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悪魔の御子  作者: 奏響
第3話 永遠に咲くサクラ
36/71

忘らるる(上)

 見上げた満開の桜はいかにも不吉な気配を漂わせていた。

 夜とはいえ真夏は暑い京都でも、この場所だけはまるで冷気に覆われているかのようだった。風に誘われるように枝が揺れ、ひらり、ひらりと花弁が舞う。

「これに狂わされたのか?」

 月明かりの下、闇に浮かぶ桜は見た目にも美しいはずだが、滝川は醜いものでも見るように眼を細めた。

 息子を裏切った13年前から、滝川は自分自身の運命さえ変えてしまうことを厭わなかった。

 かつてのパトロンだった男に誘われた副業。それは新種の麻薬を運び、捌くという単純かつ儲かる仕事だった。勿論国際犯罪だ。だが、失うものなどなかった滝川に躊躇する理由は皆無だった。表向きは画家として、裏では組織の人間として働いた。その働きを認められ、彼は東アジア・ルートを任されるほどになった。

 一歩桜の木に近付く。

 自分は恐らく二度と日本の地を踏むことはないだろう。

 今回の事件のせいで自分が警察に追われていることは知っている。非公式にしろ国際指名手配犯の立派な一員だ。

 だが、日本を離れる前に滝川には済ませなければならない仕事がひとつだけ残っていた。

 パキッ、と背後で小枝が踏まれ折れる音がした。

 振り返った視線の先に、桜が立っている。

 滝川の視線が冷ややかに桜を射抜く。彼女は身を竦めた。

「・・・アレは何処だ」

「?」

 桜は滝川の言わんとすることが理解できない様子だった。滝川は軽く舌打ちする。

「PEOを何処に隠した」

「・・・なんのことです?」

「おまえが紛失したと言っていたやつだ! 売人のひとりが、おまえが隠匿したと報告してきた」

「あれは本当に失くしたのです!! 何故私が盗まなければならないのですか!?」

「ならば何故ここにいる?」

 酷薄な滝川の言葉。

 だが、桜は滝川に駆け寄った。

「先生が会いたがっていると電話を受けたんです・・・」

「俺が? そんな訳あるか。俺はさっさと失せろと言ったんだ」

 冷たく滝川は桜を突き放した。

「そんな・・・」

 桜は絶望の表情で滝川を見上げた。

 ふと、桜の視界に影が入った。

 真っ直ぐこちらに向かって腕を伸ばしている。その手に握られた何かが鈍く光った。雲間から月光が差し込む。

 影が、月明かりの中で輪郭を持ち始める。

 その瞬間、桜は動いた。本能的に。

 滝川龍二を押しのけ、その背で彼を庇い、真正面からその影と対峙する。

 月光に照らされた銀色の髪が凪いだ。

 一陣の風が通り過ぎた。

 音はない。

 滝川が振り返った瞬間、桜は左肩から鮮血を噴出し仰向けに滝川に向かって倒れこんだ。それを避けるように滝川が身を引く。

 桜の身体は、花弁の絨毯に埋もれた。

「・・・貴様か」

 滝川はゆっくりこちらに歩み寄ってくる男を見て微笑んだ。

 実物を見たのは初めてだった。輝きを放つ銀の髪、鮮血を閉じ込めたような紅玉の双眸。瞳と同じ不吉な輝きを放つ左耳のピアス。なるほど、フィロスが惚れこむ理由もわかる気がする。

「Comment allez-vous? Monsieur Takigawa.」

「随分派手な挨拶だな? ・・・だが、外れては元も子もない」

 滝川は余裕を見せるかのように口許を吊り上げた。だが、その目は明らかに動揺している。

「おまえがカイン・・・か。超一流と聞いていたが他愛もない」

「・・・」

 無表情のままカインは銃を構えたまま滝川に近付く。それに合わせて滝川はゆっくり身体を引く。

 トリガーに掛けられたカインの指が僅かに動いた。

「カイン!!」

 派手な足音を立てながらZがその場に現れた。何処から走ってきたのか、彼は肩で激しく息をしている。

「近付くな」

 カインは日本語で走ってきたZを制した。

 Zはカインの足許で倒れている桜を見た。血でその身を染めた彼女はゆっくり身体を起こし貫通した左肩を抑えながら滝川を見る。

 その唇から震える声が洩れた。

「・・・逃げ・・・て・・・せ・・・せい・・・」

「桜!!」

 Zの呼び声に桜は反応を示さなかった。彼女は血まみれの手でカインの黒いスラックスの裾を掴み、ただひたすら滝川は見つめている。

 滝川は彼女を見て薄く笑った。

「役立たずの屑だ、おまえは。最後ぐらい俺の役にたって死ね」

 その言葉が本心なのか、それとも息子の前だからなのかはわからない。しかし、最後まで演じ続けようとする父親の姿が急にZは哀しくなった。だが、譲から真実を知らされたからといって今更父親を弁護する気にはなれない。

