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悪魔の御子  作者: 奏響
第3話 永遠に咲くサクラ
28/71

めぐりあひて(中)

 パリの夏に慣れきったZの身体にとって、京都のうだるような暑さは耐えがたかった。

 思いたった翌日、朝から東京を発ったZは正午前に京都へ着いた。駅からタクシーに乗り、とある寺院の前で降りて砂利道の参道をZは歩いていた。

「・・・来たぜ、じーさん」

 Zは手入れの行き届いた墓石の前で足を止めた。左手に握っていた木桶を地面に置き、杓で水を掬い墓石にかけ、駅前で調達した線香の束にライターで火を点けた。

 胸ポケットから出した煙草を咥え、同じくライターで火をつける。

 一服してから、墓石の前に吸いかけの煙草を備える。

 膝をつき、軽く手を合わせたZは墓石に刻まれた文字を見た。

「・・・あんたは俺の顔なんて見たくもなかっただろうけどな」

 自嘲の笑みを浮かべ、Zは続ける。

「じーさん、よく俺を罵ったっけ。無理もないよな、あんたがこの世で一番嫌いな男の顔なんだから。でも・・・」

「お兄ちゃん!?」

 Zの独白を遮ったのは少女の声だった。突然の言葉に驚いたZは振り返った途端左頬に平手を喰らった。

「・・・痛っつー」

「お母はん!!」

 殴られた頬をZは拳で拭い、手を上げた本人を見上げた。

 そこには、和装の婦人が怒りを露わにして立っていた。

「お兄ちゃん! 大丈夫やった!?」

 同じく和服の少女がZに駆け寄った。

「弥生・・・? なんでここに・・・」

「昨日急なお客さんが来はってお墓参りに来られへんかったのよ。それで今日・・・でもいきなり叩くなんてお母はん酷すぎや!!」

「・・・今頃になって・・・法事も終わったんえ!! お通夜にもまったく顔出さんとお葬式にも殆どいてへんかったやろう。あんたのお祖父ちゃんなんやで!!」

「・・・お袋」

 Zは弥生に腕を引っ張られてようやく腰を上げた。

「何とか言うたらどうやのっ! この子は!! お祖父ちゃんが危篤や言うたときもすぐに来ぃへんかった! 今頃どの顔下げて帰ってこれると思ってるんや!!」

「もう、止めないか睦月。お墓の前だよ」

「せや言うたかて・・・」

 母親の後ろに立っていた男が見かねたように彼女を宥めた。

「あぁ、綺麗にしてくれたんだね。ありがとう。今日着いたばっかりだろう? 早く帰って休みなさい。久し振りなんだからゆっくりパリの話も聞きたいしね。さぁ、睦月。お客さんも待ってるから行こう」

「総一郎さんがそう言わはるんなら・・・」

「弥生、お母さんと先に戻って」

「・・・わかった」

 弥生、と呼ばれた少女は名残惜しそうにZを見た。Zは少女に向かって笑いかけた。気にするな、と言わんばかりに。

「・・・すまなかったね」

「父さんの謝ることじゃないさ」

 叩かれた拍子にひっくり返してしまった木桶を掴み、Zは笑った。

「お袋の言うことも一理あるさ。今更だと思われても仕方がない。本当は来るつもりなかったんだ。じーさん俺のこと嫌ってたから」

「そんなことはないよ」

 総一郎は首を横に振った。

「先代は、お祖父さんは君のことをずっと気にかけていたんだよ? それこそ亡くなるその瞬間まで。それを知っているから母さんは怒ったんだよ」

 さぁ、行こう、と総一郎に促されてZは彼の後に付いて歩いた。

 それから実家に着くまでの間、Zは祖父のことを口にしなかった。

 祖父が自分を忌み嫌っていたことは誰もが知っている事実だ。子供の頃は何かある度に祖父に叱られ、家を飛び出しては総一郎に迎えに来てもらうという繰り返しだった。そのうちにZは祖父を避けるようになった。

