貰えば良いだろう」

「ノエル・・・?」

「他のFBIの皆さんには交代で周辺警護に当たって貰え」

 カインの提案の意図をセシルは瞬時に理解した。2人がにやりと笑い合う。

「それでよろしくて? Mr.シェルダン」

「えぇ、よろしく」

 ノアはセシルに再び握手を求め、彼女はそれに応じた。ブラスとハザウェイは顔を見合わせながら同時に肩を竦めた。


 「貴方のせいですからね、カインさん」

 アタッシュケースを携え階段を下りてきたカインに向かって、バートは不機嫌さを露わにして言い放った。

「・・・随分な言われようだな。俺が気に障るようなことでもしたか?」

 腕に掛けていたコートを羽織り、カインは鏡の前で自分の容姿をチェックする。

「セシルは下のオフィスか?」

「今日は16時から財団会議があるのでその準備です。・・・あの人も一緒に」

 あの人とは、FBI捜査官・ノア=シェルダンのことだ。

 先日の会話から数日後、彼は約束通りいくつかの手続きと準備を済ませ、再びこのペントハウスに現れた。FBIだと聴かされていなければ、ウォール街辺りにでもいそうなビジネスマンのような風貌だった。

 セシルとの打ち合わせでノアは新しく雇った顧問弁護士という事になっている。事実彼は弁護士資格も持っていた。セシルにしてみれば、身辺ガードはノアひとりのつもりだったが、さすがに男では対処しきれない場合もあるため、同席していたアン=ハザウェイが交代で護衛を行うことになった。

 今日の財団会議は言わば経営者会議。

 本来シンディア財団は様々な分野に進出している複合企業でもあり、米国以外には欧州にも進出しパリに欧州支社の拠点を置いている。更に各国の代表ともいえる企業と提携していることで有名なのだ。

 各分野で経営者として働いているのは一部を除いてシンディア家の親戚で占められている。もちろん彼らトップの補佐として財団本体から優秀なビジネスパートナーが派遣されている。

 今日シンディアのNYビルに集まる経営者たちはシンディアの血縁者たちだ。

「会議の場でシェルダン捜査官とハザウェイ捜査官を紹介するそうです。・・・顧問弁護士と秘書として」

 口を尖らせるバートにカインはクスッと笑う。

「何か可笑しいですか?」

「いや・・・」

 普段から大人びた口調・態度を崩すことの無いバートだったが、意外と可愛いところがあるな、とカインなりに新しい発見をしたような気がしたのだ。

「そんなにFBIが気に入らないか?」

「危険だと言っているんです! よりにもよってFBIを傍に置くなんて・・・それも2人も!」

「まぁ、2人になったのはセシルも計算外だったようだな。」

 ハザウェイも護衛に加わることに最初は多少の拒絶を見せはしたものの、結局ノアに説得され了承する羽目になった。

「暫くは『セシル』として仕事はしないだろうし、アイツのことだからボロを出すようなヘマはしないさ」

「・・・ですが・・・」

「護衛が2人になったことは、俺が口を挟んだせいもあるかな? セシルにも言ったが、女の方は俺が気をつけるから心配するな」

 カインの言葉にバートはまだ憮然とした表情を浮かべる。

「あのなぁ」

 呆れるようにカインは溜息をついた。

「・・・セシルはやめておいた方が良いぞ。と、いうかやめろ」

 その言葉にバートは弾かれたように顔を上げた。

(図星か)

 再びカインは溜息をついた。

「お前の手に負える奴じゃない」

「それは・・・」

「確かに世の男どもが先を争って『キャロル』をモノにしようとしているらしいが、バート、お前はそんな阿呆どもとは違うだろう?」

 こくん、とバートは頷く。

「『キャロル』であるアイツに惚れる気持ちもわかる。富・地位・名声を得、知性と美貌を備えたヴィーナス。傍にいて想わずにはいられまい。だが・・・」

 カインは鋭い眼でバートを睨んだ。射抜くような視線に思わずバートの腰が引ける。

「忘れるな。あれは『セシル』だと言う事を。『血の女神』と恐れられ、畏怖される暗殺者だと言う事を」

「・・・・・・」

 バートは視線を落とした。

 カインに面と向かって言われ改めて気づく。

 自分はノアに嫉妬している。あのセシルが自ら招き入れようとし、受け入れようとしているノアを。自分は心秘かにセシルを慕っている。それは事実だ。けれどそれは決して恋愛感情ではない。自分自身にそう言い聞かせてきた筈だった。

