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悪魔の御子  作者: 奏響
第3話 永遠に咲くサクラ
33/71

契りきな(上)

 薄暗い部屋の明かりは僅かに差し込む西陽だけだった。

 こうして、父親と正面から向き合うのは13年振りだった。2人の間にはそれだけの時間が存在していた。

「13年か・・・」

 滝川龍二は懐かしそうに呟いた。

「元気だったか?」

 ありがちな台詞だった。だが、それすらZは答えることが出来なかった。

「何故ここにいるんだ」

「もう逃げたと思ったか?」

 薄く笑う父親の顔をZは睨んだ。が、息子に睨まれてもこの男は動じない。

「おまえが日本にいると聞いてな。多分、今日あたりにでも来ると思ったからこの家にいた。ずっと譲に管理を任せていたがあいつは律儀だな。傷みひとつありゃしない」

「どうして・・・」

 呆然と自分を見る息子に父親は口許を緩める。

「不思議か? 俺がおまえのことを知っているのが。だが、俺にはおまえのほうが不思議だ。何故、殺し屋の片棒など担いでいる」

 今度はZが驚く番だった。

「・・・カインの事を知ってるのか?」

「ある人間が教えてくれたのさ。おまえが『悪魔の御子』のエージェントをやっていると。どうしておまえがそんな真似をしているんだっ!」

 苛立つように滝川は語尾を荒げた。

「おまえだけは、まともに生きていると思ったが・・・」

「あんたの息子だからさ」

 ふん、と鼻でZは笑う。

「俺がまともに生きていないと何故言える。カインがあんたを殺そうと、あんたが殺されようと知ったことじゃない! 俺はずっとあんたを憎んできた。13年前、俺にした事を忘れたとは言わせない!!」

 大声で叫んだZに滝川は反論しなかった。けれども、視線だけはまっすぐZを見つめる。

 Zは肩で息をしながら少しずつ呼吸を整えた。

 心臓の鼓動が激しく、頭の芯がぼぉとしている。

「俺は俺自身に決着をつけに来たんだ。・・・全てはここから始まったから」


 桜が散り、葉桜も雨に濡れる日々を送る頃だった。まるで梅雨の中休みとでも言うように晴れ渡ったある日、藤枝龍也はグランドのフェンス越しにサッカー部の練習風景を覗いていた。

「そんなとこでサボり? 龍也」

 ボールを足で器用に操りながらユニフォーム姿の少年がフェンスに駆け寄ってきた。龍也の前まで来るとリフティングを始める。一応練習をしているつもりなんだろう。

「よう、恵一。いいのか? おまえこそ練習だろう」

「今コーチが出払ってるからな。それより美術部は?」

「性にあわねぇから辞めた。」

「飽きっぽいやつだなぁ」

 呆れたように恵一は笑う。サッカーボールを蹴るのを止め、両手でボールを持つ。

「後15分もすれば今日は上がれるんだ。たまには一緒にメシ食って帰ろうぜ」

 龍也と恵一は3ヶ月前、高校の入学式の日に同じクラスになったことがきっかけで友達になった。恵一は小学生からやっていたサッカーを続けていて、龍也を誘ったが彼が入部したのは意外にも美術部だった。だが、それも長続きはしなかったようだ。

「それより親父のとこに行かないか?」

「え? 親父さん帰ってきたのか?」

 恵一は嬉しそうに笑った。

 龍也の実父が有名な画家であることは恵一も知っていた。入学してすぐに龍也に連れられて父親のアトリエに行ったことがあったからだ。彼の父親滝川龍二は龍也に良く似ていた。

 この3ヶ月の間で、龍也の家庭の複雑さを恵一は彼自身から聞いていた。

 母親が中学を卒業してすぐ、画家を目指して渡仏したこと。美術学校で年上の留学生だった滝川龍二と同棲を始め、龍也を妊娠したのを期に結婚。画壇でも脚光を浴び始めた頃、彼ら家族は日本へ帰国し母親の実家に住んでいた。しかし、龍也が8歳になる前に父親は家を出た。