 思えばいつから祖父と会話を持たなかっただろうか。それすらZには思い出せなかった。

 寺を出てから20分ほど歩くと見慣れた光景が広がる。京都東山にある祇園、八坂神社を抜け、閑静な場所にZの実家はあった。清水寺の参道に並ぶ店などの賑わいからは離れているため普段から静かなのだが、今日は蝉の鳴き声が寄りいっそうの静けさを醸し出しているようだった。

 Zは立派な門に掛けられた看板を見た。

 『藤枝』。

 創業は300年ほど遡るという。昔は嵯峨にあったのだが、明治以降今の場所に別館を建てたのが始まりである。嵯峨の本館は戦後老朽化を理由に取り壊したものの、その古くからの伝統を受け継ぐ旅館がZの実家だった。

「おや、今日のお客様がもうお着きかい?」

 総一郎は庭掃除をしていた老人に声を掛けた。

「へぇ、たった今。女将と若女将がお迎えにでてはります」

 なるほど玄関からは賑やかな声が聞こえてくる。

「忙しいのか?」

「まぁね。今はまだ夏休みだからね。でも、今週ぐらいまでかな。来週には空いてくるよ」

「じゃあ、俺も手伝うか」

「いいよ、疲れてるんだし」

「父さんは相変わらず優しいなぁ」

 Zの言葉を聞いて総一郎は思わず赤面した。「親をからかうんじゃない」と苦笑気味に言う。

「遠いところをようこそお越しやす」

 女将のよく通る声が玄関に響いた。この声が聞こえるたびに、そう言えばよく裏庭から抜け出したなぁ、とZは懐かしそうに思い返した。

 総一郎の後から玄関に足を踏み入れたZは、『本日のお客様ご一行』を見た。

 5人ほどの外国人のようだ。長い黒髪の長身の男がゆっくり背後を振り返った。その顔にZは思わず叫んだ。

「ライ!?」

 Zの声に他の4人も振り返った。

「・・・じゃなかった、美龍。それにキャロル? エ、エレーナ!? ・・・リザまで。」

「あんた・・・」

「やっぱり帰っていたか?」

 セシルの言葉を遮りカインがZに向かって言った。

「カ・・・」

 思いの外元気そうな顔のカインにZは安堵した。覚醒する前にパリを出て来たせいかずっと気になっていたのだ。

「何でここに・・・?」

「ノエルさん、お仕事なんやて」

 弥生が横から口を挟んだ。

「カ・・・ノエル、知ってるのですか?」

 リザが不思議そうに日本語で弥生に訊ねた。弥生はこの碧い瞳の少女の日本語に特別驚くわけでもなく笑顔で答えた。

「随分昔からうちに泊まってくれてはる常連さんよ。」

「・・・初耳だわ」

 アイラがぼそりと呟いた。

 ライとセシルもアイラと同じだったらしい。カインはくすりと笑った。

「後で説明する」

「お待たせいたしました。」

 挨拶の後、姿を消していた女将が再び玄関に現れた。

「離れの準備が終わりましたよって、どうぞ。あら、あんた帰ってたん?」

「帰って悪いのかよ」

 Zは聞こえないようにぼそっと呟いた。そんなZを無視して女将はカインに深々と頭を下げた。

「ノエルはんにはいつもいつもうちの子がお世話になって・・・」

「こちらこそ、龍也には世話になっています」

「リョウヤぁ~?」

 名前を繰り返しながら3人は訝しげにZを見た。ZはZで目を合わせないようあさっての方向を見ている。

「・・・リョウヤって誰?」

 リザがカインの服の裾を掴み囁いた。その仕種がやけに可愛らしく、カインは微笑んだ。

「そこで知らぬ振りをしている図体のでかい男のことだよ。なぁ、藤枝龍也?」

