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悪魔の御子  作者: 奏響
第4話 香港狂詩曲
42/71

家族と友人と(中)

 心地よい弦の調べに身を任せながら、ライはゆっくりカクテルグラスを傾けた。

 香港で有名な音楽家たちが奏でる弦楽四重奏は十分にライを酔わせてくれる。

「帰ってきたんだな」

 父親の誕生日には必ずプロの音楽家を招き、父親のためのパーティーを開いた。

 音楽好きでも知られる父への毎年恒例の誕生日プレゼント。

 今年も、変わらない。ライがいてもいなくても、それだけは変わっていない。

 香港島の中環から車で30分ほど走るとそこは高級住宅街だった。

 その中で一際人目を引くのが広い庭園の奥にそびえる白亜の邸。

 今日はその邸の主の誕生日であり、庭園のそこかしこに明かりが灯され、招待客たちが優雅な仕種でシャンパングラスを傾ける様はまるで映画の一場面のようだった。

「やっと帰ってきたな、息子よ」

「誕生日おめでとう、父さん」

 髪に白いものが目立ち始めた父・神王輝は自分よりもかなり上にある息子の頭を抱き寄せた。

「お前が帰ってきてくれたことが何よりの贈り物だよ、美龍。『ここ』はお前の家なんだ。いつでも帰ってきなさい」

「そうよ。貴方がいないととても寂しいのですからね」

 夫の傍らに控えめに立っていた母・梅芳はライの頬に手を添えた。

「すまない、母さん」

 ライは母の頬に優しく接吻をした。

 優しい両親と親孝行な子供たち。絵に描いたような幸せな家族の像だった。

「羨ましい光景だな」

 神一家を少し遠巻きに眺めていたカインは小さく呟いた。その呟きをリザが問い返す。

「俺には・・・ないものだから」

 そう寂しげに微笑むカインの表情に、リザは小さな胸の痛みを覚えた。

「でも、時としてそれが足枷にもなるのよ?」

「セシル・・・」

「どうしたの? ナーバスね」

 セシルが無遠慮にカインの顔を覗きこんだ。その視線から逃れるようにカインはそっぽを向く。

 九龍公園を出てからカインは何処か上の空だった。

 神邸に着いてからも、神夫妻と挨拶をしたときも、そして、今も。

「なんでもない。ほら、ライたちが呼んでる。・・・今行く!」

 ライに向かって片手を上げ、応えたカインはセシルとリザの肩を押し気味に歩き出した。

「何話していたんだ?」

「たいした話じゃないさ」

 ライの言葉にカインは軽く首を横に振った。

「それより・・・」

 カインは正面に立っている女性に目を移した。

 艶やかな長い髪を纏め、薄い紫の生地に青い花をあしらったチャイナ・ドレスの姫聖蘭が静かに佇んでいた。

 穏やかに奏でられる曲に併せて、彼女の唇から歌声が漏れる。

 静かに、優しく、美しく。

 ざわめくホールは水を打ったように静まり返った。

 ライは、ただ、呆然と彼女を見つめる。

 理由はわからなかった。初めて聖蘭に出会ったときから胸の鼓動は高まり、止むことを知らない。

 万人の女性に紳士。それが神美龍だった。

 だが、聖蘭を見ていると、自分の中に別の、抑えがたい感情の存在を感じてしまう。

「綺麗な声ね」

 アイラの言葉に知らぬ間にライは頷く。

 一曲目が終わり、拍手に包まれた聖蘭は神夫妻の元へやってきた。

「お誕生日おめでとうございます、おじ様」

「今日はありがとう、聖蘭。素晴らしい歌だったよ」

 聖蘭と握手を交わす王輝の所へ、執事が遠慮がちに声をかけた。

「李様が今お着きになられました」

「おぉ、李大人が? すぐにご案内・・・」

「不要ですよ、おじ様」

 王輝の言葉を遮るように、若い声が被さる。アイラよりも小柄だが、タキシードが良く似合っていた。

 その姿に、ライは言葉を失った。

 父と親しげに言葉を交わすその男。

 今まで忘れていた。忘れようとしていたその男の存在。

「どうした? 美龍」

 急に蒼褪めうろたえるライをZが訝しんだ。Zの言葉が聞こえたのか、李大人、と呼ばれている男は初めて神王輝の後方にいた男に視線を移した。そして、驚くかのように目を丸くし、息を呑んだ。

(何かの悪戯なのか? これは・・・?)

