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悪魔の御子  作者: 奏響
第3話 永遠に咲くサクラ
34/71

契りきな(中)

 思えばあの日が、龍也の未来を変えたのかもしれない。

 恵一はあの胸騒ぎの意味を図りかねていた。龍也は龍也でよりいっそう桜にのめり込んでいるのが、傍で見ていてもはっきりわかるほどだった。

 やがて季節は過ぎ、入学から3度目の春を迎えた頃だった。

 あれほど毎日べったりだった龍也と桜の様子が変わった。微妙な違いだったが、今までずっと黙って見ていた恵一だけが気付いた。

「真宮が親父さんの弟子になった?」

「弟子というほどのものじゃないけど・・・」

 龍也の釈然としない態度、曖昧な言葉は彼らしくなかった。

 放課後に入り浸るのが日課になったファーストフード店内で、龍也は無表情でフライドポテトを口に運ぶ。

「桜を親父に会わせた後、何度か一緒に遊びに行ったんだ。親父と絵の話をしているうちに、良かったらうちに描きにおいで・・・みたいなことになって」

 週末金曜の夜と土曜日終日だけ、桜は熱心に滝川邸に通った。龍也も桜が行く日は必ず自分も父親の家に通い、彼女を送るのが日課だった。

「桜の父親の海外赴任が決まったんだ。家族も一緒に行くつもりだったらしいんだが、桜が嫌がったんだ。確かに、後1年だろう? 卒業まで。でもあいつひとりっ子だから残していくわけにもいかない」

