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悪魔の御子  作者: 奏響
第2話 少女は白夜に悪夢を見るか
22/71

愛憎の迷宮(上)

 「後はリザも知っているとおりだ。村が破壊されたあのクリスマスの夜。あの時俺が村を離れなければ・・・」

 カインはそっとリザの横顔を見た。

 今まで見たことがないほど険しい表情だった。虚ろに動く瞳は動揺を表している。

 無理もない。

 突然告げられた事実。

 偽りと裏切り。

 何もかもが少女の知らない現実だった。

「・・・嘘」

「リザ?」

「嘘よ! 嘘と言って!! 今のは冗談だと・・・悪い冗談だと言って!! 村が無くなったのも、お祖父ちゃんたちが死んだのも、全部・・・全部私を・・・? ジェイが私に優しくしてくれたのも? ・・・嫌よ!! 嘘と言って!!」

 激しく泣き叫び、カインの胸を叩くリザをカインは抱き締める以外なかった。

「本当なんだ、真実だ・・・リザ」

「いやっ!!」

「リザ! 受け止めなければならないんだ!! 自分自身を守るために!!」

「・・・自分を?」

「そうだ。自分を守るために俺も、おまえも知らなければならない。このフロッピー・ディスクの中身を!!」

 真実はたった1枚のフロッピー・ディスクに秘められていた。

 戦後、フロイス=レーンが国を、国民を、世界までも欺いてまで推し進めたプロジェクト『Z―9999』。

 CIA諜報員として研究所に潜入し、『Z―9999』のデータを盗もうとして、レーンの示唆で『北の悪魔』に殺害されたアニー=レーンの夫ジョージ=フリーマン。

 2人の間に生まれた子供たちを奪い、1人は解放され、1人は ――― アイリーンは優秀な研究者として育てられた。

 噂の絶えなかった怪しい研究所に勤務していたリザの両親。

 爆破事故が起き、巻き込まれて死んだ父母や多くの研究員たち。その責任を負って辞職したアイリーン。

 誰に暗殺されたのか皆目わからない当時の情報部長官、ロイ=リーフの父親。

 地図にない村で育てられたリザ。

 動き出した大国。

 事の露見を恐れた政府。

 狙われ始めた少女の命。

 護衛として送り込まれた『悪魔の御子』カイン。

 惨劇 ――― そして、悲劇。

「最初からアイリーンはリザの事を知っていた。そして、俺がおまえを託す人間がアイリーンしかいないことも」

 アイリーンとの7年振りの再会。カインが手を引く少女にアイリーンは何も言わずただ微笑んだ。

 自分の娘のように、彼女はリザを可愛がってくれた。

 だが、それが政府とCIAの二重の監視をアイリーンが遂行しているに過ぎなかった。

「二重・・・?」

 リザはようやく顔を上げた。その声はまだか細く震えてはいたが。

「ジェイソン=シェーンコップはCIAの諜報員。そしてアイリーンは政府側の人間。しかもあのフロイス=レーンの孫・・・。だが、この2人はこの家で会っていた。これ以上はわかるな?」

 少女は首を縦に振った。

 いわばスパイ同士が手を組んでいるのだ。そして、どちらかが一方的に情報を流している。

「カイン・・・何故私が狙われるの? 私何も持っていないわ。パパとママは確かに研究所で働いていたとお祖父ちゃんに聞いていたけど2歳になる前に死んじゃったし・・・。何故私の命を狙う必要があるの?」

 リザの疑問にカインは開きかけた口を噤んだ。

 言うべきか、言わざるべきか。

 正直、真実を知るべきだと言ったが、リザの疑問に答えるのは余りにも酷のような気がした。

 カインでさえ知ったときは憤りを感じ怒る以前に、ショックで愕然とした。

 今だ10代の少女には余りにも酷すぎる現実。

 リザには知る権利がある。

 どうすればいい?

