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悪魔の御子  作者: 奏響
第4話 香港狂詩曲
43/71

家族と友人と(下)

 どれほど眠っていたのだろうか?

 聖蘭は重い瞼をゆっくり開いた。

 見慣れぬ高い天井、白く清潔な壁、柔らかなシーツ、そして何処からか漂う芳しい香り。

 ここは・・・何処?

 上体を起こし、聖蘭はようやくここが神邸の客間であることを悟った。

「私・・・いったい・・・?」

 気づいて初めて、聖蘭は事の重大さを知った。

 いつ、眠ったのか。いつの間に、この部屋のベッドに入ったのか、記憶がさっぱり無かった。

「・・・薬」

 聖蘭は思い出して右手をサイドテーブルの上に延ばしかけたとき、すぐ傍らに人がいることに気づいた。

 延ばした指先が、柔らかな黒髪に触れる。

 ベッド脇でうたた寝しているのはライだった。

 いつからそこにいたのだろうか? 肩に掛けられていた毛布がずり落ちている。

「・・・お兄さん?」

 戸惑いを隠せない聖蘭の声に、ライは目を覚ました。

「・・・あ、起きたのか? 気分は? 吐き気は無いか? 喉渇かない? 何か水でも・・・」

 矢継ぎ早に喋るライに聖蘭は口を挟めずにいた。

 ごく自然に、当たり前のようにライは聖蘭を気遣う。

「あ、あの・・・私・・・」

「うん? 昨日パーティーの途中で急に倒れたんだよ。今、エレーナを・・・俺の友達で医者なんだ、呼んでくるから少し待ってて。大丈夫、彼女は名医だから」

 そう言い残して扉の向こうに消えたライは、すぐさまアイラをつれて戻ってきた。

 困惑したままの聖蘭の顔色をアイラは朝日の差し込む部屋の中で窺う。

「熱は無いようね。脈も・・・正常。嘔吐やむかつき、頭痛とかも無い?」

 聖蘭は黙って頷く。

「疲れでも出たみたいね。もう大丈夫だわ。昨日の薬が効いたみたい」

「薬!?」

 アイラの言葉に聖蘭が絶叫した。

 驚いたのはアイラとライだった。

「私に薬を!?」

「・・・えぇ、鎮静剤を打ったわよ。貴女、突然倒れて、脈が速くなって呼吸困難に陥ったから。あ、アレルギーは大丈夫よ。6時間以上たっても何も見当たらないどころかむしろ元気になったみたいだから」

「元気に・・・?」

 何故か不安げな表情の聖蘭がライは気になった。だが、彼女に声を掛けようとして、アイラに遮られる。

「着替えて食事を摂って。その分ならもう薬はいらないみたいだから」

 美星が用意した服をベッドに置き、アイラはライを引っ張るようにして部屋を出て行った。

 ベッドから出て、昨夜から着たままだったドレスを脱ぎ、聖蘭は姿見に己の裸体を映し出した。

 浮かび上がる白い身体。

 傷ひとつ無い滑らかな肌。

 聖蘭は安堵の吐息を漏らした。

「・・・何も・・・していないのね。私・・・」

 確かに、今までにないほど聖蘭は落ち着いていた。

 身体が軽い。

 これほど快適な朝は久方振りだった。


 「美星とリザは? それにZもいない」

 両親を会社のビルまで送り届け、帰宅したライはリビングにいたはずの人間が減っていることに気づいた。

「美星はリザを連れて映画の撮影現場に行ったわ。セイラの撮りがあるんですって」

 セシルが紅茶をカップに注ぎライに渡した。それを受け取り、一口飲んでからライはアイラの横に腰を落とした。

「Zは情報収集に回ってる」

「・・・どういう意味だ?」

 カインの言葉に引っ掛かりを感じたライは問い返した。

 どうも様子がおかしかった。

 考えてみれば、急に香港行きを決めたカインの様子が変わったのは数日前に京都を出たあの日からだった。

 毎日何処か落ちつかなげに煙草を咥えイライラしていた。

「・・・お前が急に香港へ行くと言い出したことに関係があるのか?」

 詰問口調だった。いつも冷静なライにはあり得ない話し方だ。

「あるんだな」

 カインは首を縦に振った。

「俺は『悪魔の御子』の名を持つ麻薬を売り捌く組織に興味が湧いた。存在しないはずのものが存在している以上、これは俺たち自身に関わってくる。早いうちにこの組織を潰さないと・・・今まで築いてきたものが全て失われてしまいそうな・・・そんな予感がするんだ」

