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悪魔の御子  作者: 奏響
第4話 香港狂詩曲
46/71

嘆きの歌声(下)

 壮麗な趣あるレストランのバルコニー席で、黄雷火は慣れた手つきでナイフとフォークを器用に扱う。

 長い髪をひとつに束ねたジャケット姿の彼は雑誌モデルと勘違いされるだろう。

 その向かいには、髪形を変え、化粧を変え、イブニングドレスを纏った聖蘭が楽しそうに微笑んでいた。

 ぱっと見て誰なのかは気づきにくい。

 派手に変装をしているわけでもないのに、誰も気づかなかった。

「不思議です。何処へ行っても人目を気にしなくていいなんて」

「喜んでもらえれば幸いだよ」

 ライは彼女の腕を取り、タクシーを降りてホテルの玄関に入っていった。

 人気歌手の聖蘭を連れ歩くのは流石に目立つ。

 ライは美星の知人のブティックとヘア・サロンに寄り、聖蘭を着替えさせた。

 外では、彼女のことをセイラと呼ぶ。

「ここのホテルの最上階ラウンジのカクテルは最高なんだ」

 フランス料理の食事を終え、ライは聖蘭を伴いこのホテルまで来た。

 聖蘭は思いの外話好きだった。

 美星との学生生活の話や、幼い頃遊びに行った場所、趣味や特技。

 会話は尽きることを知らなかった。

 ようやく降りてきたエレベーターに乗りこんでからも、2人は楽しそうに会話を弾ませた。

 ライは女性相手ならその話術はたいしたものだった。女性を飽きさせず、巧みに楽しませる名手でもあった。そういった面でカインはライに適わない。

「それで? 美星はどうしたの?」

 昔話を面白がって話す聖蘭にライは時折相槌を打つ。

「それがですね、美星ったらいきなり相手の男にコップの水を浴びさせたんですよ」

 笑いながら話す聖蘭の背後に、上から降りてきたエレベーターが見えた。

「やるな、あいつ・・・」

 何気に視界に入ってきたそのエレベーターを見た瞬間、ライは目を疑った。

 言葉に詰まるほど。

 擦れ違うエレベーター。ほんの一瞬で中にいる人間の顔を認識する。

 銀色の髪が伏し目がちの紅い瞳にかかる。

 こちらには気づいていない。

 だが、それは確かに彼だった。

(・・・カイン?)

 その手前には背の高い茶色の髪の男。

 後姿で顔は見えなかった。

 気づいて再度眼で追ったときには既にエレベーターは離れていた。

「・・・どうかしましたか?」

 ライの異変に気づき、心配そうに聖蘭が見上げている。

「いや、何でもない。それより・・・」

 エレベーターが最上階に到着した。開かれた扉の向こうは薄暗く、小夜曲が流れている。

 ライは聖蘭の手を取り、エレベーターから降りて耳打ちした。

「敬語は止めてくれないか? セイラ」

「でも・・・」

「頼む」

 微笑を向けるライに聖蘭は黙って頷いた。

 夜景の良く見える窓際のカウンター席を選びカクテルを注文する。

(あれは・・・確かにカインだった。いったい誰と・・・?)

(それ以前に、あいつ午前中から出掛けた筈だ)

(何故、こんなところに・・・?)

