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悪魔の御子  作者: 奏響
第4話 香港狂詩曲
45/71

嘆きの歌声(中)

 太陽もようやく西に傾き、茜色の空が香港を覆う頃、ようやく『九龍寓話』の本日の撮影が終わった。

 お疲れ様、と口々に労い合うスタッフはそれぞれ撮影機材を片付け撤収し始めた。

 リザも両手を天へ向かって伸ばした。

 ずっと見ているだけだったが、意外と疲れるもの。だが、カインの頼みごとだけに苦ではなかった。

 今朝起きて、シャワーを浴びて出た所へカインがリザの部屋を訪れたのだ。

 ノックの音に向かって『Who?』と質した返答がカインの声だったとき、リザは思わずドキッとした。

 同じ部屋で寝起きをしていたのだから別段ドキドキする必要はなかった。

 けれど、今自分はタオル一枚を身に纏っているだけ。

 何か羽織るべきだったのだろうが、カインをドアの向こうに待たせるのが咎められ、思い切ってそのままの姿でそっと扉を空けた。

 案の定、カインはリザのあられもない姿に目を見開いた。

「・・・今、シャワーを浴びたばかりで・・・」

「あ、あぁ」

 カインは扉を余り開けすぎないように身を滑り込ませ、後ろ手に扉を閉めた。

「・・・・・・」

 カインは眼のやり場に困っているのか、リザを見ずに思わず扉に向き直った。

 その耳は真っ赤になっている。

 銀髪と、白い肌には余りにも目立つ。

 思わずリザはくすっと笑う。

「ごめんね、すぐに着替えるから・・・こっち見ないで・・・ね?」

「あぁ・・・」

 ぱさり、とタオルが床に落ちる音が聞こえた。

 肌と布の擦れる音がいやに耳に響く。

 カインは思わず口を手で覆った。

(まるで高校生のようだ・・・)

 もちろん、10代の頃がカインにも無かった訳ではない。だが、あの頃はもっと荒んでいた。今よりひどい生活を過ごしていた。

 まともな少年時代を過ごしていたなら、こんな気持ちも懐かしく感じるのだろう。

 が、今のカインにはむしろ新鮮だといえる。

 スカートのジッパーを上げる音が聞こえ、カインは安堵した。

(・・・らしくねぇ)