 理由は画家としての父の生き方に母がついていけなくなった。

 龍也からはそう聞いた。

 それからの龍也は祖父と折り合えず、中学に上がった頃には京都市内にアトリエを構えていた父親の許へ通っていた。

 今そのアトリエには父親と彼の弟子・久米譲が住んでいる。

「確か先月パリに行っていたんだろう?」

「あぁ、先週帰ってきたんだ。だから遊びに来いって」

 龍也の顔には満面の笑みが刻まれていた。

 滝川龍二と離婚した彼の母親藤枝睦月は、旅館の使用人だった暮崎総一郎を婿に取った。彼は中学を卒業してすぐ藤枝で働いていた。睦月が中学に入って間もない頃だったから自然2人の仲はよかった。先代当主だった祖父にも可愛がられていた総一郎は収まるべき場所に収まっただけだったが、夫婦仲は龍也の知る限りでは滝川龍二との生活よりよっぽど良好だった。

 幼い頃から龍也も総一郎には懐いていたから父親になった彼を嫌う理由はまったくなかった。

 が、息子にとって実の父親の存在は特別だった。だからこそ、総一郎は睦月に黙ってでも龍也が望めば滝川龍二のアトリエに送ってゆくこともしていた。

 特に、昨年の3月に睦月と総一郎の間に龍也の妹、弥生が誕生してから龍也の父親への思慕は激しくなるばかりだった。

 母親と義父は旅館業と育児に忙しく、祖父母は弥生しか見ていなかった。旅館の従業員も誰も龍也に見向きもしなかったのが原因だった。

 きっと龍也が滝川龍二の籍に入ると言っても誰も止めない。

 可哀相だ。

 龍也の身の上話を聞いて恵一が持った素直な感想だった。

 けれども、龍也はそれをおくびにも出さず生きている。そんな彼の性格が恵一には羨ましく思えた。

「じゃ、いつもどおりすぐに着替えてここに戻ってくるよ」

「いや、正門で待ち合わせようぜ」

「なんで?」

 いつもと違うことを言う龍也に恵一は訝しんだ。

 恵一の視線に龍也はぽりぽり頭を掻いた。

「あのな・・・」

 龍也が口を開きかけたときだった。

「りょーやー、ここにいたのぉ? 探しちゃったじゃない」

 龍也の背後からいきなり抱きついた少女に恵一は声を上げた。

「真宮!?」

「はぁい、神谷くん」

 クラスメートの真宮桜だった。入学と同時に東京から来た転校生で、長い黒髪と利発そうな目が印象的な全校生徒の注目の的だった。

「なんでここに・・・て。え? なに? おまえ・・・」

 恵一は龍也と桜を交互に見た。照れたように頬を染める龍也の表情が恵一の中の疑問を肯定していた。

「嘘だろう?」

「私たち4月の終わりから付き合ってたのよ。知らなかった?」

 クスクス笑う桜に恵一は思わずむっとする。

「悪かったな」

「なんだよ、桜。美術部は?」

「だってもう仕上げちゃったもん。それより早く行こうよ。龍也のお父さんのとこ!」

 正門での待ち合わせの意味を恵一はこのときになって初めて理解した。

「じゃ、荷物とってこいよ。正門で待っててやるから」

「わかったわ。じゃね、神谷くん」

 軽やかな足取りで手を振りながら桜は校舎へ向かって走っていった。

「・・・まさかあの真宮とおまえが付き合っていたのか」

「まぁな。たまたま美術部で一緒になってな」

 入学してすぐに入った美術部で龍也は真宮桜と出逢った。そのとき初めて彼女が自分と同じクラスであることを知った龍也は急速に彼女と親密になっていった。

「一番最初にクラスで見かけたときは別になんとも思わなかったんだけどな」

「おまえ変わってるからな」

 恵一は溜息をついた。

 恵一にしてみれば、最初に顔と名前を覚えた女子は真宮桜だった。同じ歳の少女たちと違って大人びた顔立ちと落ち着き、そして何よりその美貌が厭でも人目を惹いた。しかし、何故か恵一は桜に好意を持つ事が出来なかった。