 カインは迷う余り言葉を続けることができず俯いてしまった。

「カイン」

 リザが強く求めるようにカインの顔を覗きこんだ。

「カインが言えないなら私が教えてあげるわよ? リザ」

 その声にカインとリザは同時に部屋の入り口を見た。

 紅茶のポットを片手にアイリーンが立っていた。

「アイリーン?」

「リザ、貴女のご両親は私が中心となって進めていたプロジェクト『Z―9999』に参加していた優秀な研究者だったわ。そう・・・あれは貴女が生まれて半年ほど経った頃だった。約半世紀もの時間をかけてようやく『Z―9999』が完成した。『Z―9999』が何かはもう聞いたの?」

 リザは問いに対して首を横に振った。アイリーンはポットをテーブルに置き、窓際に立った。

「そう・・・。あれはね、国外どころか国内でさえも欺かなければならないほど重要な、国家最高機密だったわ。何故ならばこの世界を『破滅』に追いやる最強の『生態兵器』だったから。わかるでしょう? そんなものを研究し、完成させたことが外に洩れればこの国は世界中の非難を受け孤立するわ。だからこそ、私たちは『Z―9999』のデータを他に渡らないように隠さなければならなかったのよ。時が来るまで。その器に選ばれたのが・・・」

 アイリーンはすうっと右手の人差し指で指した。

 リザを。

「・・・ア、アイリーン?」

 救いを求めるように、リザはカインとアイリーンの2人を交互に見た。だが、アイリーンはリザを見たまま、カインもアイリーンを睨みつけている。

「貴女のご両親は本当に優秀で研究熱心な方たちだった。自分たちが参加しているプロジェクトが『国家のため』と本気で信じてね。完成した『Z―9999』のデータを完全に保管するためのデータ・ボックスの話が出たときも、何処で見つけてきたのか、優秀な・・・いえ、悪魔のような腕を持つ外科医を連れて来て私にこう言ったわ。『最高のデータ・ボックスを見つけたんです』とね。その時貴女は母親の腕に抱かれてその場にいたのよ?」

「・・・どういうこと? どういうことよ!? アイリーン!!」

「おまえの中に・・・」

 カインが俯いたまま掠れた声で言った。

 不安な表情でリザはカインを見る。

「おまえの中に、『Z―9999』のデータが収められたマイクロチップが埋め込まれている・・・」

 リザの顔色が見る見るうちに蒼くなる。

 微かに震えている。

 だが、アイリーンはリザの様子に目もくれず冷めた口調で言い放った。

「正確じゃないわ、カイン。リザの父親が連れて来た医者は万能な外科医だった。重度の心臓疾患の患者でさえ、手術によって奇跡を起こし幾人も救ってきた。見かけは随分美しい男だったけれど、人間性は酷く残忍だったわ」

 リザの父親、イオン=アルティメイトとその医師は大学在学中に知り合った友人だった。

 天才的な腕の持ち主だった彼は、何処かの病院に勤務するようなこともなく、世界中を渡り歩いていた。

 たまたま帰国の折、彼と再会したイオンは自分の携わっている研究について自慢げに話してしまったのだ。

 彼もまたイオンの話に興味を持ち、ある相談を持ちかけた。

 医師として、長年研究してきた手術を実験させてほしい、と。

「イオン=アルティメイトの友人である医師が行っていた研究はね、特殊加工されたマイクロ・チップを人間の最も要となる部分 ― 心臓付近に埋めるというものよ。決して他人には洩らすことの出来ない、決して他組織へ知れてはならないものを“完全”に保存できる優れもの。完成した研究を凍結するためにはうってつけだった。私はその医師と面会し、彼の実験手術の話に乗ったわ。急いで手術の準備をして、『提供』された赤ん坊の胸を開いた・・・」

 がたっ! と大きな音とともに、テーブルの上のティー・カップから紅茶が零れた。

 立ち上がったリザがアイリーンを睨みつけた。今まで見たことのないほど激しい怒りとともに。その瞳をアイリーンは直視できず目を逸らした。

「・・・っ!!」

 何かを言い捨ててリザは部屋を飛び出した。

「リザッ!!」

 カインは後を追おうとしたが、足を止めアイリーンに向き直った。

 その瞳に浮かぶものは怒りでも憎しみでもなかった。

 ただ、哀しげにアイリーンを見ている。

「それほどの価値があの男にはあったのか? 全てを裏切ってまで尽くす価値があの男にはあったのか?」

「・・・あるわ」

 カインから眼を逸らしアイリーンは窓の外を眺めた。

「私たちは愛し合っているわ。この長い間・・・。私を理解してくれるのはジェイだけよ。愛してくれるのも・・・。・・・もうすぐしたらジェイがこの家に来るわ。部下を引き連れてね」

「連絡したのか?」

「あなたがくだらない事をリザに吹き込んでいる間にね。・・・時間がないのよ。彼はリザの中のデータを欲しがっているし、政府はデータそのものの抹消に取り掛かろうとしている。これ以上・・・ここにいられないわ」

