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悪魔の御子  作者: 奏響
第4話 香港狂詩曲
41/71

家族と友人と(上)

 啓徳国際空港到着ロビーに立った黄雷火は周囲を見回した。香港の玄関口であるためいつも賑わっているが、夏休みが終わろうとしている今ではさほどの混雑はない。

「迎えに来ているはずなんだが・・・」

「いないのか?」

 後ろから現れたカインはライの背中に向かって言った。カインはリザを気遣うように彼女の肩に手を添える。

「いや・・・時間には正確なはずなんだが・・・」

「阿哥! 美龍哥!!」

 突然叫ばれた言葉にライは振り返った。ちょうど、セシルとアイラがカートを押すZとともに現れたときだった。

「・・・メ・・・美星メイシン?」

『お帰りなさい! 兄さん!!』

 ライが全てを言い終わらないうちに、片手を振っていた女性はライに抱きついた。

『メ・・・美星!? 本当におまえなのか? そ、その頭は何だ!?』

 両手で美星の頭を包むように触れたライは明らかに動揺している。

『あんなに綺麗な黒髪が・・・』

『今流行ってるのよ? この色』

 美星の天然パーマの髪は金髪に近い茶色だった。

「確かライが話していた妹は・・・」

 アイラが数時間前に本人から聞いていた妹の容姿を反芻した。

「パーマがかった黒い髪。茶色の瞳。」

 だが、目の前にいる女性はライが自慢していた容姿の女性ではない。

「3年も会わなければ女は変わるものよ」

 セシルがくすりと可笑しそうに笑った。

 その声が聞こえたのか、気付いたのか、美星が視線をライの後ろへ移した。

『キャロルさん! エレーナさん!!』

『久し振り、美星。元気そうだね』

『ノエルさんもお元気そうで・・・』

 ふと、美星はカインの横で不安げな視線を送ってくる少女に気付いた。

「請多多指教, 可愛小姐」

「え・・・あの・・・」

 突然の広東語にリザは、美星が何を言ったのかまったく理解できなかった。勿論Zも例外ではない。

「どうぞよろしくね、可愛いお嬢さん、と言ったのよ。ごめんなさいね、ノエルさんたちは広東語が分かるものだから、貴女もてっきりそうだと」

「こ、こちらこそお願いします。私・・・リザです。できればこのまま英語のほうが助かるんですが・・・」

「もちろんよ。そちらの素敵なお兄さんもそのほうが都合いいみたいだし」

 美星はZに向かってウィンクをした。

「・・・素敵ねぇ」

 アイラがぼそっと呟く。

 Zはそんなアイラに構わずいつの間にか美星の手を握り締めていた。

「初めまして! お兄さんとは親しくお付き・・・」

 バキッ!