 カインだっていい歳をした男だ。それも『こんな』容姿だ。普通であろうとなかろうと女が放っておかない。

「待たせてごめんね」

 リザの言葉にカインはようやく振り返った。

 薄手のノースリーブのブラウスにミニスカート姿で、リザはカインを見上げている。

「疲れていないか?」

 カインは左手をリザの頬に添え、右手でその髪をそっと梳いた。

「平気よ」

 澱みのない答えにカインはそっとリザの額にキスをした。

「頼みがある」

「・・・どんな?」

 カインがリザにそんなことを言うのは初めてだった。

 両肩に添えられたカインの手。真っ直ぐに覗いてくる紅い双眸。

 リザは目を離せずにはいられなかった。

 カインの眼差しと、必ず視界に入る彼の左耳の紅いピアスから。


「セイラー! メイシーン!! 今日はもうお仕事終わり?」

 リザはスタッフの輪から離れて歩いてくる聖蘭と美星に向かって手を振った。

 その声に気づき、2人も手を振り返す。

「えぇ、もう終わりよ」

 聖蘭はにっこり微笑んだ。夕陽が彼女を照らしている。

「今日は本当に発作も起きなかったし、監督も今日は表情が最高に良かったって誉めていたわよ」

 美星が自分のことのように嬉しそうに聖蘭の肩を叩く。

「ありがとう。今日はとても気分が良かったの」

 その言葉は真実だった。

 いつもならば、撮影中にいつ起こるかわからない発作に怯えていた。演技の最中でも、頭の片隅ではそのことばかり気にしていた。

 時として、演技に身が入らないほど。だから、精神安定剤代わりに父親から渡された薬を飲んでいた。それが無ければ何もできないぐらいになっていた。

 でも、今日は爽快だった。

 こんなに演技に集中できたのももしかしたら初めてだったかもしれない。

 ふと、美龍の顔を思い出す。

「・・・お礼をしなきゃ」

「何か言った?」

 小さな呟きを美星に問われ、慌てて聖蘭は首を横に振った。

「なんでもな・・・」

「お疲れ様です。じゃ、今日は皆で食事に行きましょうか!?」

 聖蘭の言葉を遮るように突然、成青飛が現れた。

 今時の若者らしい服装が良く似合っている。

「もちろん、お嬢さんも」

 馴れ馴れしくリザの肩に手を回す青飛に美星は「触るんじゃないの!」とその手を叩いた。

「再三言ってるでしょ! この子は神家の大事なゲストなんだから!」

「お世話になっている神家のお客様なら、僕も・・・」

「必要ないわよ!」

 美星と青飛のやりとりは既に漫才のようでもあった。「いつもこんな感じなのよ?」と聖蘭がリザに耳打ちする。聖蘭はどこか楽しげだった。

 綺麗だな、とリザは思う。

 その微笑が。

「じゃ、彼女に決めてもらいましょう!」

 突然、2人の会話の矛先がリザに向けられ、当の本人は驚いて目を丸くする。

 リザの表情に、聖蘭は悪いと思いながらも笑ってしまう。

「僕の知人の店があるんだよ。美味い店でね。是非ご一緒・・・」

「そんな危険な申し出は丁重にお断りさせてもらおう」

 くすくす笑う声の後に明朗に響く言葉が青飛の背後から続く。

 聖蘭は思わず振り返った。

 その横顔から、リザは彼女の真実の心を見抜いた。

 まさに、女の勘と言うべきだろう。

(・・・セイラは・・・ライさんのことが?)

 モニターの中で見せた聖蘭の表情とは違う、素の、本当の彼女。

 だが、ライはまだ気づいていないのか、青飛のシャツの襟首を掴むとにっこり微笑んだ。

「リザにもしものことがあったら、俺はアイツに殺されるんでな。ほれ、お前さんのマネージャーがさっきからこっちを睨んでるぜ」

 言われて青飛はギョッとした。確かに、女性マネージャーが眼鏡の奥の瞳を光らせてこっちを見ている。

 何せ成青飛は売れっ子スターだ。今の彼にスキャンダルほど危険なものは無い。

 「また、次の機会にね」とリザに手を振りながら青飛は全速力で駆けて行った。

 馬鹿な奴、と笑うライの横顔を、聖蘭はまだぼーと眺めている。

 その視線にやっと気づいたのか、ライはようやく聖蘭を見、また微笑んだ。

 一瞬にして聖蘭の頬に朱が差す。

「え?」

 彼女の様子にライも思わず赤くなった。

 どうも2人して照れ合っているらしい。

 その光景を唖然としながら見ていた美星はなにやら思いついたらしく、にぃ、と口許を吊り上げた。

「兄さん、せっかく来たんだから、聖蘭と食事にでも行って来たら?」

 美星の言葉に2人は同時に彼女を見た。

「美星?」

「聖蘭は昔から兄さんの小説のファンなのよ。今回の舞姫役だって聖蘭は物凄くがんばってオーディションで勝ち取ったんだから。もっとも、聖蘭も有名人だから周囲に判らないように連れて行ってよね」