 互いの心の中で、きっと同じ言葉を繰り返しているに違いない。

 ライは震える唇でようやく言葉を絞り出した。

月香(ユエシャン)


 ライは乱暴にバーボンのグラスを呷った。

 拳で口元を拭い、深く溜息をついた。

 一人テラスに出ていたライの姿を見ているものは誰もいない。

 彼の表情はおよそ紳士とは言いがたいものだった。苛立ちを抑えきれずに、今にも癇癪を起こしそうな危うさを併せ持っている。

 せっかくの父親のパーティーを台無しにするわけにはいかないからテラスに出たようなものだ。

 今の自分の表情を、他人に見られたくないこともあったが。

「それほど僕の顔は不快だった?」

 突然かけられた声に、ライは思わず振り返った。

 背後に人の気配を感じないはずはない。そう、訓練された。

 なのに、今、ライは気づけなかった。

「・・・別に、酔ったから風に当たっていただけだ」

 ライは平静を装うように首を横に振った。

「5年ぶり・・・だな、月香」

 李月香は静かに頷くと、ライに左手のシャンパングラスを渡す。

「随分変わったな。貫禄がついた・・・て、とこか? 李大人が板についている」

 受け取ったシャンパングラスは思いのほか冷えていた。

 些か冷たすぎるきらいもあったが。

「やめてよ。3人の兄たちが死んで僕にお鉢が回ってきただけのこと。財閥のトップなんて、性に合わないさ」

 力無く月香は微笑んだ。

 彼は香港随一の財閥・李家のトップだった。4兄弟の末っ子として、腹違いの兄たちとは分けられて育てられた月香は心優しい少年だった。頭脳明晰、容姿端麗、彼を賛美する言葉は余りある。

 そんな月香はライの、神美龍の高校時代からの親友だった。

 13年前、李財閥総帥だった月香たちの父親が死に、長兄が跡を継いだ後、李家の不幸は始まった。

「次兄が病死、すぐ上の兄は事故死。マスコミはこぞって『呪われた一族』と書き立てた。そして、長兄が不自然な死に方をして疑惑は僕へと向けられた。李家なんて・・・僕は欲しくも無かったのに・・・」

 月香は空を仰いだ。そこには月が浮かんでいる。

「嫌な兄貴だったな、アイツは。あの性格が知られてたから、そんな疑惑はすぐに消えたじゃないか」

 ライの言葉にも月香は笑わなかった。

「でも、『呪われた一族』は当たってるよ。僕の中に流れる血は・・・他人を傷つけずにはいられない」

「馬鹿な話だ」

 ライはシャンパングラスを飲み干した。

「僕の血は・・・穢れている」

「戯言はよせ」

 低く響くライの声に月香は怯えたように顔を上げた。

「おまえが穢れているなら・・・」

 俺はどうなる?