 だから、香港へ渡った。

「京都で入手したサンプルをアイラが詳細に分析してくれた。そして・・・昨日、アイラが拾ったものはこれだ。」

 カインはライの前に2つの薬包紙を出した。

 赤と白。

「この2つの包みの中には白い粉が入っていた。分析した結果・・・主成分は『PEO』と一致した。」

 アイラから渡されたファイルをライは指でなぞりながら目を走らせた。

 確かに、京都で捌かれていた『PEO』と同一の成分だった。

「これが・・・?」

「これが、セイラ=ジーナス・・・姫聖蘭の持ち物から出てきた」

 思わず、ライは立ち上がった。その拍子にカップの中の紅茶が零れる。

「どういうことだ・・・」

「昨日、あんたがセイラを連れて行った後、彼女の横たわっていたカウチの傍で見つけたのよ」

「それだけで聖蘭のものとは限らないだろう!」

 セシルやアイラは『聖蘭』が言いにくいのか、彼女を『セイラ』と呼ぶ。

 けれども、今はそんなことどうでもいいことだった。

 叫ぶライをセシルは冷ややかな目で見返す。

「何故あんたがそんなに熱くなって反論するの?」

「べ・・・別に熱くなっているわけじゃ・・・」

 ライはバツが悪いのかソッポを向いた。

 確かに、セシルの言うとおりだった。

 何故、こんなにも聖蘭を気に留めるのか?

 彼女が疑われていることに腹が立つのか?

「姫聖蘭。1974年11月香港・油麻地生まれ。7歳のときに両親が交通事故で死亡。施設に入った後、姫眞麻に引き取られる。高校時代にコンテストに出場。類稀なる才能を見出され、現在歌手として活躍。昨年は日本と米国でデビュー・・・と」

 カインが淡々とした口調で姫聖蘭の調査書を読み上げた。Zが作成したのだろう。いつの間に、とライは思う。

「俺は姫聖蘭を疑っているというよりも、彼女の背後にあるはずの組織を知りたいんだよ」

「・・・組織・・・だと? どうしてこの短期間のうちにそこまで調べ上げたんだ? いくらZでもそこまでは・・・」

「関係あるのか? そんなこと」

 カインの薄く笑う唇から発せられた余りに冷酷な言葉にライは息を呑んだ。

 違う。これはカインじゃない。

 どうやらそれはセシルとアイラも感じているらしい。2人とも複雑な表情でカインを見ている。

 何に苛ついているんだ? カインは。

 呆気に摂られているライを尻目に、カインは立ち上がりドアに向かおうとした。

「カインッ!」

「出掛けてくる。打ち合わせはさっきした。2人から聞いてくれ」

 アディオス、と軽く片手を挙げてカインは扉の向こうへ消えていった。

 ライは2人を振り返った。

 セシルとアイラは揃って肩をすくめた。

「どうしたんだよ、カイン」

「私にもさっぱりで・・・」

 セシルが苦笑しながら今朝の様子を語ってくれた。

 早朝から部屋で銃の手入れをしていたカインの元に、差出人のない手紙が届いたこと。その手紙を見た途端、カインは急に態度が変わったこと。

「どうもその手紙に、セイラ=ジーナスと姫眞麻の関係が綴られていたらしいの」

 セシルから渡された手紙には、確かに差出人の名前はなく、内容も聖蘭と姫眞麻が義理の親子関係にあること。姫眞麻が最近マフィアと接触していることなどで麻薬やPEOといった言葉は見つからない。

 ふと、昨夜の月香を思い出す。

 姫聖蘭は夜来香だと。

 その意味は危険。

(・・・まさか)