「美星っ!」

 益々真っ赤になって「やめて」と言う聖蘭を黙殺して、美星はリザの手を取って2人に背を向けようとした。

「お、おいっ! お前たちはどうする気だ」

 戸惑いを隠せないライは慌てて2人を引き止める。

 リザはライと美星を交互に見やりながら、美星の思いつきに気づいた。

「大丈夫です、ライさん。先に帰りますから。ごゆっくりして来て下さい」

 バイバイ、と手を振りながら去っていくリザと美星を再び呼び止めることも出来ず、ライは呆気にとられたまま突っ立っていた。が、そのうち軽く肩を竦め聖蘭に向き直った。

「折角だし・・・じゃ、行こうか?」

「え?」

 右手を差し出し、微笑を向けるライに聖蘭は困惑した。

「・・・君の迎えが来ないうちに」

 悪戯っぽく笑うライの表情はまるで少年のようであった。親近感を覚えた聖蘭は「はいっ」と頷いて彼の手に自分の手を重ねた。


 百万ドルの夜景。

 その言葉をまさに体現する街を見ながら食事をするなど贅沢の極みだろう。

 だが、今のカインにとってはそんなもの屑以下だった。

 その原因が目の前で優雅に杯を揺らす男のせいだとわかっていたとしても。

「中国酒はお口に合いませんか? でしたらワインでも」

「いや、結構だ」

 カインは注がれた杯の中の茶色の酒を一口で飲み干した。

 置いた途端、給仕の女性が新しい酒を注ぐ。

 良い酒だが、現在の状況では美味さも半減する。

 運ばれてくる料理は超一流の広東料理。

 何が哀しくて、『この男』と差し向かいで食事をする羽目になったのか。

 カインは今更ながら後悔した。だが、既に後の祭りだ。

「貴方と食事ができるなんて夢のようですよ」

「・・・俺も同じだ、フィロス」

 まさに、悪夢。

 続けようとしてやめた。

 ビクトリア・ピークに呼び出され、罠だと思いつつも飛び込んだ。

 PEOとその麻薬を売り捌く組織。見え隠れするフィロス=ルーベルスとの関係。

 自ら探ろうと思った。

 しかし、フィロスもそう甘くは無い。

 優雅に箸を動かし、食事を楽しむ。

 男2人の食事風景とは思えないだろう。

 探る隙などありもしない。

 彼は身売りした気分だった。

 もっとも、そんな仕事の仕方は初めてである筈も無かったが。

 カインは初め、箸を取ることを躊躇った。

 その様子に気づいたフィロスはくすりと笑い、こう言った。

「わざわざ毒なんて盛りませんよ。貴方の身体に薬が効きづらいことはノルウェーで実験済みですしね」

 その言葉にカインは表情を曇らせた。

 麻酔で動くことさえままならない状態のカインに、フィロスは何をした?

 無意識のうちに左耳を弄る自分に気づく。

 いつの間にか癖になっているらしい。

「・・・いい加減本題に入ったらどうだ?」

 あらかた食事を終えていたカインは殺気を込めてフィロスを見つめる。

 その視線にさえ、フィロスは微笑を向けるのだ。

 何をしても無駄ですよ、といっているようにも見える。

「こんな人の多い場所で、様々な人種のいる場所で、密談はできませんよ?」

 カインは横目で周囲を窺う。

 確かに、レストランのフロアは音楽と話し声が聞こえるが、静かなものだった。何を話していても人の耳に入りそうだ。

「できれば・・・私の部屋でゆっくり、夜景を楽しみながら話をしたいですね。もちろん、2人っきりで・・・」

 がたっ、とカインは椅子から腰を上げた。

 無言でフィロスを見下ろす。

 カインの様子にフィロスは面白がっているのかくすくすまた笑う。

「冗談ですよ。真に受けないでください。この上にラウンジがあるので、そちらでカクテルでも傾けましょう。そこなら、何を話していても誰にも咎められませんから」

 フィロスもゆっくり腰を上げた。

 ふと、視線が合う。

 その瞬間、フィロスの目元が緩む。

 穏やかな、という形容が一番相応しいかもしれない。

 そんな眼だった。

 カインは思わず視線を逸らす。

 わからない。

 カインにはフィロスの真意が見えなかった。

 過去2度逢った。

 2度とも銃口を向け合った。

 2度とも、犯すように奪われた口唇。

 向き合って食事のできる仲ではない。

 殺し合ったのだ。

 なのに、どうして?