 言いかけてライは口を噤んだ。

 どれだけの人間の命をこの手で葬っただろう。

 しかし、目の前に立つかつての親友に、そのことを伝えたことは一度も無い。

「美龍?」

「・・・いや、なんでもない」

 ライは首を振った。戯言を言っているのは自分のほうだと思い直して。

「彼女はどうしてる?」

「彼女?」

 明るさを装うように、ライは月香に笑いかけた。月香は何を言われたのか、よく理解できていないようではあったが。

「何言ってんだよ。明鈴に決まってるだろうが」

「あ、あぁ」

 急に月香はライから顔を背けた。

「綺麗になっただろうな。昔から、彼女は飛びぬけて美人だった。優しかったし・・・」

「それは君だったからだよ!」

 突然叫び声をあげた月香は、自身の声に驚いたように手で口元を抑えた。

 ライは呆気に取られた。

「彼女は・・・楊明鈴は・・・昔から君だけを愛していた」

 月香は言葉にするのも辛そうだった。

「何・・・言っているんだ? 明鈴は・・・お前を愛していたから、お前のプロポーズを受け入れたんだろう」

「だから・・・君は身を引いた?」

 問い返され、ライは言葉に詰まった。

 月香は吐き捨てるように叫ぶ。

「僕が明鈴を愛していた!? 馬鹿馬鹿しい!! むしろ僕は彼女を憎んでいたよ!」

「憎んで、いた・・・?」

「僕らは高校からずっと一緒だったね。何処へ行くにも3人だった。だからこそ、僕と明鈴は気づいてしまった。僕らが誰を愛しているのかを」

 ライは月香から目を逸らした。聞かされる言葉を避けるように。

 けれども、月香はそれを許してはくれなかった。

「僕らはひとりの人間を愛していた。明鈴は誰からもわかるぐらい。そして周囲すら認めた。似合いの2人だと。・・・彼女は知っていながら僕に見せつけていたんだよ。僕には決してできないことだ、と。そんなのわかりきっていた。僕はそのときの関係が壊れるくらいなら・・・嫌われるくらいなら、一生気づかれたくなかった。でも、明鈴はそれすら許さなかったよ」

 月香は一歩ライに向かって踏み出した。

「君は明鈴に夢中だった。彼女を誰よりも愛していた。少なくとも、僕はそう思った。僕には親愛の情を見せてくれるけど、それ以上のものは無かった。僕も求めなかった。それでいいと思った。でも・・・あのとき、僕らは境界線を越えてしまった」

 高校一のマドンナ・楊明鈴。才色兼備の彼女を射止めたのは、これまた高校一の美少年と謳われた神美龍。

 李月香はそんな2人の理解者だった。いや、理解者であり続けようとした。

 高校を卒業し、大学に共に進んでも3人の関係は変わらなかった。

 だが、あるとき明鈴は月香に言い捨てた。

『いい加減に美龍から離れてよ! あんたが彼のことをどういう目で見ているのか私ずっと昔から知ってるんだから。そのことを知ったら彼どう思うかしら? 軽蔑するわよね? きっと』

 薄情な笑みで、蔑むような眼で明鈴は月香を見ていた。

『美龍には言わないでいてあげるわよ? 私、優しいから。嫌われないうちに消えなさいよ!』

 明鈴に何を言われようと構わなかった。

 何より怖かったのは、自分の欲望に満ちた卑しい心を美龍に知られること。

 家族の中でも、命の危険に晒されていた月香にとって、親友の存在は安らぎであり、癒しだった。

 それを失うことが何よりも怖かった。

 後になって、月香は自らにこう言い訳した。

 呪われた血のせいだ、と。

「僕は明鈴にひとつの賭けを提示した。それが5年前だ。」

 ライは相変わらず月香から目を逸らしたままだった。だが、その言葉は嫌でも耳に届く。

「僕が明鈴にずっと想いを寄せていたという噂を流す。いつも一緒だったから難しいことじゃなかったしね。ちょうど李家を正式に継承した後で妻を迎えるように親戚中から口喧しく言われていた所だったからちょうど良かったんだ」

「・・・まさか、その賭けというのは・・・」

「僕が明鈴に結婚を申し込み、彼女が快諾したというニュースを流す。香港での李家のプライベートニュースは売れるからね。マスコミはこぞってその話題を取り上げた。そして結婚式までの間が賭けの期間。その間に君が明鈴を奪い返しにこれば明鈴の勝ち。こなければ僕の勝ち。明鈴が勝ったら僕は一生君の前から姿を消す。・・・そのときの僕は本気でそう考えていたぐらい、明鈴が憎く・・・」