 意地悪そうな顔でカインはZを振り返った。

 久し振りに苛める対象を見つけて楽しんでいるようでもあったが。


 「改めまして、妹の弥生と申します」

 弥生は三つ指をつき、礼儀正しく自己紹介をした。

 藤枝弥生。16歳の高校2年生。Zの年の離れた妹で旅館『藤枝』の跡取娘であり、高校では生徒会長をも務める才女である。

「へぇ、リザって18歳なの? うちと同じくらいなんやね。せやのにずっと大人っぽいわ~」

「そんなことないよ!」

 リザは照れたように笑った。

「ここのお庭とっても素敵。私大好き」

「おおきに」

 リザと弥生は顔を見合わせて微笑んだ。

 女将に準備してもらった離れは本館とは中庭で繋がっているだけなので他の宿泊客と顔を合わす機会は殆どない。

 カインが日本に『仕事』で来る際はたいてい『藤枝』に何日か泊まっていく。そのときも必ずこの離れを利用しているのだ。

「藤枝龍也ね・・・そう言えば私あいつの本名を全然知らなかった。日本人なんだから日本人の名前があるはずなのに」

 セシルは弥生が淹れてくれた日本茶に口をつけた。

「俺もそうだったよ。カインも教えてくれればよかったのに」

「いや、Zが言ってると思っていたからさ」

 庭の床机に腰をかけて煙草の煙をくゆらせるライにカインが彼の煙草の先に自分の煙草を近づけ火を移した。

 最近増えたんじゃないのか? と訊くライにカインは笑って否定する。

「まさか、あいつ日本で何か悪いことでもやってパリに逃げてきたとか言うんじゃないでしょうね」

 庭に咲いている植物の説明をしてくれる弥生の声にリザと耳を傾けながら、アイラは振り返ってカインに言った。

「おまえらってどうしてそういう発想しかできねぇんだ」

 襖を開け、Zが青筋を立てながら座敷に入ってきた。最初から廊下で聞いていたのだろう、これ以上酷い憶測が飛ぶ前に出てきたらしい。

 作務衣姿のZは縁側から庭に出てカインたちを呼んだ。

「なんやの、お兄ちゃん。その作務衣つんつるてんやないの!!」

「父さんのなんだから仕方がないだろう」

 Zは不貞腐れたように答えた。

 確かに彼が着ている作務衣は袖が短すぎるようだった。裾は下ろしたようだがやはり短い。

「あっちも離れなの? Z」

 アイラが興味深そうに植え込みの向こうに見える建物を指差した。こちらの離れと同じような形をしている。

「あぁ、あっちも離れ。あそこの木戸から行けるけど・・・今誰か泊まっていたか?」

「うん。あっちも常連さんよ」

「常連?」

「そう、お兄ちゃんも知って・・・」

 弥生の言葉を遮るように木戸がカタッと音を立てた。

 反射的に、カインはジャケットの懐に忍ばせてある銃に手を掛けた。セシルたちもそれぞれの得物に手を伸ばす。

 たが、それはただの取り越し苦労だった。

「・・・もしかして・・・龍也?」

 木戸を少し開けた人物がその手でそのままZを指差した。

「え?」

「龍也? 龍也だろう!? 帰っていたのかい?」

「・・・Mr. 久米!?」

 その男の正体に最初に気付いたのはセシルだった。彼女の声に久米と呼ばれた男は嬉しそうに手を振った。

 若い男だった。長めの前髪のショート・ヘア、ノースリーブのシャツ、25歳前後かな? とライが憶測する。

「ミズ・シンディア!! こんなところで貴女に会えるなんて光栄だなぁ。サマー・ヴァケーション?」