 桜は龍也と滝川に相談した。どうしても日本に残りたいと。

「・・・親父さんが、真宮の両親を説得したのか?」

「あぁ。桜の両親も親父の絵のファンでさ、桜が親父に見込まれてるんならこれほどいいことはないって・・・」

 恋人と離れずにすんだのだからもう少し嬉しそうな顔をすれば良いのに。

 恵一はそう思った言葉をコーラと一緒に飲み込んだ。

 龍也にとっては桜と離れずにすんでいることを喜ぶよりも、不機嫌にならずにいられない理由が存在していたのだ。

 それがなんなのか、恵一が知ったのは龍也の口からではなく、譲からの電話だった。


 「・・・真宮が美術部を辞めていたんですか?」

「そう。僕も知ったのは最近。しかも辞めたのはこっちに通うようになってすぐだったんだよ!」

 こちらもかなり不機嫌そうな声だった。これはかなりキてるな、と恵一は察する。

「でも龍也は何も言っていなかったですよ?」

「知らなかったら言えないよ」

 あぁ、そういうことか。

 右手の鉛筆を器用に一回転させながら、恵一はようやく事態を理解した。

 つい先日、2人のことが気になった恵一は龍也に黙ったまま美術部に探りを入れた。

 そのときにわかったことは、真宮桜は2年前の7月に退部届を出していたということ。

 つまり、滝川龍二に紹介してもらった桜は美術部にいるよりも才能を磨くことができる場所を手に入れたのだ。

 勿論、龍也も恵一もそのことをまったく知らなかった。知らずに、龍也は彼女の部活動が終わるのを待っていた。毎日、毎日。

「龍也は利用されているんだよ! あの女に!!」

「譲さん・・・」

「あの女の本当の目的は先生に決まってるさ! 毎日毎日僕の邪魔ばっかりして・・・」

 滝川邸の家事一切を引き受けていたのは譲だった。彼はマメな性格だから好きでやっていたのだが、桜が居候するようになってからは彼の思うとおりに進まなくなったという。

 何をするにしても桜が先を制しようとする。

「目障りもいいところだよ。役立たずのくせに」

「龍也は何をやってるんですか?」

 恵一は目の前に広げていた参考書を閉じた。一応受験生だから勉強は毎日の日課になっている。だが、今日はながら勉強も出来そうにない。

「・・・何にも。相変わらず桜にベタベタ。先生が留守にしている日は2人して出かけて、夜遅くに帰ってくる」

 譲はそれも気に入らないのだろう。

 無理もない。譲にとって滝川親子はどちらも得ることの叶わない愛しい存在。傍にいることだけでも彼にとっては幸せなのだ。それを桜は奪った形になるわけだ。

 皮肉だ。

 労せずとも欲しいものを手に入れる女と、尽くしても叶わない男。

「・・・でもね、僕は思うんだ。あの女は絶対自ら滅びを招くよ」

 今までの熱い、激しい口調は何処へ行ったのだろうか、と思うほど、譲の言葉は冷たかった。

 どこか不吉な影を帯びた予言のように、恵一の耳に響く。

「・・・絶対・・・ね」


 恵一にかけた電話をようやく切り、譲はリビングに戻った。夜の電話は譲にとって日課になりつつあった。

 最近ますます人気が上がった滝川龍二は自宅に戻る暇もないほど、あっちこっちを飛び回っていた。その間譲は桜と2人きりの生活を送っているのだが、彼にしてみれば苦痛以外の何物でもなかった。龍也が遊びに来る日はまだマシだったが、どういうわけかこのところ彼の足は滝川邸から遠のいていた。

「譲さん、お茶淹れたんです。いかがですか?」

「・・・貰うよ」

 カウンターキッチンから桜が笑顔で顔を覗かせた。

 その笑顔が譲はたまらないほど嫌いだった。

 何か企んでいるような薄い笑い。譲には桜の笑顔がそう映っていた。

 この女と顔を突き合わせていたら息が詰まる。

 だが、誰からでも好かれる表情というものを熟知している譲は、桜に対しても表情を崩さなかった。今までの生き方が彼にそれを強いているのかもしれなかったが、彼にとっては幸いだった。

 誰もこの女の本性を知らない。

 譲は女性に対して性的興味を持つ事が出来なかったが、洞察力は並々ならぬものを持っていた。だからこそ真宮桜という人間を知っている。

 他に彼女のことをよく理解し、嫌っている人間は恵一だけだった。彼にしか言えない愚痴だったのかもしれない。

 譲が2杯目の紅茶を飲み始めたときだった。玄関で物音がした。

「先生」

「お帰りなさいませ、先生」

 リビングに現れた滝川龍二の姿に2人は同時に立ち上がった。

「どうでした? 委員会は」

「狸の集まりだ、あんなものは」

 滝川は上着を譲に向かって放り投げ、ソファーにどかっと腰を落とした。譲はいつも通りハンガーに彼の上着を掛ける。家事にあれこれ手を出すようになった桜が唯一手を出せないもの。それが滝川龍二の身の回りの世話だった。彼は自分の世話を決して桜にはさせず譲に任せていた。これだけが今の譲の支えなのかもしれない。

「新人画家の登竜門でもある展覧会の打合せですよ?」

「どうせ半分ヤラセだ。だから俺が入ったんだろうが。狸の思惑を引っ掻き回してやるためにな」

「相変わらず過激ですね、先生」

 楽しそうに言葉を交わす譲と滝川を桜はお茶を出しながらじっと見ていた。

 滝川龍二に絵を習い始めた頃、彼は桜を良く気遣っていた。手取り足取りで絵を教え、彼女を気に入っているようにさえ見えていた。

 少なくとも、桜はそう思っていた。私は先生に期待されている、と。

 しかし、滝川邸で生活をするようになってから状況は一変した。今となっては、滝川が自ら桜に絵の指導をすることなど殆どなかった。その代わり、彼は時々桜をモデルに絵を描くようになっていた。

「そう言えば、最近龍也来ませんね? あの龍也が受験勉強で予備校に通ってるんですか?」

 譲の言葉で桜は我に返った。彼女は龍也と随分顔を合わせていないことに気付く。

 3年生になってから桜は龍也と恵一の2人とは別のクラスになっていた。2人は国立受験組、桜は芸術科受験組。

 が、龍也と会っていなかったことをこれほど気に留めていなかったことは桜にとって驚きではなかった。彼の存在をすっかり忘れるほどの何かに桜は自分が惹かれていることを再認識した。

 龍也はもういい、と。

「あいつがそんなところに行くと思うか?」

 コーヒーカップを皿に戻し、滝川はクッと笑った。その視線が桜に向いていたように譲は感じる。

「旅館のほうが忙しくてな。学校から戻ったら家業の手伝いをしているんだ」

「龍也が!?」

 譲は思わず聞き返した。龍也が家を嫌っていることは譲も知っていた。その彼が何故・・・。

「大女将が倒れたそうだ。・・・もう長くないからな。俺が総一郎に頼まれたんだ。大女将が倒れて旅館のほうが忙しく、アイツの妹が寂しがっているとな。誰も構ってやれなくなっているらしい。妹・・・弥生も龍也にくっついて離れないらしいからな」