「これだけで聖蘭まで疑われるのか?」

「彼女の所持していた麻薬がPEOに酷似している以上は見逃せないのよ」

 アイラは再び薬包紙を手に取った。

「この麻薬にも私は覚えがあるの。何年か前にさるお国の軍部からの依頼で精製したものに良く似ているのよ」

「なんだって?」

 細い指で、アイラは薬包紙を開いた。心なしか赤い薬包紙の中身のほうが茶色っぽい気がする。

「そのとき精製したものは人格形成薬。単純に言えば二重人格を作る薬」

「?」

 精神的に脆く、弱い人間により強い意思と自信を植え付ける薬だった。より強靭な肉体と精神を持つ兵士を作り出すために、何処かの軍事国家が秘密裏に依頼したらしい。

「多分その薬が外部に漏れたのね。基本的に主成分はあれもPEOに近かった。恐怖や痛みを感じず、身体を半分失っても死ぬまで平然と戦い続けるぐらい強力な薬だったから」

「つまり・・・それを誰かが利用して、これを作った・・・?」

「ご名答」

 アイラはにっこり微笑んだ。

「けれど、こちらのほうが凄いわよ? 赤い薬は気分を昂揚させる効果があるわ。白い薬はその逆。急に大人しくなり、小心者になる。これを交互に使用することでバッドトリップを抑えるようなものね。でも・・・余り上等なものじゃないから、使い過ぎることで急な発作に襲われたり、死亡することも多そうね」

 昨夜の聖蘭を思い出し、ライは身震いした。

「アイラの説明を聞いているとね、思い当たるのよ」

「何が?」

 ライはもう聞くことしかできなかった。

 セシルが人差し指を眉間に当てる。

「全米デビューしたときの彼女は輝いていたけれど、何処か好戦的な眼差しで・・・。あるパーティーでも見かけたことがあるんだけど、男を魅了するような・・・娼婦みたいな眼をしていたのよ。けど、先日撮影のときに見た彼女はまるっきり正反対だったわ。大人しくて儚げ。守ってあげたくなるような感じだった。この私が見て気づかなかったんだから相当よ」