 ライもまさか、その席に先ほどまでカインとフィロスが座っていたなど夢にも思わなかった。

 運ばれてきたカクテルグラスで小さな乾杯をする。

 聖蘭の手にはMoulin Rouge、ライはKirを選んだ。

 しばらくは夜景とカクテルを楽しみながらピアノの調に聞き入っていた。

 話しているうちに互いの趣味の共通点に驚きながら、ライは美しい聖蘭の横顔に魅入った。

 多くの女性と恋の遍歴を重ねてきた。極普通の一般女性もいれば、女優やモデル、仕舞いには娼婦に至るまで。

 だが、本気ではなかったように思える。

 楊明鈴との恋愛ですら。

 本気だったならば、月香と結婚すると聞いたとき力ずくで奪いにいった筈だ。しかし、ライはしなかった。『彼女の本当の幸福』などと言い訳をして。

 ライの視線に気づいたのか、聖蘭がライを見た。

 濡れた黒曜石のような瞳。

 気づいたときには口唇を重ねていた。

 甘い。

 少し離し、再度重ねる。

 聖蘭も抗うことをせず、静かに受け入れる。

「・・・2人っきりになりたい」

「・・・私も」

 後は言葉など要らなかった。

 きっと出会ったときから惹かれ合っていた。

 ――― 彼女は、危険だ。

 月香の言葉。

 切ない瞳で、ライの心を見透かすように紡がれた言葉。

 あぁ、そうだ、と、ライは心の中で賛同する。

 危険、だからこそ甘い。

 もしかしたら、聖蘭は明日殺害しなければならないかもしれない。

 PEOと同じ成分の麻薬を所持していたのだから。

 けれど、もうそんなことはどうでも良い。

 急遽ラウンジから部屋を取り、その部屋の扉を閉め、ライは聖蘭を掻き抱く。

 何度も口唇を重ね、髪飾りを取り、ドレスを剥ぐ。

 薄明かりの下で、露わになる肢体にライはゆっくり指を這わせる。

 生まれて初めての感触。

 本気の恋。

 例え、その結末が史上最悪だとしても。

 2人はただ求め合い、快楽に身を委ねる。

「・・・セイラ、愛してる」

「・・・・・・、メイ・・・」

 ライを呼ぼうとした聖蘭の唇に人差し指を宛がう。

「2人だけのときはこう呼んで」

 彼女の耳元に唇を這わせ、甘く囁く。

「・・・わかったわ・・・ライ」


 パリの自宅ならば、朝帰りなど当たり前だったが、香港の実家にいるときは一度もしたことはなかった。午前8時を回っていたが、気にせずライは神家の玄関を開いた。

「あら? 今頃お帰り?」

 偶然通りかかったアイラがからかう様に笑う。「まぁね」と、はぐらかしながらライは自室へ入り、バスルームでシャワーを浴びる。

 聖蘭との一夜は神聖だった。

 一夜を共にし、朝食をホテルで済ましてから彼女の自宅の傍までタクシーで送っていった。

 玄関まで送ると言うライを聖蘭は最後まで拒んだ。

「気にしないで。父が怒るのは私を心配しすぎるだけなのよ」

 タクシーの外でもう一度接吻を交わして、彼女を見送った。

 彼女を愛している。

 彼女も愛していると言った。

 彼女の全てが愛おしい。

 これが、『恋』なのか。

 昨夜を思い出しながら、ふと銀の髪が甦る。

「・・・あれは、カインだった」

 他に、あんな姿の男はいない。

 なら、傍らに寄り添うように立っていた男は?

 シャワーを止め、バスタオルで身体を拭き、着替えて居間へ降りるとリザがコーヒーを淹れていた。両親と美星は既に出かけた後らしい。

 眠そうな顔でカインがソファーに身を沈めながらコーヒーを飲んでいる。

「・・・カイン」

「よぉ、おはよう。昨夜は楽しんだか?」

 軽いジョーク。

 だが、はぐらかされたようにライには聞こえる。

 昨夜、何処にいた?

 と、ライはカインに聞けなかった。

「野暮は聞くなよ」

 リザからコーヒーを受け取りながら、ライは笑った。

 必要ならばカインが話すだろう。

 そう、思い直した。

「カイン! あんたどっからこの情報を仕入れてきたのよ!!」

 突然扉を開き開口一番叫んだのはセシルだった。

 セシルの言葉の意味がわからず、ライは彼女の後ろから現れたZを見る。だが、Zも両肩を竦めるだけだった。

「どうしたんだ? セシル」

「あら? あんたいつ帰ってきたの?」

 ライを見て改めて彼の帰宅に気づいたらしい。セシルはどっかりとソファーに腰を落とすと両腕を組んだ。

「・・・ライ、あんたセイラ=ジーナスと一緒だったんでしょ?」

「あぁ」

 じろりと睨むようなセシルの視線にライは一瞬たじろぐ。

「だったら、あんたは今回手を引いたほうがいいかもしれない」

「・・・どういう意味だ!?」

 ライは飲み干したコーヒーカップをテーブルに叩きつけた。セシルを睨み返す。

「PEOと姫眞麻、さらには裏社会まで見事に繋がったわ。そのキー・ポイントがセイラ=ジーナス」

「まさか・・・彼女は薬を持っていただけだ」

「でも使用していたわ」

 いつの間にかアイラが段ボール箱を抱えて入ってきた。ダンボールの中にはさまざまな化粧品や健康食品が並んでいる。

「これが、珍珠化粧品公司の商品。微量だけれどPEOと同様の成分が検出されたわ。こっちの健康食品とスポーツ飲料も同じ。これを常用すれば麻薬と知らない人間でも中毒になる」

 ライは頭を抱え、ソファーに座り込んだ。

 知らないうちに、事態は最悪の道を進んでいた。

 聖蘭の笑顔が脳裏に甦る。彼女の全てが偽りなのだろうか?

「・・・順を追って話してくれ」

 覚悟を決めたように、ライはセシルを見た。

 セシルは静かに頷く。

 彼女の口から語られたことは、カインが持ち帰った情報だった。

 姫眞麻の挫折と再起、聖蘭のデビューと人気を利用した麻薬売買。香港中にPEOを浸透させようとする方法。そして裏社会で行われる狂宴。

「人身売買? えげつねぇ」

 Zが顔を歪めた。

 上流階級の人間が金で麻薬と人間を買い求める場所。

 その秘密クラブがかつての九龍街にほど近い郊外に存在している。

「そこで売られていく男女はどれもセイラ=ジーナスのコンサートに招待され、拉致され、麻薬付けにされた金持ちの玩具だ。使い物にならなくなったときには捨てられ、また新しい人間を求めにくる。買った人間を飼いならすのに必要なものがPEO」