 つまり、龍也は子守りをするために帰っているのだ。それを知って譲は少し安堵した。あの『藤枝』は龍也にとってあまり良い場所とはいえないと思っていたから。

「龍也のことはどうでもいい。それよりおまえだ、譲」

「はい?」

 飲み終えたカップを流しに運び、キャンバスの前に座った譲は滝川を振り返る。

「俺が相談役を務める展覧会におまえの絵を出展する」

「僕の絵を!?」

「譲さんの絵を!?」

 譲と桜は同時に叫んだ。驚くほどのことか? といいたげな滝川の表情を譲はまじまじと見返す。

「最近良い絵を描くようになった。これなら十分世間に通用する。賞関係に俺は口を挟む立場にいないから出しても大丈夫だ。やってみるか?」

「は・・・はいっ! 喜んで!!」

「締め切りは1ヵ月後だ」

「必ず!」

「先生!!」

 桜は譲と滝川の会話に割って入るように再度叫んだ。

「私は・・・私も出します。先生!」

 すがるように、という表現が一番しっくりくるな、と譲は冷静な目で桜を観察した。

 彼女は必死の形相で滝川に懇願している。目の前に突きつけられた譲との差に彼女は納得がいかないのだろう。

 自分は先生に好かれている。自信過剰な日々の彼女の態度に譲は思い出し笑いを洩らした。 

「私だって譲さんに負けません! 十分通用する絵を・・・」

「奢るなよ、桜」

 低く響く滝川の声に桜は思わず後退った。譲自身でさえも思わず体が強張った。こんな滝川の声を今まで聞いたことはない。

「おまえの絵が世間で通用するだと? 笑わせる冗談だ。おまえの絵など俺の顔に泥を塗るだけだということを覚えておけ!」

 あまりに冷たすぎる言葉。

 滝川は冷たい目で桜を見下すと譲に向き直った。が、そのときには既にいつもの滝川龍二の眼だった。

「風呂に入ってくる。」

「はい・・・」

 譲は短い返事を返すしか出来なかった。

 リビングから出て行った滝川を見送り、譲は桜を見た。愕然とし、滝川の言葉に震える桜を譲は哀れとは思わなかった。

 ざまぁみろ。

 ただその一言が洩れそうになった。


 あっという間にその展覧会はやってきた。新人画家の登竜門として有名だけあってその応募総数は最たるものだった。その中で入賞した画家は日本画壇での将来を約束されたも同然だ。かくいう滝川龍二もこの展覧会で入賞した経歴を持っている。

「これが譲の絵?」

「うわ―、綺麗」

 龍也と恵一は1枚の絵の前で感嘆の声を洩らした。

「お褒めいただき光栄です」

 彼らの後ろで譲が嬉しそうに微笑んだ。

 譲が1ヶ月で描き上げた作品は一輪の花の絵だった。薄暗い背景の中に浮かぶ花瓶の中の一輪の花。そこに差し込む陽射しが優しげに花を包む。静物画だが、どこか幻想的な雰囲気を漂わせていた。

「入賞おめでとうございます、譲さん。これ・・・」

「綺麗な花! ありがとう、恵一君」

 譲は手渡された花束を大事そうに抱えた。

「・・・そう言えば真宮は来てないんですか?」

 恵一が周囲を見渡す。が、彼女らしき姿はない。

「譲の晴れの舞台だってのに・・・」

 龍也も不服そうに言葉を洩らす。多分彼の言葉にはそれ以外の意味が含まれているのだろうが。

「・・・龍也と桜って最近まったく会ってないみたいだね」

「真宮とクラスが離れてますからね。龍也は真宮によく電話してるらしいんですけど、あいつが忙しいだの何だの取り合わないみたいで」

「ふーん」

 2人は小声で龍也には聞こえないように話した。龍也は譲の絵に見入っていて聞こえていない様子だ。

「でも、この前は2人でホテルから出てくるのを見たって後輩が」

「・・・いつ?」

「一週間ほど前かな?」

「先生が東京に行ってた頃だな・・・」

「そんなところで何をやってるんだ? おまえたち」

 朗々と響く声が譲たちを振り返らせた。

「親父」

「龍也、よく来たな」

「来るさ、譲の晴れ舞台なんだから」

 2人は仲良く笑いあっていた。何処から見ても仲睦まじい親子に見える。

「恵一君も良く来てくれたね」

「お招きありがとうございます、小父さん。・・・後ろの方は?」

 恵一は控えめに滝川の背後に立っていた男に気付いた。

 歳は23、4歳位だろうか? 鼻筋の通った所謂美青年といったタイプだ。

 「アキト君」と滝川は振り返って声をかけた。

「彼は鹿島彰人君。俺のスポンサー鹿島グループ会長の御二男だ。お父上に似て芸術に造詣が深くてな。この展覧会も鹿島グループが主催していて、彼がその指揮をとっているんだ」