 一度見た顔はどんなに化粧をしても、変装してもセシルは見破る。その彼女が気づけなかったのだ。

 その意味が何を指すのかわからないライではない。

「カインは何処へ行ったんだ?」

 さっき言いたいことだけ言って出て行った男のことが気になった。あんな態度をカインは普段とらない。それだけに、ライは余計気になっていた。

「渡された手紙の他にまだあったみたいだけど。それ見て何処か行ったみたいよ?」

「何処かって何処だよ。いつもなら行き先ぐらいは言っていくのに・・・」

「・・・案外逢引だったりして」

 セシルの言葉に思わずアイラとライは噴いた。

「・・・あいつにそんな甲斐性あった? あればリザとどうにかなってるでしょう?」

 アイラの意見はもっともだった。思わずライも頷く。

「こいつじゃあるまいし」

「どー言う意味だ! アイラ!!」

 付け加えられた言葉にライは思わず叫んだ。

 声に出して笑う。

 たったそれだけの行為なのに落ち着く。

 ひとしきり笑い終え、ライは真面目な顔で姿勢を正す。

「・・・どうすればいいんだ? 俺は」

 恐らく、セシルとアイラには何か役割があるはず。そして、自分にも。

「セイラ=ジーナスから目を離さないで」

 セシルがライを見据える。

「彼女を永遠に失いたくなければ、ね」


 快晴の空には雲ひとつなかった。

 監督の怒号が辺りに響き、返事が木霊す。

 リザは胸をときめかせながらその光景を見守っていた。

 広東語の台詞は相変わらずさっぱりだったが、それでも美星が英訳をつけてくれた台本を見ながら必死でついていこうとした。

『Are you enjoying?』

 背後から掛けられた声に振り返ると、そこには映画の主役を務める俳優・成青飛(チェンチンフェイ)が笑顔で立っていた。

「こんにちわ、チ・・・フェイ・・・さん」

「言い難い? だったらエリックで良いよ。米国じゃエリック・チェンで通ってるから」

 人懐っこく、にこにこ笑う青年にリザは好感を覚えた。

 自分と歳の近い青年と話すことは稀だった。高校時代でも余り親しい友人はいなかった。ボーイフレンドなら尚更だ。

「香港は初めてだって? 僕が暇なら楽しいとこに案内してあげるんだけどね。残念だな~」

「勝手に人の客人をナンパしないでいただけるかしら? ボーヤ」

 ぱこっと丸めた台本で後頭部を叩かれた青飛は「やばっ」と洩らした。

「どーも、美星さん。相変わらず手厳しいですねー。こんな可愛い女の子をひとりにしておけないでしょ?」

「余計なお世話よ。このお嬢さんには君よりイイ男が付いているからね。手を出したら後が怖いわよ」

「美星さん!!」

 リザは真っ赤になって叫んだ。

 その様子に青飛は肩を竦める。

「もしかして、この前一緒だった銀髪の人? 美龍氏の友人とか言う・・・」

「その通り」

 残念、とばかりに青飛は大きな溜息をつく。どうも何かにつけて大袈裟なリアクションを取りたがるようだ。

 ちょうどADの呼ぶ声に気づいた青飛は「じゃあね」とリザに手を振ってその場から去っていった。

「まったく。売れっ子は良いけど、手が早いんだから・・・」

「あ・・・あの、セイラさんは?」

 慌てて問うリザに美星は真っ直ぐ指し示した。

 そこにはスタッフに囲まれて快活に笑う聖蘭の姿があった。

「あれ・・・セイラ・・・さん?」

 リザは正直驚いていた。彼女と会って間もないが、リザには人形のようなイメージがあった。無口で、静か。立っているだけで絵になるような雰囲気だった。けれども、今そこにいるのは歳相応の笑顔が似合う女性だ。

「私もびっくりよ。聖蘭のあんな表情見るの学生時代以来だもの。もともとは良く笑う娘だったのよ。芸能界なんて世界に入ったから、心配はしていたんだけど・・・。一晩のうちに何があったのかしら・・・」

 昨晩、聖蘭が倒れた後ライが付き添っていたことはリザも美星も知っていた。美星はその後のことに考えを巡らしているらしい。

「・・・兄さんが噛んでるのなら、吐かせなきゃ」

 親友のためにね! と美星はウィンクをした。リザはくすりと笑う。

 そのとき、突然『聖蘭!!』と叫ぶ声が響いた。

 思わず肩を竦めたリザは恐る恐る声のしたほうに視線をやった。

 そこには中年の男が聖蘭に向かって一方的に怒鳴り散らしている光景があった。

 聖蘭は怯えたように男を上目遣いで見ている。

「あの人は誰?」

「姫眞麻。聖蘭の養父よ。施設にいた聖蘭を引き取った人よ。私、あの人のこと嫌いだわ」

 聖蘭の唯一の不幸はあの父親ね、と美星は毒づいた。

 確かに、2人の親子のやり取りには家族とは程遠いものを感じる。

 一通り説教が終わったのか、姫眞麻は踵を返し、さっさと現場から離れていった。

 父親が見えなくなったのを確かめてから、聖蘭はリザと美星の元へやってきた。

「大丈夫? 聖蘭」

「えぇ。事務所に寄らずに現場に行ったせいで怒られちゃった。いつものことだから平気よ」

 小さく舌を出した聖蘭に急にリザは親近感を覚えた。

 それは美星も同様らしかった。

「なんか・・・高校のころに戻ったみたいね、聖蘭」

「え?」

「たまに起きていた発作も今日は全然ないみたいじゃない。良かったわね」

「・・・えぇ」

 返事は曖昧だった。

 原因が聖蘭自身にもわからなかったからだ。

 いつもは定期的に起きていた発作。それが今日はまったく起きない。

 持っていた薬の包みは1種類ずつ少なかったが、いつ飲んだのかは覚えていない。

 いや、飲むときのことはいつも余り覚えていない。

 毎日霧がかったような曖昧な記憶。

 自分自身だと、はっきり認識しているのは本当に久しぶりのような気がする。

 もしかしたら無くしたのかも知れない。それならそれでいいと思った。もう、薬を飲むつもりすら今の聖蘭にはなかった。

(お父さんに怒られるかも知れなけど・・・良いわ)

 ふと、神美龍の笑顔がよぎった。

 彼の笑顔を思い出すだけで晴れやかな気持ちになる。

 そう言えば、なんとなく忙しくて付き添ってもらったお礼をまだ言っていなかった。

(後でキチンとお礼をしなきゃ・・・)