「え、えぇ。そんなところですわ」

「キャロルの知り合い?」

 アイラの問いにセシルは首を縦に振った。

「4年ぐらい前かしら、彼がNYで開催した個展のスポンサーになったのがきっかけでね。あ、彼は画家なの。とても繊細な絵を描く人でね、私も何枚か持ってるのよ」

「あの時以来、キャロルにはお世話になりっぱなしですよ」

 笑いながら、久米はZを見上げた。

「・・・譲、久し振りだな」

「君も、元気そうだね・・・」

 Zを見る久米の目がふと細くなった。少し、切なげに。

「もしかして龍也の友達だったの? キャロル。だったらそちらの方々を紹介していただけませんか?」

「えぇ、そうね。この背の高いのが美龍。彼女がエレーナ。弥生の隣にいるのがリザよ。それと・・・」

 紹介されたそれぞれと握手を交わした譲はカインを見た。

 カインはサングラスをゆっくり外し、京都についてから初めて顔を露わにした。

「ノエルよ。ノエル=キャンドルライト」

「・・・よろしく」

 差し出された手をカインは軽く握った。

「・・・綺麗だ」

「は?」

 久米譲の口から洩れた言葉にカインは思わず一歩後退去った。

「その銀髪が、僕の部屋から垣間見えたものだからつい来てしまったんです。・・・まさか、ここまで綺麗な顔なんて・・・」

「お、おい? 譲?」

 すっかり浸りきっている久米にZは声をかけたが反応らしいものは何一つ返ってこなかった。

「お願いします! ノエルさん!! 少しの間だけでいいです。モデルをやってくださいませんか!!」

「はぁ?」

「こんなにも創作意欲を掻き立てられたのは初めてです。どうか、僕のモデルをやってください!!」

「ま、待てよ。譲!」

 Zはカインと久米の間に思わず割って入った。

「こいつは・・・こいつは写真を撮られるのも嫌いなんだ。モデルなんてとんでもない!! 諦めてくれよ。な?」

「でも・・・」

「他にモデルなんていくらでもいるだろう? 俺の友達なんだよ、頼む」

「・・・龍也にそう言われたらこれ以上頼めないな」

 久米はようやく諦めたのか溜息をついた。

「・・・すみません、つい・・・。僕の悪い癖なんですよ。気に入るとすぐにモデルにとせがんでしまって・・・。このお詫びは近いうちさせてもらいます」

 それじゃ、と言って久米譲は再び木戸を開けて自分の離れへ戻っていった。

 少しがっかりした様子を見せるその背を見送りながら、セシルは溜息をついた。

「弥生、何故彼はここに?」

「8月に入る少し前から宿泊してはるの。何でも京都で個展を開くとかで。今は離れをアトリエ代わりにつこうてはるわ」

 弥生は久米譲に少し興味があるようだったがそれ以上の事を知らなかった。代わりにセシルが皆に教える。

「彼・・・久米譲はいくつに見えた?」

「・・・25歳前後。東洋人の年齢はわかりづらいから多く見積もって俺たちと同じぐらい」

 ライの返答にセシルは思わず吹き出した。

「なんだよ」

「・・・彼ね、若く見えるでしょ? 実は34歳よ」

「こいつより年上!?」

 ライは思わずZを指差して絶叫した。失礼なと言わんばかりにZが表情を歪める。

「私も最初に聞いたときは驚いたけどね・・・」

 久米譲、34歳。高校卒業後京都である画家に師事。その後少しずつ才能が認められ27歳のときに某展覧会にて最優秀作品賞に選ばれる。今やトップレベルの画家としてアメリカでも活躍。