 滝川がふとZに視線を移す。その目にZは驚く。

 昔彼に見せていたあの優しげな瞳だった。

「龍也・・・元気でな」

 滝川は素早く脱いだジャケットをカインに向けて投げつけ、足早に森の奥へと姿を消した。

 その姿を追うことも出来ず、Zは最後まで騙された振りをし続けた。これが最後の邂逅であったとしてもきっと悔いはない。

 カチャリ、と金属音が響いた。

 Zはカインを見た。

 彼はスラックスから手を離し、木にもたれていた桜に銃口を向けている。

「桜に何をする気だ? カイン!!」

「・・・仕事だ」

「親父の暗殺がおまえの仕事だろう!! 桜は関係ない!!」

「そこを動かないでよ、龍也」

 カインの現れた繁みの奥からゆっくりと影が近付いてくる。

 影は2つ。1つはZに向けて銃口を向けている。

 Zは殴られたような衝撃を感じた。

「・・・なんでおまえたちがいるんだよ・・・」

 その影は月明かりでも誰だかはっきりわかった。それは桜も同様だった。

(あぁ、やっぱり・・・)

 桜はどこか安堵している自分に笑った。

「・・・久米先生・・・に、神谷・・・君?」

 桜の変わり果てた姿に、神谷は銃を向けたまま無言で頷いた。それとは反対に、譲は口許に笑みを浮かべる。

「龍也、あの話にはまだ続きがあったんだよ。それぞれがそれぞれの道を歩んだ後・・・4年前、僕は桜と再会した。」


 画家として最高の名誉と名声を得た譲がカミング・アウトしたことで有名な受賞パーティーの後、譲はひとりNYのバーで飲んでいた。その日はパートナー鹿島彰人が夜から出張に出てしまったため、彼はひとりつまらない時間を過ごしていた。

 彰人と2人暮しをしているアパートも近いからタクシーには乗らずに夜道を歩いていた譲に娼婦たちから声がかかる。特にこの辺りは多いがゲイの自分には関係ない。譲は彼女たちと話はしてもまず乗ることがなかったので、譲がゲイだと言うのは広まってもいた。巧みな話術で人懐っこく笑う譲はこの界隈でも結構な人気者だった。娼婦たちも商売抜きで遊べる数少ない男なので譲と話すのは大歓迎だった。

「あら? 今日はひとり? ユズル」

 街燈の下で煙草を咥えていた女が声をかけてきた。

「まぁね。今日はどう?」

「全然ダメ。ロクなのがいやしない」

 黒髪の娼婦は肩を竦めた。ついこの前までは金髪だったのに・・・とくだらない事を思い出しながら譲は娼婦の後ろでなにやら騒ぎが起きているのに気付いた。

「あぁ、あれ?」

 娼婦は蔑んだ目で笑った。彼女の説明では2ヶ月程前からかアジア人の女が商売をしているのだと言う。物珍しさから客が結構ついているらしいが最近じゃ彼女を取り合って客が揉め事を起こすこともしばしばだった。

 大の男が取り合う娼婦とはどんな女なのか? 譲は好奇心からその騒ぎに近付いた。

 2人の男が殴り合っている。警察の来る気配もない。まぁ、来たところで後ろに手が回る連中ばかりだから仕方はないが。

 その光景を楽しそうに眺めている女がいた。その笑い方に見覚えがあった。譲がこの世で最も嫌悪する女に似た口許。

 譲は自分でも気付かぬ内にその女の腕を掴んだ。彼女は驚いて譲を睨んだが、すぐに蒼褪めた。

「・・・それが桜だった。北海道の大学を出た後、桜は単身渡米し絵の勉強をしていた。その後すぐに結婚したが上手く行かず、男が離婚に応じないため訴訟にまで発展していた。自暴自棄になっていた彼女は趣味と実益を兼ねて娼婦にまで自らを貶めていた」