 傍から見れば男2人で食事をしている。

 そして、今、薄暗いラウンジで、眼下に広がる夜景を背景に運ばれてきたカクテルグラスを見つめている。

 奇異な光景。

 窓に面したカウンターに運ばれてきたカクテルグラスにそっと手を伸ばす。

 鮮やかな、透き通るようなオレンジ色。

 選んだのはフィロス。

 当の本人は、紅いスノースタイル・カクテルだった。

 一口、ゆっくりと喉を潤す。

 フルーティーでありながらブランデーの芳醇な香りが心地よい。

「Between the Seetsです」

 フィロスはカクテルの名をカインに教えた。

 本当はその名前のとおり私の部屋のベッドで飲んで欲しかったんですけどね、と、またカインの神経を逆撫ですることを言う。

 フィロスは自身の為に選んだカクテルを見つめる。

 Kiss of Fire。

 炎のような接吻を楽しむように笑みを浮かべながらフィロスはカクテルグラスに唇を寄せた。

「・・・何故、俺を呼んだ。お前たちには目障りのはずだ」

 カインは視線を夜景に向けたまま口を開いた。

 その横で、フィロスは笑顔のままカインの横顔を見る。

「最初はね。・・・貴方の睨んだとおり、私はPEOに関わっています。いや、むしろその組織の中心が私です」

 余りにもあっさりと明かすフィロスにカインは目を丸くした。

「・・・まぁ、聞いてください。我々はただ資金繰りの為にやっていたんです。日本で滝川龍二が行っていたように・・・ここ香港では姫眞麻が仕切っています」

 フィロスは頬杖をつき、楽しげにカインを見つめる。

「我々は長い間、様々な麻薬で資金を形成してきた。だが、ICPOも馬鹿ではないらしく、メイン・ルートの大部分が摘発を受けた。もう既にタイ・ルートが全滅したのはご存知でしょう?」

 カインは黙って頷いた。

 セシルの恋人、ノア=シェルダンの捜査チームがタイまで足を運んで潰したルートだ。

「滝川と姫は随分焦っていました。いずれ自分たちの所にも捜査の手が及ぶ。そうなったら身の破滅以外の何物でもない。我々も、彼ら有名人から組織の繋がりが明らかになるのは得策でない。それ故、私が日本へ行ったのです。・・・滝川を始末するために」

 やはり、そうか。

 カインは特別驚かなかった。

 そんな気はしていた。

 余りにも、日本での仕事が簡単すぎたからだ。

 フィロスが関わっていたのに。

「つまり・・・俺たちは体良く利用されたわけだな」

「気を悪くしないでください。罪滅ぼしのつもりで貴方を誘ったのですから」

「どういうことだ?」

 カインはカウンターにグラスを置いた。

 ピアノの生演奏が静かに流れている。

「貴方が欲しがっていた情報です」

 フィロスは1枚の紙片をカインの前に差し出した。

「姫眞麻の居所です。彼がどういう人物かはご存知ですよね。表向きは養女を売り出した芸能プロダクション社長、消費者金融会社の経営者、そして・・・珍珠化粧品公司の社長。しかし、裏の顔は、元香港マフィアの幹部。現在は麻薬組織『スネーク・ロード』の香港エリアの支配者。彼は自分の表稼業を利用して麻薬を大量に捌き、更に新たな人脈を取り込みながら、巧みに暗黒街をのし上がった」

 李家に見放されたはずの姫眞麻が香港で再起した本当の理由。

 それが、養女聖蘭とマスコミの利用。

「姫聖蘭ことセイラ=ジーナスは類稀なる美貌と歌唱力で一気にスターの仲間入りを果たした。彼女に憧れ、思慕する男女は少なくない。彼女のマスメディアへの露出はより一層多くの人間を虜にする。そこで、化粧品会社を起こした姫眞麻が次に考えたのは、PEOを香港社会へ浸透させることだった。知っていますよね? PEOは無味無臭で液体に混ぜて内臓や皮膚から取り込むことが可能だと」