「でも気をつけたほうがいいわよ、ノエル」

 セシルがニヤニヤしながらカインの顔を見た。何故そんな顔をするのかカインにはまったく判らなかったが、Zは知っているらしく困ったような表情で笑っている。

「何が?」

「彼が世界的にも有名になったきっかけが27歳のときの授賞式だったのよ。私も出席したんだけどその席でカミング・アウトしたの」

「カミング・アウト・・・?」

「譲はゲイなんだ」

 Zの言葉にカインが思わず顔をひきつらせた。

「な・・・」

「おまえと同類なのか?」

 しれっと言うライにZは「俺は違う」と断固拒否した。

「彼はその授賞式で大勢のマスコミの前で堂々とやっちゃったわけ。当時は凄かったわよ。日本では『勇気ある発言』とか言われちゃって」

 だが、そのカミング・アウトをきっかけに久米譲は有名になり、若いファン層から絶大な支持を得ている。世の中何が当たるか判らないものだ。

「・・・で? 何が言いたいんだ?」

 カインは頭を抱えた。

 どうしてこういうのばかり周りにいるんだか・・・。

「まぁ、あんたにその趣味はないと思うけど・・・人間的にはとてもイイ人だからそっちだけ気をつければ大丈夫よ」

 セシルの忠告は忠告になっていなかった。カインは溜息をつく。なんだか日本に来た目的をすっかり忘れているような気がしてならなかったからだ。

「若女将! 女将が呼んではりますえ!!」

 仲居頭の中年女性が弥生を呼びに来たのはそれから15分ほど過ぎてからだった。夜の座敷の準備があるらしい。弥生も忙しい身なのだ。

 彼女はZの腕を掴み引っ張りながらカインたちに「お邪魔しました」と頭を下げて本館へ戻っていった。

 彼女たちが離れから消え、既に日が傾いている事に気付いた。

 数人の仲居が運んできた食事に舌鼓を打ち、部屋にある岩風呂で一日の汗を流した一行は浴衣姿で様々に寛いでいた。

 一番最後に風呂から上がったカインは浴衣姿のまま庭に出た。

 昼間の暑さとは違い、涼しい風が頬をくすぐる。

「カイン、お客様よ」

 同じ浴衣姿のリザが慣れない下駄で転びそうになりながらカインの傍に来た。

 三度転びそうになったところをカインが支えてやる。

「客?」

「うん。昨日・・・えーと、タワーで会った人」

 カインに抱えられて少し照れながらリザは後ろを振り返った。

 そこに立っていたのは紛れもなく神谷恵一本人だった。

 リザを部屋に戻らせ、カインは神谷を連れて離れの庭を出、本館の裏手にある庭まで歩いた。既に辺りは闇。されど神谷の目にはカインの銀髪があまりにも眩く見えた。

「・・・よくわかったな」

「あなたが常宿にしている京都の旅館と言えば『藤枝』しかないと先輩に教わったので」

「そうか」

 カインは足を止め、庭に置かれた床机に腰をかけた。庭には小川が流れていてそのせせらぎがよりいっそう涼しさを演出している。

 裏庭は本館の明かりで思いの外明るかったが、人が出てくる気配はまったくなかった。

 神谷は旅館に不似合いな背広姿でカインの隣に腰をかけた。

『振込が完了しました。それと、これは私の部署が掴んだ情報ですが、標的は滞在中のホテルのあるパーティーに招待されています』

『パーティー?』

『えぇ。ご存知ですか? 洋画家の久米譲を』

 カインは昼間出会った、屈託のない笑みを見せる男を思い出した。

『今日会った。たまたまと隣の離れをアトリエ代わりにしているそうだ』

『そうでしたか。彼の個展を兼ねたパーティーに滝川・・・標的は出席します。彼と久米は・・・師弟関係だっ・・・』

 途中で神谷が喋るのを止めた。その理由をカインは知っていた。彼が気付くよりも前に、カインは気付いていた。誰もいないはずの裏庭に出てきた人物がいたことを。

「・・・恵一?」

「龍也・・・」

 突然現れたZに神谷は明らかに動揺していた。思わず立ち上がった彼は棒立ち状態だった。

「何で・・・そいつと一緒なんだ?」

 こんな夜に裏庭で『偶然会いました』なんて言い訳は無論通用しない。それ以前にこの2人が顔見知りであるという現実にZは衝撃を受けた。

『カイン!』

『おまえには関係ない』

 カインとZの会話を神谷は理解できた。彼らはフランス語で話しているのだ。自分がわかるということをカインは知った上で。

『おまえはエージェント・ゼニス=ヴォーカルではなく、藤枝龍也として帰国した。仕事用のパソコンをリザに渡していっただろう? この仕事はその後に入ったものだ。俺が独断で受けた。おまえには関係ない』