「どうする気だ?」

「アメリカにでも移住するわ。米国はデータの漏洩を恐れているだけだからCIAの監視は免れないでしょうけど、それならリザは死なずにすむもの。政府も彼もリザの命なんかなんとも思っていないわ。データと国が大事なだけ・・・。データを取り出せばどのみちあの娘は死ぬんだもの・・・!! 死ぬよりいいでしょ!?」

 アイリーンはカインに言い聞かせるように叫んだ。いや、むしろ自分に言い聞かせているのだ。

 自分の行動を肯定するために。

 カインはフロッピーの中身を思い出した。

 チップはより心臓に近い組織の中に埋められているため、年月を経るうちに血管や神経と複雑に絡み合ってしまう。よって摘出手術の折『データ・ボックス』は100%死に至る。

 階下で何かが倒される音がして、カインは我に返った。外では車のブレーキ音が聞こえる。

「アイリーン、全てはリザの命を守るため・・・? でも、俺には言い繕っているようにしか聞こえないよ。残念ながらね。どこかであのジェイソン=シェーンコップに愛されたいが為にリザを利用しているようにしか俺には思えない。CIAだろうが、政府だろうが、フロイス=レーンだろうが、リザは誰にも渡さない。俺はリザを守ると誓った。・・・あの冬の日に。例え、それがアイリーン、あんたであったとしてもだ」

 カインはアイリーンに背を向けて駆け出した。リザを追って。

 ひとり部屋に残されたアイリーンは両手で顔を覆い隠し崩れるようにその場に座り込んだ。

 カインの言葉が脳裏から離れなかった。

 ――― 愛されたいが為・・・。

 10歳で父を失い、母からも引き離された。実の弟とも縁を切った。

 何よりも愛情に飢えていた。

 両親が生きていたときでさえ、アイリーンは2人にかまってもらうことなどなかった。研究に没頭したっきり、家に帰ってこないことなどしょっちゅうだった。

 引き取ったはずの祖父はアイリーンとリースを大勢の家庭教師の中に放り込んだまま、邸にいても顔を会わさないことの方が多かった。

 自由にしてやりたくて縁を切った弟には誤解されたままだった。

 何故誰も自分を省みてはくれないのか、アイリーンにはわからなかった。けれど、その原因のひとつはジェイソン=シェーンコップに出会い教えられた。

 憎んでも憎みきれない男。

 この男のせいで両親が死んだことをシェーンコップに教えられたとき、彼だけがアイリーンを励まし優しくしてくれた。

 その夜アイリーンは“女”になった。

 彼なしには生きられない。

 リザに憎まれても、カインに蔑まされても。

「本当の私なんて・・・誰も知らないのよ、カイン。貴方だって例外じゃない」

 のろのろと立ち上がり、アイリーンは窓の外の薄暗い空を見た。

 リザとカインの言い合うような声が2階にまで響いた。その直後、勢い良く開け放たれた扉の音が家中に轟いた。

 アイリーンは静かにリザの部屋を出、後ろ手で扉を閉めた。

「・・・幸せになろうね、リザ」

 残酷すぎる運命に終焉を。

 アイリーンは一言、そう呟いた。


 開け放たれた扉に向かってカインは手を伸ばしたがリザの腕を掴むことは出来ず空を斬った。

「待つんだっ! リザ!!」

「来ないで!!」

 拒絶の言葉にカインは玄関で立ちすくんだ。階段下にいるリザは涙に濡れた瞳をカインに向ける。

 一瞬、カインは不謹慎極まりないと知りながらその濡れた碧い瞳の美しさに惹かれた。

 だが、リザのその碧い双眸には裏切られた哀しみしか映っていない。

「リザ・・・」

「嘘つき」

 たった一言、だがその言葉はカインの胸を抉るには十分過ぎた。

「何も知らない顔して私のこと騙して・・・私だけ何も知らなくて・・・」

 リザが今まで出会った人たちは皆優しかった。ジェイソン=シェーンコップも例外ではない。けれども、それは全て自分ではなく自分の身体の中にある『もの』に対してだった。

「聞くんだ! 俺も知らなかった!! あのディスクを見るまでは・・・。でも、俺は違う!! おまえの中に埋まっているものなんかに興味はない。俺がおまえを守りたいのはおまえのことを・・・」

 カインは思わず口を噤んだ。口許を手で覆う。

 何を言うつもりだった・・・?