 その瞬間ライの拳がZの後頭部にヒットした。

「貴様というやつは~・・・ど~こ~ま~で~・・・」

「俺はいつも本気だと言ってるじゃないか! 愛しているのはおまえだけだ!!」

「馬鹿野郎っ! でかい声で叫びやがって!! 誤解されるじゃねーか!」

「美龍哥・・・」

 美星の声にライは思わず身をひいた。

 ゆっくり顔を上げた美星はニッコリ微笑んだ。

「大丈夫よ、私。理解あるから。好みや趣味って人それぞれだし!」

 予想通りの言葉に、ライは叫んだ。

「ご、誤解だー!!」


 「いつまで拗ねてるわけ? ちょっとした冗談じゃない」

「うるせー」

 慣れた手つきでワゴン車のハンドルを握る美星は、助手席ですっかり臍を曲げているライに声をかけるが、彼の機嫌は一向に治まる気配はない。

「でも、今日が何の日かちゃんと覚えてくれていたのね。よかったー」

「・・・は? 今日?」

 ライは冗談ではなく本気で見当がつかないらしく、間の抜けた返答をした。

「・・・今日はパパの誕生日よ?」

「父さんの・・・誕生・・・あっ!!」

「やっぱり忘れていたのねー!! 久しぶりに帰るからとか言って珍しく電話してきたと思ったら!!」

 美星に怒られる前に、ライは取り繕うように両手を振る。

「お、覚えてるさ! ちゃんと!!」

「ホントに~?」

「ホントだって」

 美星の視線はあからさまにライを疑っていた。

「確かに、いきなり日本から『帰る』と電話すれば驚くわよね」

 セシルがさり気なく助け舟を出してやる。

 面白い兄妹喧嘩だが、見物している暇はない。

「そうそう! なんで日本に行ってたの? 兄さん、日本の記憶なんて5歳ぐらいまででしょう?」

「え? ラ・・・美龍さん日本にいたことがあるんですか?」

 今度はリザが驚く番だった。

 言ってなかった? と言わんばかりにライは笑った。

「香港で生まれてすぐに俺の母親は俺を連れて日本に渡ったんだ。その後、日本人と結婚して美星が生まれた」

「え・・・?」

 美星とライは悪戯っぽく笑う。

「私と兄さんは父親が違うの。私たちの母親は香港人の祖父と日本人の祖母の間に生まれて、兄さんの父親は兄さんが生まれる前に母と別れたの。まぁ、母が捨てられたのよね」

「俺が3歳のときに日本人の父親が出来て、翌年美星が生まれたが1年でその男が出て行ってね。日本での生活に疲れた母親は俺たち兄妹を連れて香港に帰った」

 ライが少し遠い眼をして流れてゆく景色を見つめた。彼にとっての日本での想い出はあまり良いものではないようだ。少しだけ、ライの表情が歪んで見える。

「香港に帰って半年後には母親が癌で死んじゃって。他に縁者がいなかった私たちは当然施設に入れられるはずだったの。でも、そこへ現れたのが今の両親よ」

 美星は信号で車を停めた。急に外界の騒音が耳に届く。

「神の両親は私たちの祖父母に返しきれないほどの恩があると言っていたわ。それに子供が出来なかったから、私たちを養子にしてくれたの。私は両親の顔を知らないから、神の両親は本当の親みたいに思っているの」

 ちらっと、美星はライを見た。

「・・・ごめんなさい、私、立ち入ったことを・・・」

 リザが少し泣きそうな声を出した。ライが振り返って微笑む。

「今更隠すことじゃないからいいんだ。香港じゃ誰もが知ってる」

「え?」

「Mr.神と言えば、貿易会社社長として有名だもの。うちの財団とも取引があるわ」

 セシルがリザを慰めるように肩を叩いた。

「温厚な人柄と誠実なビジネスで結構有名なのよ。その子供たちも有名作家と秀才学生・・・あ、今はもう卒業してるから学生じゃないわね」

 再び動き出したワゴン車に揺られながら、美星は頷いた。

「美星」

 ライがセシルと美星の会話に割って入った。

「なに?」

「・・・おまえ、何処へ向かう気だ」

「え?」

 美星の表情が変わった。驚いているようだが、口許は笑っている。

「家は香港島だぞ? おまえが向かっているのは尖沙咀だろう? 俺たちを何処へ連れて行く気だ?」

「・・・もう着いたから、逃げられないわよ」

 空港を出てから20分ほどで、美星は車を駐車場へ停めた。

 彼女に続いてカインたちも車から降りた。

 青々と生い茂る緑の木々が木漏れ日に萌えている。

「九龍公園ね?」

「当たりよ、エレーナさん」

 九龍公園は尖沙咀中央に広がる公園で、温水プールや各種スポーツ施設、レストラン、東洋式庭園などがあり、庶民の憩いの広場として有名だった。

 美星は前方の人だかりに声をかけ、手を振った。何人かが気付いて手を振る。

『美星、今日は休みだったんじゃないのか?』

『様子を見に来たの。私もプロデューサーのひとりだし。皆にも紹介しようと思ってある人間を連れてきたの』

 美星の言葉にライは思わず一歩退いた。慌てて胸ポケットから眼鏡を取り出しかける。

「ライさん、眼鏡する人でした?」

「顔を知られたくないだけよ。」

 リザの疑問に笑いながらセシルが答える。

「でも、あいつの美貌はそんなものじゃ隠せないぜ」

「はいはい」

 悦に入っているZを放っておいて、セシルはふと、群集の向こうにいる女性に視線を移した。

(典型的なチャイニーズビューティーだわ、綺麗な人)