「で? ドコまでいってんの」 

「・・・・・・野暮なこと聞くんじゃねぇよ」

 口許を手で隠し、真っ赤になる龍也は答えてるも同然だった。

「やることやってるんだな」

「ほっとけ。じゃ、正門でな」

「あぁ」

 そう言って校舎へ向かった龍也の背中を見送りながら、恵一は妙な不安を感じていた。

 正直自分には人を見る目があると恵一は自負していた。年の離れた兄弟の中で育ったせいか、人を見抜く力があった。

 他の連中と違って真宮桜に惹かれなかった理由。

 彼女は男を『選ぶ』眼を持っている。自分にとって誰が有益であるか、誰が自分をより才能ある人間に見せるか。媚びた視線で男を魅入る。

 ただひとつ。利用するために。

「・・・・・・気をつけろよ、龍也」

 恐らく、恵一が「あいつはやめろ」と言っても龍也は聞く耳など持たないだろう。

 今の恵一にできることは、親友を見守ることだけだった。


 電子的な呼び鈴の音の後、跳ねるような足音が玄関へと近付き、勢いよく開かれた扉は僅かに龍也の鼻先を掠った。

「あ、危ねぇだろうがっ! 譲!!」

「久し振り! 龍也!!」

 扉の向こうから飛び出してきた人物は勢いそのままに龍也に飛びついた。

「離れろ! 男に抱きつかれて喜ぶシュミはない、前から言ってるだろうーが!!」 

「つれないなぁ、龍也ってばぁ~」

 明るい茶色の髪が軽やかに揺れる。

 彼の細い身体を引き離し、龍也は溜息をついた。

「お久し振りです。相変わらずですねぇ、譲さん」

「久し振り、恵一君。なんかまたカッコ良くなってない?」

「モデルに使ってくれます?」

「うーん、考えとく」

「りょ・・・龍也?」

「なに?」

 譲の行動に圧倒されたのか、桜は呆然と3人を眺めていた。

「あぁ、悪い悪い。」

「あれ? 新しい友達?」

「違いますよ。龍也の彼女」

「えー!?」

 いくらなんでもそんなに驚くことないじゃないか、と、譲の驚きように文句をつけながら、龍也は桜の肩に腕を回した。

「彼女は真宮桜。5月の連休前ぐらいから付き合い始めたんだ」

「そうなんだ」

 譲が少しがっかりした様子で肩を落としたことに恵一は気付いた。だが、龍也はそんな譲に目もくれず、桜に彼を紹介している。

「こっちは久米譲。去年の夏休みぐらいからちょくちょく親父のところで絵の勉強をしていたんだけど、今年の3月に高校卒業してから正式に親父の弟子になったんだ」

「滝川先生の弟子・・・?」

「よろしく、お嬢さん」

 ニッコリ微笑んで出された譲の右手を桜はおどおどしながら握り返した。

「で? その親父は?」

「今日はたくさんいるスポンサーのひとりのね、資産家の娘の結婚式に招待されてるんだ。れっきとしたオシゴトだね。もうすぐ帰ってくると思うよ」

 薫り高い紅茶の注がれたカップを出しながら譲は答えた。

「あの・・・この絵は?」

「それは僕のだよ」

 桜が指差したキャンパスに譲はクロスをかけた。

「この居間は僕がアトリエとして使っているんだ。先生に教えていただきながら一日中ね。先生は最近はあまり絵筆を取られることがないんだけど、たまに描くときだけここで描くか、ご自分の寝室に篭って描かれるよ」

「・・・・・・見てもいい? 家の中」

「案内するよ」

 この家は広いからね、と笑いながら龍也は桜を連れて今から出て行った。

 残された恵一は静かに紅茶を啜る。

「龍也って趣味悪いね」

「判ります?」

 くすっと譲が笑う。

「あの娘、綺麗だけど毒々しいよ。最初に僕を見たときから僕のことを観察していた。あーいう女って大っ嫌い」

 拗ねた様子で譲はクッキーを噛んだ。

 譲の場合嫌いも何もないんじゃ・・・と恵一は思ったが口にすることは遠慮した。

「でも、我が校のマドンナですよ」

「恵一君、あの娘が嫌いでしょ?」

 返事はしなかったが恵一は口許を緩めた。

「龍也も龍也だ。傍に僕がいるっていうのに」

「それは違うでしょう」

「恵一君はどう? 僕のこと」

「譲さんは好きですけど、俺ストレートなんで」

「残念」

 お互いの顔を見て、2人は思わず吹き出してしまった。

 恵一が久米譲を知ったのは龍也に誘われてこの家に来たときだった。

 生まれも育ちも東京で、医者の家に2人の優秀な兄をもって生まれた譲は親の敷いたレールを子供の頃から嫌っていた。幼い頃美術館で見た絵画に惹かれた彼は絵の教室に通い、美術にのめりこんでいった。