「う・・・」

 Zの喉の奥から発しそうになった言葉を飲み込んだ。

 カインの言うことは至極もっともなことだった。自分は『仕事』を置き去りにして日本に帰ったのだ。

「・・・おまえは何をしていたんだ、恵一」

 Zは矛先を神谷に変えた。

「おまえ・・・ただの公務員だって言ったよな?」

 神谷は視線を逸らし口を固く閉ざしたままだった。

「恵一?」

 Zは再び神谷の名を口にした。問い質すように。

 何度目かで神谷はようやくZを真っ直ぐ見た。薄く開かれた唇からはあまりにも小さな声が洩れた。だが、静かな庭ではその程度でも十分聞き取れた。

「俺は・・・おまえに酷いことをしてしまう・・・」

「なに?」

「きっと、おまえを・・・龍也を傷つける」

「けい・・・いち?」

「今は、何も言えない。俺の口からは何も言えない。それが・・・俺の仕事だから」

「恵一!!」

 それだけ言うと、神谷は勢いよく駆け出しあっという間に闇の中へ消えてしまった。Zの声にもまったく耳を貸さないまま。

「恵一・・・」

「Z」

 カインの声にZは振り返った。彼は相変わらず床机に腰をかけたままだった。カインは座れと言うかのように自分の横を指で示した。

 Zは大人しくそれに従った。

 困惑気味のZの横顔を見て、カインは溜息をついた。

「あの男・・・ケイイチ=カミヤの手前あぁ言ったが、実際問題としておまえは無関係じゃない」

 カインは浴衣の上に羽織っていた丹前の袂から煙草とライターを取り出した。咥えて火を点け、一服してから言葉を続ける。

「あのカミヤという男に会ったのは昨日だ。待ち合わせ場所は東京タワー」

 そうか、とZは呟いた。昨日、神谷が慌ててホテルを飛び出したのはカインと待ち合わせをしていたからだったのだ。

「さっき俺は無関係じゃないと言ったよな」

 カインに習うかのようにZも煙草を咥えた。いつもの愛用の煙草マルボロ・ライトだ。ライは不味いから嫌いだとよく言っていたがどういうわけかZはこの味が一番好みだった。初めて吸った煙草がこれだったこともあるが。

 カインが差し出したライターの火に煙草の先を近づけ深く吸う。

「どういう意味だ?」

 少し落ち着いてきたのか、Zは吐き出した煙とともにカインに直球で問うた。

「・・・さっき恵一との会話に出ていたな『滝川』という名が」

 冷静にZはカインの言葉を待った。だが、自分では冷静なつもりでもZの鼓動は激しく鳴り響いていた。

 嫌な予感だった。カインの口から出る言葉はZにとって不吉な気がして他ならない。

 『滝川』が何を意味するのか。それが知りたい。でも、知ってしまった後俺はどうすれば良い?

「『滝川』・・・か。最初俺も聞いたときは気付かなかった。だが、神谷に洋画家だと聞いてすぐにわかった」

「洋画家・・・」

 Zの鼓動が更に激しさを増す。あまりの激しさに痛みさえ感じてしまうほどに。

「昔、珍しく酔った勢いで俺とユーシスに言ったことがあったな。自分には小学生になったばかりの父親違いの妹がいると。その父親は母親と再婚する前から自分を息子のように可愛がってくれたと。だが、祖父には嫌われていた。そのせいで義理の父には随分迷惑をかけてしまったと。」

「・・・カイン・・・?」

「何故祖父に嫌われていたのか子供の頃まったくわからなかったが、成長して自分の姿を見てそれがわかったと。自分が・・・父親に・・・実の父親である『滝川龍二』にそっくりだったからだと」

「ま・・・まさか・・・」

 最悪の予感、的中。

 どうすればいい? どうしたらいい? 

「俺のターゲットは滝川龍二・・・Z、おまえの実の父親だ・・・!!」 

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