『私の兄、美龍よ』

 美星の紹介にどよめきが走った。人ごみを掻き分けてライに握手を求める男がいる。

「ここで映画の撮影をしているの?」

 アイラが周囲の機材を見回した。

「そうなんです。兄さんの処女作『九龍寓話』をどうしても映画にしたいって言うオファーが2年前に来て・・・」

 神美龍こと黄雷火が小説家として名声を得たのが処女作のヒットだった。

「香港で兄さんが書いた小説の著作権は私が管理しているから。兄さんは最初反対していたんだけど、私はどうしても映像化したくって」

 美星は当時大学で演出の勉強をしていた。自分も製作の一人として招かれることを約束に、彼女は映像化を承諾したのだ。

 ストーリーは高校時代の親友同士がひとりの女性を巡り対立する話だった。卒業から2年後、主人公はマフィアの殺し屋となり、親友は学生でありながら企業家として有名になっていた。

 そんな2人に愛された美貌の舞姫は、主人公への愛を秘めたまま、悲劇を迎える。

「あそこで兄さんと握手をしているのが監督。彼の横にいるのが、今香港で若手人気No.1の俳優、成青飛(チャンチンフェイ)

 監督からライに紹介されている青年は照れた様子で握手を交わしている。

「ちょっと美龍に似ていない?」

「あぁ、あいつの20歳頃にな」

 アイラの呟きにカインは頷いた。ライほどの身長はないが、雰囲気は何処となく似ている。

「彼を選んだのって美星でしょ?」

「うーん・・・だって、あの小説を読んでいると、何故か主人公の顔って兄さんが浮かぶのよ」

 満足げに美星は笑みを浮かべる。どうやら役者は美星の手によって最高の人選が出来ているようだ。

「美星」

 ふと、歌うような綺麗な声が響いた。

 呼ばれた美星は振り返り、その声の主に笑顔を見せた。

「お疲れ様、大丈夫? 疲れていない?」

「えぇ、平気・・・」

 その女性は何処か儚げな印象を与えた。

「さっきのチャイニーズビューティー・・・」

「え?」

 思わず指差したセシルに女性は小さな声を上げた。

『兄さん、紹介するわ!』

 美星は周囲を気にするわけでもなく、ライを呼びつけた。

「はぁ~? 今度はな・・・」

 振り返ったライは一瞬息を呑んだ。

『紹介するわ。私の兄の美龍。知ってるわよね』

『えぇ。映画の原作者の方よね。それに貴女の自慢のお兄様』

『そのとおり! でね、兄さん。彼女は・・・』

「思い出したわ!!」

 セシルが珍しく叫んだ。吃驚してライがセシルを見る。

「貴女・・・セイラ=ジーナスね? 去年全米デビューした」

「はい」

「彼女を知っているのか? セ・・・キャロル」

 Zの質問にセシルは頷いた。

「だってうちの財団系列のレコード会社だもの。貴女のコンサートも行ったわ。短い時間だったけど、でも・・・」

『香港では姫聖蘭ジー・シォンランの名で有名なの。セイラ=ジーナスは彼女の英名ね。彼女は香港の歌姫と呼ばれているのよ。この映画では成青飛の相手役美貌の舞姫を演じているわ。けど、私たち高校からずっと親友だったから。兄さんの小説も彼女全部知ってるのよ!!』