 その後の言葉を月香はわざと濁した。

「結果は火を見るよりも明らか。美龍は奪還するどころか、婚約パーティーにわざわざ花束を抱えて祝いに駆けつけてくれたね。あの時の彼女の顔を君は知らないだろう? 僕は久しぶりにお腹抱えて笑ったよ。あまりの滑稽ぶりにね。それでも彼女は諦めなかった。君が体面上ああしただけだと。僕の顔を立てただけだと。結婚式までには必ず取り返しにくると豪語してたな。でも結局、結婚式の日に君は香港を出て行った」

「あれは・・・すべて芝居だったのか?」

 ライの右拳が震えているのに月香は気づいた。

「でも、僕らは現実に結婚した。僕が賭けに勝ったときは大人しく僕と結婚する。それが約束だった。永久に拘束してやるつもりだったよ。永遠に、君に会えないように。僕に味あわせてくれた屈辱のお礼にね」

 ライは思わず李月香の胸倉を掴んだ。だが、月香は表情を変えない。むしろ、哀しげに目を細める。

「まだ・・・明鈴を拘束しているのか!? 李夫人の地位と名誉を足枷に!!」

「彼女なら死んだよ」

 余りにあっさりと、事も無げに言った月香の頬を思わずライは平手で打った。

 庭先から人影が動くのを感じたが、月香が右手でそれを制した。

 少し赤みを帯びた左頬を手で乱暴に拭いながら、月香は口元に笑みを浮かべた。

「死んだってのはどういうことだ!! おまえ・・・まさか!」

「兄さんたちと一緒にしないで。僕が殺すわけない。僕は彼女を『生きたまま』苦しませたかったんだ。でなければ、僕には何の意味も無かった。明鈴は・・・」

 襟元を正し、ゆっくり月香は口を開いた。

「明鈴は自殺したよ。結婚から2ヵ月後にね。李財閥のビルから投身自殺をしたのさ。李家の名を貶めるために。僕へのささやかな復讐のためにね。馬鹿な女さ。新婚2ヶ月で精神的病に冒されていた妻を失った哀れな夫として僕は皆から慰めを受けたというのに」

 語尾には侮蔑が込められていた。

 ライは呆然と聞いているしかなかった。それと同時に、自分の中で冷静すぎるくらい受け止めている自分の存在を感じていた。

「・・・何故、明鈴を奪いに来なかったの?」

 月香が切なげにライに訊く。

「僕は・・・あの時君が来たならば、本当に諦めるつもりだった。本気で姿を消すつもりだった。あんな身勝手な女でも君が選ぶならばそれでもいいと思った。なのに・・・君は来なかった」

「俺は・・・明鈴にとって一番良いことだと思っていた。俺と一緒になるよりも、お前と結婚して不自由の無い約束された将来を生きることが一番の幸せだと思っていた。だから、お前たちの結婚を祝福した。俺は・・・明鈴を幸せになどできなかったし、今もできないと思っている」

「君が・・・何十人という人間を殺してきたから?」

 ライは思わず目を見開いた。

 月香の表情は何も変わっていない。

「何故・・・それを・・・?」

「僕が知らないわけ・・・ないよ? 君が『悪魔の御子』であり、『東洋の死神』と呼ばれる黄雷火《ファン・レイホォウ》であることをね」

 あぁ、そうだった。

 今更ながら、ライは己の愚かさを嘲笑った。

 この目の前にいる男は、社会の表も裏も精通した李家のトップなのだ。

 知らないはず、無いのに。

「君と一緒にいた・・・銀髪の男がカイン、ハロルディア=カイン=アルフォード=コリューシュン、赤い前髪の美女がセシル・ローズ=ロードウェイ。そして・・・金髪の女史がアイラ・レーン=ハミルトン、だね。後の2人は知らないけど」

 Zとリザのことだろう。

 だが、そんなことはどうでも良かった。

「君たちは何をしにこの香港へ? ただの観光だったら僕も歓迎するけどね」

 月香の目はすでに財閥の頂点に立つ男のそれだった。探るようにライを見据える。

 そんな目をするような人間ではなかった。何が彼を変えたのか?