「その若さでですか? 凄いなぁ」

 恵一は本当に感心していた。鹿島グループといえば日本でも1、2を争う企業グループだった。

「そんなことはないよ。今の仕事は所詮父から引き継いだだけだからね。それより・・・」

 彰人は腕に抱えていた大きな花束を譲に差し出した。譲は驚いて眼を白黒させている。

「あ、あの・・・」

「滝川先生から君の噂は聞いています。とても才能に溢れた方だと。今日君の絵を初めて拝見しましたがとても素晴らしい絵です。美しく、優しく、哀しく・・・。まるで人の心が映し出されているかのようだ」

「あ、ありがとう・・・」

 譲はおどおどした口調でやっと花束を受け取り礼を述べた。

 そんな譲の姿を恵一は初めて見たように思う。恵一だけではない。龍也も唖然と2人を眺めている。

「良ければ今日の受賞パーティーの後、ゆっくり話がしてみたいんです。・・・2人っきりで」

「・・・はい・・・喜んで」

 例えていうならば、譲の表情は恋する乙女のそれであった。

「噂以上に、貴方も素敵だ・・・」

 2人の会話が聞くに堪えなくなってきたところで龍也たちは譲と彰人達を残し、会場から出ることにした。

「なんかアイツの言葉を聞いてたら鳥肌がたってきた」

「よく言うぜ。自分だって真宮に散々クサイ台詞吐いていたくせに」

「人前でやるかよ!」

「桜と会っているのか?」

 滝川の静かだが、どこか荒々しい声に龍也は「え?」と洩らした。

「会って・・・るに決まってるだろう? 俺の彼女だし」

「・・・・・・そうか」

 たった一言だけの呟きを残して、滝川は龍也に背を向けそのまま出て行ってしまった。

「・・・どうしたんだ? 親父」

「・・・」

 龍也は父親の言動に特別不快感を示すわけでもなく、ただの気まぐれだと感じている様子だった。しかし、恵一は見ていた。龍也が桜と会っている事を聞いたときの、滝川の表情を。

 得体の知れない、醜いものでも見たような歪んだ表情。

 もしかしたら、滝川龍二は桜を嫌悪しているのでは・・・?

 譲からいろいろな話を聞いている恵一はずっとそう思っていた。今回の展覧会も、桜は自分も出展したいという願いを彼によって一蹴されたと聞いた。弟子になる前は滝川は龍也の彼女である桜を可愛がっていたように思ったが、今は冷たい眼で蔑むように彼女を見ている。

(わからない・・・)

 滝川龍二にとって桜はどういう存在なのか。愛しむ存在なのだろうか? それとも、憎むべき存在なのだろうか?

 愛しむ存在ならば、もう少し優しい言葉でもかけているだろう。憎むべき存在ならば、譲が言うように桜をモデルに絵など描かないだろう。

(何を考えているんだ・・・)

 いくら恵一に人を見る目があるとはいえ、20歳ほど歳の離れた男の考えることなど読めるはずもなかった。

 ただひとつ確信できることは、彼が息子をこれ以上無いほど愛していることだけだった。


 腐りかけた林檎は、放っておけば同じ箱の林檎を腐らせていく。

 腐った林檎の影響を防ぐには何が一番よい方法なのか?

 それは、接触させないこと。

 守るべき林檎から遠ざけること。

 恵一は後にそう比喩して弥生に語った。

 彼の兄が何故、日本を出て行ってしまったのか。その原因が何だったのか。

 当時まだ幼すぎた少女が年頃に成長したとき、せがまれて恵一は語った。そのことで、少女が彼女を憎んだとしても。

 自分の見聞きしたことを。

 まるで、禁断の果実に唇を触れた愚かなイブを語るかのように。

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