 しかし、厳粛な家族に芸術家になりたいという譲の夢が受け入れられるはずもなかった上に、家族と決定的に決裂した理由があった。

 自分が女の子に興味がもてないこと。初恋が中学の先輩男子だったこと。

 それを隠すこともせず、堂々と男と付き合い始めた譲を家族は嫌った。そして、譲も家族を嫌い、家に寄り付かなかった。

 彼を唯一心配したのが高校の女性美術教師だった。譲の人格を否定しなかった唯一の人物でもある彼女は譲に絵を描き続けることを勧めた。

 彼女との出会いがなければ自分はとっくに死を選んでいた、と龍也と恵一に笑いながら話したこともあった。

 絵を描き、次第に開花し磨かれ始めた才能をもっと伸ばしてやりたいと考えた彼女はかつての後輩に連絡をとった。

 彼女がフランスに留学していたときに美術学校の後輩だった同じ留学生。

 それが滝川龍二だった。

 滝川は彼女には世話になったからと譲を快く引き受けたという。

 彼がゲイであることを滝川は厭わなかった。個人は尊重されるべきだと笑って。

「だから僕は先生が大好きなんだ。例え先生にこの想いを受け入れてもらえなくても僕は幸せだよ」

「大人だなぁ、譲さん」

 人懐っこくて、捌けてて、それでいて大人で。恵一は人間としての彼が大好きだった。

 ついでに料理上手なところも。

「龍也が来ると聞いて君も来ると思っていたからね。今日はご馳走を振舞うよ」

「手伝います。俺これでも料理は得意なんで」

 そう言って楽しそうに台所に二人は並んだ。

 まるで兄弟か何かのように。


 夜の7時を告げるように壁時計が音楽を響かせた。それと同時に玄関の扉が開かれた。

「お帰り、親父」

「なんだ、おまえまた来てたのか」

「またって言うなよ。今日は俺だけじゃねぇもん」

 拗ねた口調で先を歩いた龍也の後に居間に現れた滝川龍二は慣れないネクタイを緩め、ジャケットを譲に向かって放り投げた。

「やぁ、恵一君。いらっしゃい」

 お邪魔してます、と会釈をした恵一の向こうで伏し目がちに自分を窺う少女に滝川は気付いた。

「龍也の彼女ですよ、先生」

「真宮桜です。初めまして」

 深々と頭を下げる桜を滝川の目がふと光った。そのように恵一には見えた。

 が、すぐに滝川は目を細めた。

「いらっしゃい。君が桜君? 噂は龍也から聞いてるよ。絵が好きなんだって?」

「はい。先生の絵を展覧会で見てからずっと先生のファンでした」

 突然の桜の発言に、誰よりも驚いたのは他ならぬ龍也だった。

「そんな話、一度も聞いたことないぞ!?」

「そうだった? 話したと思っていたわ」

 桜の言葉は素っ気無かった。恵一の眼には桜が軽薄に映る。

「まぁ、いいじゃないか、龍也。明日は休日だ。ゆっくりしていきなさい」

「はい」

 譲の手料理に舌鼓を打ちながら、滝川と桜の会話は弾んでいた。それが面白くないのは譲ばかりではないらしい。

「・・・桜、そろそろ帰るぞ」

 龍也は食後のコーヒーを飲み干すと席を立ち上がった。

「まだいいじゃない。明日休みだし。うち両親が今日いない・・・」

「ひとりだったら余計送ってかなきゃならないだろう!!」

 たまらず叫んだ龍也ははっと口を抑えた。

「・・・すまん」

「今日は泊まっていきなさい。もう遅い。龍也と恵一君も・・・」

 滝川は食器を片付けようと立ち上がる。それを慌てて譲が制した。

「先生、僕がやります。疲れているんだから・・・」

「じゃあ、彼女を客室に連れて行ってあげてくれ。龍也と恵一君たちはいつも通り和室でいいな?」

 そう言われて龍也と恵一は頷いた。

「・・・おやすみ、龍也」

「・・・おやすみ・・・」

 彼女は笑顔で、龍也に手を振った。

「・・・龍也、総一郎に電話を入れておけよ」

「うん・・・」

 滝川の言葉にも龍也は生返事を返すだけだった。恵一はそんな龍也の姿を妙な胸騒ぎを覚えながら見ていた。



 この瞬間から、全ての歯車が狂いだした。

 何もかもが、音をたてて軋み始めたかのように。

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