「化粧品か」

「そうです。その使用量は僅かですが、使用し続ければ中毒症状に陥る。その化粧品を使用しないといてもたってもいられなくなる。最近ではダイエット食品で過剰摂取させる手段にも出たようですし、彼女が他に出ているCMはスポーツ飲料でしたね」

「飲食物に混ぜることで中毒者を作り出すのか」

 カインは苛立ちを感じつつ、その方法に感心もした。巧くやるものだ、と。

「そこからが肝心です。その化粧品を使用している女性やスポーツ飲料を愛飲している男性の中から年齢層を絞ってあるイベントに招待する。セイラ=ジーナスのコンサートへ特別ご招待、とね」

 もちろん少年少女を選び、そこで姫聖蘭の唄を聞かせながら、さらに強いPEOを与える。

 幻覚作用を引き起こす粗悪なPEOは若者の身体を蝕み、必要以上の薬を求めさせる。

 薬を得るために彼らはどんなことでもしようとする。

「そして、彼らは上流階級の人間どもの玩具にされる。狂乱の宴のね」

「人身売買か」

「最近この香港で行方不明の少年少女増加しているんです。もっとも、その捜査もトップに立つ警察官僚が潰しているんですがね」

「あの、セイラ=ジーナスがそんなことの片棒を担いでいるとは見えない」

 カインはあの聖女のように佇んでいた聖蘭を思い出す。

「貴方の見たセイラ=ジーナスはそんなことしていませんよ。いや、していると自分で気づいてもいない」

 フィロスは飲み干したカクテルと同じ物を再度注文する。

「・・・やはり、常用者か」

 カインは舌打ちした。

 あの赤と白の薬包紙。

 もともとPEOは2つの人格を生み出す薬だとアイラが言っていた。

 早く、聖蘭を助けないと彼女の命が危ない。

「貴方が逢っていたセイラ=ジーナスは大人しく、穏やかで、男の庇護を必要としているような女性ではなかったですか?」

 フィロスの問いにカインは頷く。

「もうひとりの彼女はまったくの正反対です。淫靡で妖艶な毒婦。淫らに男を誘い、滅ぼす女」

 フィロスの表情が今日初めて歪んだ。何かを思い出したかのように。

「私が最も嫌悪する女の類・・・。どちらが作られた彼女なのか、どちらも作られたものなのかそれは私も知りません。その謎の全ては・・・」

 フィロスは先ほど差し出した紙片を人差し指で示した。

「その紙に書かれた住所の建物の中です」

 カインは改めて中を見た。

 とある場所を指し示した住所。

「姫眞麻の麻薬精製所と秘密クラブがあります。後は・・・貴方次第だ」

 そう言うとフィロスはそろそろ出ましょう、とカインを誘った。

 カインは腰を落としたまま、フィロスを見た。

「・・・何故、俺に情報を流す?」

 その質問はフィロスをまた笑わせた。

「言ったでしょう? 罪滅ぼしだと。そして、今日のお礼」

「・・・何?」

「行きましょう」

 カインに背を向け、エレベーターホールへ向かうフィロスの後を彼は慌てて追う。

「どういう意味だ」

 薄暗いエレベーターホールで、フィロスは追いついたカインの腕を突然掴んだ。

 とっさに空いていた手で銃を掴む。

 だが、奪われたのはまたしても口唇だった。

「放せ!」

 乱暴に腕を振り払ったカインは唇を手の甲で拭った。

「3度も・・・」

「いえ、4度目ですよ」

 涼しげにフィロスは言い放った。

「やっぱり、まだ思い出していないんですね」

 その言葉には何処か淋しさが滲んでいる。

 開かれたエレベータードアから眩い光が溢れる。エレベーターの窓越しに吹き抜けになっているホテルが一望できる。

 どうぞ、と招くフィロスにカインは大人しく従った。

「・・・貴方と私が初めて出逢った時のことを思い出してくれたとき、もうひとつのピアスを贈りますよ」

 延びてきた手にカインは思わず身を引く。

 フィロスの指先がそっと左耳のピアスに触れた。

 ぞっとするほど、冷たかった。



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