 そっと右手を胸に添えながら、聖蘭はゆっくり微笑んだ。


 すっかり夜の帳に覆われた香港の街並みはネオンに彩られ、輝く宝石の街と化していた。

 午前中に神邸を出たカインはひとり、中環をぶらついていた。

 とは言え、彼が一般観光客のような真似をするはずもなかった。

 仕事で何度も訪れる香港は勝手を知る街のひとつでもあり、知った顔もいる。今日は地下にある知り合いの銃砲店に寄り、銃弾を見繕った。

「仕事? Mr.」

 顔見知りの若い男は銃弾のケースを出しながら笑顔で尋ねた。

 カインはその顔を一瞥する。

「・・・観光」

「物騒な観光だ」

 香港ドルの札束を受け取り、男はまた笑った。

 カインは愛銃コルトパイソンのリボルバーを開き、銃弾を込める。その慣れた手つきがいっそう見る者に恐怖を抱かせる。

「邪魔したな」

 残りをジャケットに収め、カインは言葉少なに店を去った。

 何処へ行ってもカインはそうだった。

 自分がカインである以上、無駄に口を開くときは殆どない。

 自分はカインなのか、ノエルなのか。

 いつも迷っていた。正直、どちらも自分でないような気さえした。作り上げられた自分に、嫌悪さえした。

 いつか、ノエルはいなくなる。

 カインはとうに覚悟を決めていた。

 カインである事実を消せない以上、いつか自分は闇に還る。

 ふと、リザの顔が脳裏に浮かぶ。

 自分が闇に還るとき、彼女はどうなるのだろうか。

 彼女の幸せを、一番に願っている。祈ってさえいる。

(せめて、それまでは・・・)

 ピーク・トラムに揺られ、ビクトリア・ピークに辿り着いたとき既に陽は落ちていた。

 街灯で薄明るい公園にはそこ彼処にカップルが2人っきりの世界に沈んでいる。

 カインはポケットから畳まれた手紙を取り出し中を見た。

  ・・・本日午後7時、100万ドルの夜景を臨む公園で待っています・・・。

 100万ドルの夜景が見える公園といえば、ビクトリア・ピークの外にない。

 ゆっくりサングラスを外し、胸ポケットに引っ掛ける。

 紅い瞳は闇に融け、黒曜石のように見えた。

 風がカインの素顔を晒す。

 その白い肌が、銀の髪が、闇の中でひときわ輝く。

「・・・ゆっくりした登場だな」

 背後に現れた気配は、何一つ隠そうともせずカインに近づいてくる。

 カインはゆっくり振り返った。

 現れた男の口許が微笑をたたえている。

(やっぱり罠だったかな)

 カインは僅かな望みに賭けた愚かな自分を笑った。

 最初からわかっていたはずだ。京都で、香港へ誘った手紙の主は『この男』なのだから。

「7月以来ですね、カインさん。お元気そうで何よりです」

「お前もな・・・フィロス」

 その眼鏡の向こうに光る冷たい双眸は真っ直ぐカインを見つめていた。

「よく来てくださいました。逢いたかったですよ。・・・大切にしてくださってるんですね」

 カインは反射的に左手で左耳のピアスに触れた。

 フィロスの言葉が何を意味していたのか、わからないカインではない。

「何のつもりで俺をここへ呼んだ?」

 カインは平静を装ってフィロスに問い掛けた。フィロスと対峙しているとなぜか冷静でいられない。

 初めて対峙したときもこんな感じだった。

 血まみれで、左肩に銃創を負ったカイン。その肩を握り締めフィロスに引き寄せられた身体は抗うことを拒否した。

 為されるがままに、奪われた口唇。

 フィロスの動き一つ一つが、忌まわしい何かを呼び起こす。

 冷静でいなければならない。惑わされてはいけない。

 必死の抵抗だった。

 そんなカインの葛藤をフィロスは知るはずもない。

 悠然と、超然と、フィロスは立ちはだかる。

「貴方と話をするためですよ。他に邪魔が入らない所で。場所を変えましょう。100万ドルの夜景が楽しめるホテルがあるんです。そこに宿泊していましてね。広東料理のレストランが絶品なんです。ぜひ、貴方にも召し上がっていただきたくて。さぁ、行きましょう」

 どう考えても罠以外の何物でもない。

 先に歩き出したフィロスの後にカインは無言で従った。

 今は罠であれ、飛び込むことを選んだ。

(後でセシルに殺されるかもな・・・)

 ゆっくりついた溜息が聞こえたのかフィロスが振り返って微笑んだ。

「・・・え?」

 一瞬、脳裏に何かがよぎった。

 何故かはわからない。

 わからないが、その笑顔にカインは懐かしさを感じた。





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