(俺が・・・変えたのか?)

 ライは心中で溜息をついた。

「僕の事業の邪魔ならば容赦はしない」

「死神に喧嘩を売るのか?」

 ライは口元に不遜の笑みをたたえた。

 もう、ここにはかつて存在した月香はいない。もちろん、神美龍も。

「まぁ、いい。俺たちはスネーク・ロードを探している」

「スネーク・ロード? というと・・・最近動きの激しい麻薬密売組織のこと?」

「知っているのか?」

 ライは思わず身構えた。それに気づいて月香が笑う。

「僕は関わっていない。僕は兄たちと違って麻薬組織だけは持たないことにしているんだ。ただ・・・スネーク・ロードは前々から目障りだったから調べてはいたよ。財団の子会社に何度か接触してこようとしていたしね」

「先日日本人画家の滝川龍二が殺害された事件は知っているか?」

 突然話題が変わり、月香は拍子抜けしたのか間の抜けた問い返しをした。

「は? あぁ、えっと・・・あぁ、思い出した。関西国際空港で射殺された画家だね」

「あの男は組織幹部の一人だった。依頼で『悪魔の御子』が暗殺した」

「そういうこと・・・か」

 月香は妙に納得していた。ライは思わずその理由を訊く。

「あれほどの人ごみの中で一人の人間を目立たず暗殺できる人間はそうはいないからね。そうか・・・それで日本から組織が撤退し、香港で活動しているんだな」

「タイルートがICPOに摘発され、連中はかなり焦っていると思うんだ。そこを一網打尽にするために俺たちは香港へ渡った」

 少しぬるくなったシャンパンを月香は軽く舐めた。

「ねえ・・・君たちは何故、スネークロードを追っているの?」

「え?」

「聞いていると、君たちは日本で滝川龍二を暗殺するのが仕事だったんでしょう? なのに、その仕事が終わっているにもかかわらず、報酬も無いのに追いかけているんだよね」

「それは・・・」

 改めて問われ、初めてライも疑問を持った。

 香港行きを突然決めたのはカインだった。その理由をはっきり聞いた覚えは無い。カインの言うことだからただ黙ってついてきた。

 わかるのは、スネーク・ロードが捌いている麻薬がPEOだということ。それを最初に作ったのはアイラだということ。

 焼却した筈のサンプルと精製法ファイルを誰が知り得たのか?