 譲は彼女に同情などしなかった。むしろある計画が譲の脳裏に浮かんだ。

 桜を飼い殺し、これ以上にないほどの屈辱を与える。

 譲は彰人の知人である弁護士を雇い、彼女の離婚の手助けを行い、自分のマネージャーとして桜を雇った。


「ずっと機会を窺っていた。どうすれば桜に復讐できるかを。先生と龍也を決別させ、僕から全てを奪い去った女にどう復讐できるか・・・」

 その機会は意外と早くやってきた。

 あるパーティーで知り合った実業家が桜としばしば会っているという事実を掴んだ譲は、その実業家を脅して真実を聞き出した。

「娼婦の頃からある組織の末端として彼女は麻薬を捌いていた。しかもその実業家が滝川先生に荷物を流し、日本を始めとするアジア諸国にバラ撒いていたことを知った。桜は先生とその実業家の仲介をやっていたんだ。勿論その実業家は始末したよ。彼と同じように暗殺者を雇って」

 譲は神谷を振り返ったが、神谷は表情を変えなかった。

「彼女が僕の絵に麻薬を隠して運んでいたことを知ったのは1年前。彰人が不審に思って調べたときにわかった。でも僕は放置した。いつかこうなる機会を狙って・・・」

 譲は桜を見た。桜も譲を見、神谷を見、Zを見た。

 譲は再び口を開いた。

「今回日本に来ることになったのは偶然だった。京都に画廊を開くのは僕の夢だったから、その夢が叶ったことを先生に知らせたくってね。僕の読みどおり、桜は先生に接触した。そして僕の絵に紛れさせて米国から麻薬を密輸させた。先生から僕宛にお祝いの電話が入ったときは嬉しさのあまり気が狂うかと思ったよ。先生は彰人の関係者からたまたま聞いたと言っていたけどね。その直後、僕は恵一君に連絡を入れた」

「恵一に?」

「君がフランスへ行き、桜が北海道へ行った後、恵一君は東京の大学へ進学した。その春には先生も海外へ移住してしまったから、僕はあのアトリエを時々掃除するぐらいにしか戻らなかった。ずっと彰人と一緒に暮らしていたから。でも、恵一君とはずっと連絡をとっていた。その恵一君が内調に配属され、滝川先生のいる組織を追っていると聞いてね。今回の計画に参加してもらったんだよ」

 恵一は頷き、初めて声を発したた。

「譲さんから得た情報は僕らの調査よりもずっと正確だった。滝川龍二の組織関係も、真宮の関係も全て譲さんの情報だ。『悪魔の御子』に依頼をしたのは非公式だが国の決定だった。日本を代表する画家が犯罪組織の一員だったなんて・・・許されるはずがないからね」

「桜の殺しを依頼したのも恵一・・・おまえか?」

「・・・違うわよ、龍也」

 恵一の言葉を遮るように桜が口を挟んだ。時折洩らす彼女の呻き声が痛々しい。  

「久米先生は私をずっと憎んでいらしたのよ。でも、私はずっと滝川先生を愛しているわ。今も変わらない。例え・・・譲さん、貴方に殺されても」

 譲は笑った。狂ったように声高に。

 それが合図だったのかもしれない。Zは駆け寄り手を伸ばした。だが、間に合うはずはなかった。

 銃声はサイレンサーのために聞こえなかった。

 弾丸は桜の心臓を貫いた。

 彼女は目を見開いたまま、絶命した。

「・・・何故? 誰が・・・誰が桜を殺せと・・・」

「僕だ」

 譲は何事もなかったようにさらりと答えた。

 Zは思わず譲の胸倉を掴んだ。制するように神谷がZの手に自分の手を重ねる。

「変わったのは君だけじゃないよ? 龍也。時間は必ず人を変える。僕も変わった。恵一君も・・・ね」

 神谷は無言で頷いた。

「龍也。おじさんも、真宮も、もう戻れないところまで来てしまった。僕は自分の職務に忠実であり続ける。君が、彼のエージェントとして生きることを決めてたようにね」

 Zはカインを見た。

 カインは無表情だった。仕事のときの彼の表情。Zは殆ど見る機会がなかった。いや、初めて見たのかもしれない。

 正直恐ろしいと思った。

 今までカインが何人の人間を殺してきたかZは知らない。だが、Zは仕事の前後のカインの顔しか知らない。まるで何事もなかったかのように笑ういつものカイン。けれども、今、その彼は何処にもいない。

 目の前にいるのは冷酷無比の暗殺者。

 明日、この男は父親を殺す。

 きっといつも以上に機械的に、冷静に、標的を射抜くに違いない。

 Zにそれを留める権利はなかった。

 留めるつもりもなかった。

 今更、真実を知っても後戻りなど出来ない。ならばせめて、解放してやって欲しい。

 下手な愛し方しか出来なかった不器用な男の哀れな末路を、派手に飾ってやってくれ、と。

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