 セシルの言葉を遮って美星は得意げに聖蘭の自慢を始めた。

『今日のパパの誕生日パーティーでも歌ってくれるのよ』

『それは・・・楽しみだ。よろしく』

 微笑みながらライはさっと手を差し出す。少し、戸惑い気味に聖蘭はその手に触れた。

『よろしく・・・お願いします』

 握手を交わした途端、監督のメガホンから休憩終了の声が聞こえてきた。

「今日のパーティー楽しみにしていますね」

 聖蘭は手を振り笑顔で撮影隊の輪の中へ還っていった。

「さて、じゃ、パパとママの待つ我が家へ行きますか」

「おぉ、やっと美龍のご両親にあいさ・・・」

「貴様・・・」

 Zの言葉を無理矢理遮るようにライが彼の首を締めようとしていた。

 それを慌てて止めに入るリザと笑いながら近付くアイラたちから少し離れて、カインとセシルが歩き出した。

「さっき・・・」

「え?」

 カインが小さな声で呟いた言葉をセシルは聞き返した。

 セシルの耳元に唇を寄せ、カインが小声で問うた。

「さっき、セイラ=ジーナスに何を言いかけた?」

「あぁ・・・」

 苦笑したセシルが、手で口許を隠しながらカインの耳に言葉を返した。

「私ね、最初に彼女を見たときに、コンサートで見たあのセイラ=ジーナスだと気付かなかったのよ。私がよ? 何故かわかる?」

「・・・おまえが気付かないってことはおかしいな」

 セシルは職業柄、人の顔を覚えることには長けている。一度見た顔は決して忘れない。忘れるのはターゲットだけだった。

「何故だ?」

「雰囲気が違ったわ」

「雰囲気?」

 カインは先程の聖蘭を思い出した。

 何処か儚げで、頼りなげで、とても競争の激しい芸能界で生き抜いていけるようには見えなかった。

「私が見たセイラ=ジーナスはもっとしたたかで、鋭い視線の、魔性を秘めた眼をしていたわ。外見は同じだけど・・・まるで別人よ」

「!?」

 カインの背に一瞬悪寒が走った。

 いきなり振り返ったカインにセシルは「どうしたの?」と訊ねる。

「・・・なんでもない」

 カインは再び歩き始めた。

 確かに、誰かが見ていた。

 セシルではなく、自分を。

 覚えのある視線だった。

「・・・やつか」

 カインの呟きはセシルには届いていないようだった。彼女は彼女で自分の思考の中にいる。

 このとき、カインは気付いていた。あの誘いが罠であったことに。そして、その罠に、すでに自分が嵌まっていることに。


 「・・・私の前でそんな素振りを見せるなんて・・・酷い人」

 口許に笑みを浮かべ、男は眼を細めた。

「あれは大丈夫なのか?」

「症状が出るまで約半日・・・。深夜までは持ちそうですね」

 木陰から撮影隊を覗いていた男が、背後に立っている男に呟いた。だが、男の視線はカインの背中に釘付けのままだ。

「あの薬の本来の使用目的・・・。ここまで完成させていたとはね。貴方は素晴らしい才能を・・・いえ、素晴らしい実験体をお持ちのようだ」

「お褒めに預かり光栄ですな」

 中年の男は煙草を咥え、火を点けた。

「しかし、あんたも変わった男だ。こんな組織の末端にまであんたほどの男が出てくる必要はないだろうに」

 吐き出された紫煙に男は表情を歪め、ずれた眼鏡を直した。

「やつが・・・タキガワが誰かに殺されたそうだな?」

 咥え煙草のまま、中年の男は窺うように男を見る。その視線を男はあしらうように笑う。

「滝川にはもう用はなかったんですよ。ちょうどよい始末が出来たのでね、むしろ殺してくれた人間に感謝しているんです、私」

 冷酷な嘲笑。その表情に思わず煙草を落としそうになる。

 この男の底知れぬ恐ろしさ。それを今、垣間見たような気さえした。

 組織の中でこの男は有名だった。

 この男が現れたときは、自分たちの死さえ左右される。

 用無しと判断されれば、葬られる。

 ジャン=レイモンドのように。

 滝川龍二のように。

「タ、タキガワが日本で捌いていたモノよりは多少劣るが、こっちでもだいぶ資金稼ぎになった。『こっち』の研究が成功すれば究極の麻薬ができる! 楽しみにしててくれ」

 中年男は必死に男の関心を引こうとした。

 今、見限られては困るのだ。

「そのままPEOは捌いてください。研究も続けて。成功すればマスターがお喜びになりますよ」

 すっと、男は身を翻し、木陰から離れた。

「ど、何処へ?」

 中年男は焦るように質問をした。その様子が可笑しかったのか、男は眼を細め、くすりと笑う。

「客人を招いたもので。その準備があるんですよ」

「客人?」

 まさか、という表情を浮かべる中年男に向かって嘲笑うのを堪えながら男は続ける。

「マスターではありません。先程貴方も見たでしょう? あの一団の中に、私の大切な客人がいたんですよ。・・・銀の髪の青年が」

 言われて中年男は先程公園を後にした連中を思い出した。確かに、その中に銀色の髪の男がいた。顔はサングラスでよくわからなかったが。

「あんたの知り合いなのか?」

「えぇ。もう随分昔からの・・・ね」

 男はジャケットのポケットから小さなケースを取り出し蓋を開けた。何かに酔いしれるように微笑んでいる。

「今夜は何処に?」

「ホテルにいます。疲れた身体を癒すためには休息が必要ですから」

 ケースの蓋を閉め、再びポケットに戻すと、男は片手を上げた。

「では、また明日。Good By, Mr.姫」

「再見・・・」

 男の背中を見送りながら、姫は舌打ちをした。

「再見、フィロス=ルーベルス」

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