「ただひとつ言える事は、俺たちを脅かす何かが動いている。それを・・・滅ぼすためだ」

 ガシャーンと派手にガラスの割れる音がテラスを隔てるガラスドアの向こうから聞こえた。

 ライと月香は思わず顔を見合わせた。

 そこへ血相を変えた美星が飛び込んできた。

「兄さん! 聖蘭が!!」

「どうした!?」

「聖蘭が突然倒れて・・・今、エレーナさんが診てくれてるんだけど・・・」

「落ち着け美星。早く聖蘭を隣室へ・・・Z! 聖蘭を隣室のソファーに連れて行ってやってくれ!!」

 偶然見かけたZにライは大声で叫んだ。「わかった!」とZから返事が返ってくる。

「お前は他のお客様に事情を説明して、変わらずそのままパーティーを楽しんでもらえ。彼女には俺が付き添う」

「わかったわ」

 美星は力強く頷いて、ホールへと戻っていった。

「姫聖蘭・・・か」

「え?」

 ぼそっと呟いた月香の言葉にライは振り返った。

「スネーク・ロードの情報が必要ならばいつでも言って。君の助けになるならば僕は喜んでなんでもするよ」

「謝謝」

 短い礼を口にして、ライもホールへ戻ろうとした。

 その彼を月香が引き留める。

「気をつけて」

「何?」

 訝しむライに月香は尚も続ける。

「姫聖蘭は夜来香だよ」

「・・・? どういう意味だ?」

「危険、と言うことだよ」

 おやすみ、と片手を挙げ、月香はテラスの階段から庭へと降りていった。

 その姿が闇に解けるまで、ライはその背を見送った。

 月香の言葉の意味を考えながら。


 聖蘭は蒼褪めた顔で苦しそうに呼吸を繰り返していた。

「様子は?」

「わからない。熱も無いのに脈が余りにも速い。呼吸も荒いわ・・・」

 様子を伺いに来たライはアイラの肩越しに聖蘭を見た。苦しげに何か呻いている。

 聖蘭の様子の変化に気づいたのはアイラだった。唄を終え、ゆっくりカクテルグラスに口をつけようとした瞬間、彼女の手からグラスが滑り落ち、息苦しそうに喉元を掴みテーブルに倒れこんだ。

 隣のホールからは気を取り直すようにモーツァルトのメヌエットが流れ始めた。

 他の客に心配をかけぬよう、ライとアイラ以外はホールに戻っている。

「とりあえず、今の状態を抑えなきゃ」

 ハンドバッグから注射器を取り出し、アイラは薬を注入すると聖蘭の細い腕をアルコールで消毒した後、針を刺した。

「おい、それ・・・?」

「ただの鎮静剤だから大丈夫よ。もちろん、私特製のスペシャルブレンドだけどね。朝までぐっすり眠れるでしょうよ」

「・・・そうか」

 5分ほどして、聖蘭の表情から苦しみが消え、呼吸が静かになった。

 ライの口許から笑みがこぼれる。

「でも、何処かへ移したほうがいいわ。ここは少し騒がしいもの」

「そうだな。今夜はここに泊まっていってもらう約束だったから、俺が部屋に運ぶよ」

 そう言うとライは軽々と聖蘭を抱き上げた。

「アイラは戻ってパーティーを楽しんでくれ」

「ひとりで平気?」

「薬で眠ってるんだろう? ヤバくなったら呼ぶ」

 ライの言葉に、アイラは頷いた。

「わかった。連中にも伝えておくから」

「よろしく」

 賑わいを見せるホールの響きを聞きながら、ライは聖蘭を揺らさないようゆっくりと部屋を後にした。

 階段を上っていくのを確認した後、アイラはホールへ戻ろうとした。

「?」

 ふと、アイラのつま先に何かが当たった。

「これは・・・?」

 細く長い指先で、彼女は落ちていたものを拾い上げた。

 赤い薬包紙と白い薬包紙。

 どちらも粉薬を包んであるようだった。

「・・・・・・」

 落ちていたのは聖蘭が横たわっていたカウチの傍だ。

「・・・まさかね」

 アイラは嫌な予感がした。

 2つの薬包紙を彼女はハンドバッグにそっと忍ばせた。

「アイラ」

「カイン。あら? リザも」

 部屋に入ってきた2人に、アイラは顔を向けた。

「セイラさん、大丈夫なんですか?」

 リザが不安げにアイラを見上げる。アイラはにっこり微笑んだ。

「大丈夫よ。注射を打って今寝かせているから。ライは今夜彼女に付き添うって」

「そうか・・・」

 ふと、カインの顔が近づいてきた。

「何を見つけた」

 どうやらアイラがハンドバッグに忍ばせたのを見ていたらしい。

 彼女は複雑な表情でカインを見た。

「・・・嫌な予感がするのよ。何も・・・関係ないのであればいいのだけれど」

 アイラは無意識にハンドバッグを手で抑えた。

 周囲からその中身を隠すかのように。


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