 なのに、カインの眼には明らかに映っていた。他の男たちと同じ眼でキャロルを見ていた自分が。

 バートは頭を振った。

「カインさんには適わない。・・・きっと、この4年で僕は忘れてしまっていたんですね。僕が初めて出逢ったのは『キャロル』じゃない、『レディ・セシル』だったことを・・・。」

「・・・お前のためだ」

「分かっています。馬鹿ですね、僕。レディと当たり前のように一緒にいるのは僕だと思い込んでいた。レディが望むならば僕はもう何も言いません。黙ってレディを助力します」

 再び顔を上げたバートは明らかに強がっていた。が、彼は若い。若すぎるのだ。多少キツイ事を言っても理解し立ち直れる。そんな強さもバートの魅力だ。

「・・・悪かったな、知った口をきいた」

「カインさんしか、僕を諭してくれる人はいません」

 にっこり浅黒い顔をほころばせ、バートは「コーヒーでもどうですか?」とカインを誘った。

 バートが傍にいればセシルは大丈夫。

 危険と分かっていても、道を誤ることは無いだろう。

 自分のように。

「折角だが今から出掛ける。帰りは深夜になるだろうから食事の準備も不要だ」

「了解しました。」

「セシルのスケジュールは会議だけだったな?」

「そうです。ビルから出る予定はありません」

 今日は暗殺される可能性は皆無に等しかった。シンディアのNYビルを狙う馬鹿はいない。

 さすがのカインも万全の上に万全を期したようなシンディアビルは遠慮する。

「セシルが戻ったら今夜は遅くなると・・・」

「伝えます」

 バートは深々と頭を下げた。

「いってらっしゃいませ」

 丁寧な見送りを受けて、カインはエレベーターに乗り込んだ。

 1階のロビーまで直通で下りたカインは、サングラスを素顔に押し込み歩き出した。そんな彼を後方から走って追い越す人物がひとり。

「遅いじゃないか、ジョナサン兄さん。もうみんな集まっているというのに。遅刻は厳禁だと昨日電話で話したじゃないか」

「出掛けにちょっとな。そんなに怒るな、ルパート」

 カインを追い越した人物は30歳代半ば、片手を挙げ悪びれた様子も無く笑う男は40歳半ばだろうか。妙にオドオドとして落ち着きが無い。視線をあちらこちらに泳がせ周囲を窺っているようにも見えた。

「メアリー姉さんとアンナ姉さん、従姉弟のマーガレットとマチルダ、スティーブもとっくに到着しているんだよ」

「そう大声を出すな。頭に響く」

「ジョナサン! また飲んできたのか!? 会議の前にはあれ程飲むなと・・・」

「飲まずにいられるか! あんな小娘に馬鹿にされる会議なんぞ」

 並ぶと良く分かるが2人は似た容貌だった。ルパートのほうが性格の良さが顔に滲み出ているが、ジョナサンと呼ばれた男のほうは貧相な、器の小さそうな表情を浮かべている。時々内ポケットのあたりを確かめるように動く左手が目障りだった。

 カインはアタッシュケースを左手に持ちドアに向かって歩き始めた。

 対抗するように2人が歩いてくる。その間も言い争っているようだが、何を話しているかまでは小声なので周囲には聞こえない。

 軽く、ジョナサンの右肩がカインの右肩とぶつかった。

「Sorry, Mr. 」

「No problem. 」

 カインの言葉にジョナサンが口を開く前にルパートが応えた。

「こちらも余所見をしていました。失礼」

「いえ」

 短く答え、カインはドアマンが開いたドアから出て行った。

「人の肩にぶつかっておいて失礼な男だ」

「貴方の不注意ですよ。さ、急いで!」

 ルパートは歩みの遅いジョナサンを急き立てるようにエレベーターに押し込み、会議室のあるフロアのボタンを押した。

 肩越しに2人を盗み見たカインは右ポケットに突っ込んでいた片手を出し、タクシーを拾った。

 ふと、カインが見上げた空は、鉛色に覆われていた。

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