 カインは秘密クラブの存在を説明した。

「そのクラブに聖蘭も噛んでいるのか?」

 ライは恐る恐るカインを見た。

 カインはゆっくり頭を横に振った。

「恐らく、彼女は本人も知らないうちに関与させられている。PEOは本来二つの人格を形成するためのものだ。その二つの人格を行き来する道具が赤と白の薬。セイラは俺たちが初めて会ったとき・・・所謂『白の人格』だった。そして、姫眞麻に組しているときのセイラは『赤の人格』。白は聖女のように、赤は娼婦のように人格が形成されていた」

「私が米国公演で見たセイラは『赤の人格』だったのね」

 カインはセシルの言葉に頷いた。

「だが、俺たちの来訪で姫眞麻たちの計画が狂い始めた。セイラの・・・PEOによって深層へ追いやられていた『本来の人格』が覚醒した。アイラが与えた鎮痛剤のせいで」

 あ、とライは小さな声を漏らした。

 確かに、あの夜からセイラは変わったと美星が言っていた。いや、むしろ高校時代・・・デビュー前の彼女に戻ったと。

「・・・彼女をうちまで連れてくるべきだった・・・」

 ライは今朝彼女を自宅まで送ったことを後悔した。

 今頃、彼女はどうしているのだろうか?

「ひとつ言えることは・・・」

 カインがライを見た。

「セイラは危険な状態にある。ライと関係を持ったことを父親が見逃すはずはない。薬を拒否し続けているのも今のセイラを見ればわかる。やつらには時間がないはずだ、麻薬ルートもタイが潰され、日本ルートの幹部・滝川が殺害され、次は自分だと焦っているはず。強硬な手段を使ってでもセイラに薬を投与し、次の競売を始めるだろう」

「・・・・・・」

「姫眞麻は最後にひと稼ぎをして香港を脱出する算段だ。ならば、邪魔になるものを売り払うはず。・・・最高の金額でね」

「・・・聖蘭を・・・?」

 カインは頷いた。

「彼女を助けるか殺すかは別にして、その秘密クラブに潜入しなければ姫眞麻を殺害できないわ」

 セシルの言葉にカインは無言で頷く。

 チャンスは一度。殆ど表に表れないあの男を殺す一瞬のチャンス。

「・・・渡りは俺がつける」

 ライはすっくと立ち上がった。

 その眼の奥には怒りの炎が燃えている。

 Zは背筋がぞっとするのを感じた。熱いまでのライの眼差しが余りにも冷たく感じたからだ。

 危険を冒してまでも、ライはセイラを救うつもりだ。

 Zは胸の痛みを感じた。ライが、遠いところへ行ってしまったような気がしてならなかった。

「渡りって、どうする気?」

 アイラがライに訊く。上流階級のしかも裏社会に通じている人間しか入れないところだ。

「あいつなら、楽に入れるさ」

 ――― 僕にできることなら、なんでもする。

 月香の言葉をライは思い出した。

 香港最大の財閥。かつて、裏社会を牛耳った一族の末裔。

 彼の心を、想いを知りながら、ライは利用することを決めた。

 それが、唯一月香にしてやれる甘えだと思いながら。

 月香に連絡をつけてくる、といってライが部屋を出て行った後、カインも一眠りしてくると言って自室へ戻ろうとした。

 部屋の扉を開こうとしたとき、カインは自分の背後を振り返った。

「・・・何か用か? セシル」

 無言で立っていたセシルにカインは一瞥をくれる。

「・・・まだ、質問の答えを貰っていないわ」

「質問?」

「何処で、あんな情報を入手したのか? よ。私やアイラ、Zが集めた情報では人身売買や秘密クラブまで掴めていなかったわ。誰から仕込んできたの?」

 セシルの質問にカインは口を閉ざした。

 少し伏せ目がちに、しばらくして顔を上げる。

 紅い瞳がふと切なげにセシルを映す。

「・・・ニュースソースは明かせないな」

「カイン!?」

 部屋に入ろうとするカインの腕をつかんだセシルに、彼は言葉を続けた。

「身売りして得た情報だ。有効に使ってくれ」

「身売り? 何言って・・・誰と、会ったの!?」

 カインは無言のままセシルの腕を払い部屋の扉を固く閉ざした。

 扉の向こうでセシルがノックし続けるがカインは答えなかった。少しして、静かになり、カインは扉の前に座り込んだ。

 言える訳がない。言えば、セシルたちを余計な危険に巻き込む。

 フィロスの笑みを思い出す。

 冷酷では無く、優しく、そして淋しげな笑顔。

 あの笑顔がカインの中の何かを呼び覚まそうとしていた。

 触れた口唇。

 絡めるように注がれる視線。

 一瞬のフラッシュバック。

 雪の降る街中。

 巨大で、少し古ぼけた、何処までも続くコンクリートの壁。

 ・・・違う。

 違う。

 チガウ。

 ・・・・・・チガワナイ。

 カインは両腕で頭を抱え、口唇を噛んだ。

 今は、まだ、言えない。

 心の中で、そう呟きながら。

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