「皆嫌いよ! 大っ嫌い!!」

「待て! 外は危険だ!!」

 叫びと同時に駆け出したリザをカインは再び追った。

「リザ!!」

 既にリザの姿は薄暗い闇に紛れていた。

「・・・あれは!?」

 リザのいるはずの場所に数台の車の影が見えた。

「リザッ!!」

 カインは再び薄闇に向かって叫んだ。

 何か言い争うようなリザの声がカインの耳に届いた。

「助けて!! カイ・・・」

 救いを求めるリザの声。その直後何かが地に落ちる音が鈍く響いた。

「・・・リザ」

「そこまでですよ」

 その声が合図であるかのように、カインの正面から車のヘッドライトが照らされた。

 カインの額から一筋の汗が流れた。

(リザに気を取られすぎた・・・)

 後頭部に突きつけられた銃口のせいではない。

 正面から聞こえる声に。

 背後からもライトが照らされた。

「やはり、生きていたか・・・貴様」

 微かに洩れたカインの言葉に満足そうに男は笑みを浮かべた。

 見覚えのある冷たい微笑。

 こんなにも早く、再びその名を口にするときが来ようとは思いもよらなかった。

「フィロス=ルーベルス・・・」

 その名に応えるように男はカインに歩み寄った。彼の足元にはリザが倒れている。

 リザもいて、数名の男に囲まれていてはさすがのカインも動けなかった。

「こんなにも早く貴方に再会できるなんて思いもしませんでしたよ」

「しぶとい奴だ。今度は誰に雇われた? またおまえの主の命令とやらか?」

「マスターの代わり、と申しておきましょう。依頼主は政府のとある一派と言ったほうがわかりやすいですか?」

(・・・レーンか)

 カインは小さく舌打ちをした。

「何処まで俺の前に出て邪魔をすれば気がすむんだ」

「心外ですね。貴方が私の後を追ってきてくれているんでしょう?」

「なっ!?」

「冗談ですよ。今回は別に『貴方』は関係ないんです。第一『悪魔の御子』の『堕天使』がノルウェーに入ったという情報は受けていませんしね」

 『堕天使』の名にカインは表情を歪めた。

 誰がいつ何処でそう呼び始めたのか知らないが、いつのまにかその名が世間に広まっていた。

 天使が産み堕とした悪魔の子。

 ふざけた綽名だ。

「何が目的でリザを?」

「私がわざわざここまできたのには理由があります。私は雇い主から2つの依頼を受けました。まぁ、ひとつは実行前にキャンセルになってしまいましたが。もうひとつは・・・」

 フィロスはカインの真正面で立ち止まり顔を近づけた。その間隔約30cm。

「反逆者アイリーン=フリーマンと『データ・ボックス』ことリザ=アルティメイトの回収」

「なんだと!?」

「だから貴方は関係ないんですよ。このまま気絶させてここに転がしておいても一向に構わないんですが・・・」

 フィロスの瞳が一瞬左に動いた。と、同時に後頭部に宛がわれていた銃口が首筋に下りた。

「ん・・・なっ!」

 バシュッ、という音とともにカインは前のめりにゆっくり倒れた。それをフィロスが優しく抱きとめる。

 カインの頭はちょうどフィロスの左肩に乗り、抱かれるままに身を委ねるような格好だ。

「貴方がこれほどまでリザ=アルティメイトに執着していたなんてね。・・・気が変わりました。貴方は私が『個人的』に回収することにします。」

 フィロスは右手でカインの銀髪をそっとすいた。

 人口の光を受けて輝く銀髪はこの上もなく美しかった。

 その髪にフィロスはそっと唇を寄せる。

「本当に会いたかったですよ、カイン」

 フィロスの周囲にいつもいる人間から見ればそれは余りにも奇異な光景だった。

 あのフィロス=ルーベルスが穏やかに微笑んでいるのだ。

「ミ、ミスター・・・?」

 周囲を固めていた男のひとりが遠慮がちにフィロスに声をかけた。

「もうひとりの女はどうしますか」

「すぐに出てきますよ。・・・ほら」

 顔を上げた眼鏡の奥の茶色の瞳が鋭く光った。もう先程の表情は消えている。

「リザ、カイン。まだ外にい・・・」

 開け放たれたままになっている玄関から外に出てきたアイリーンは突如飛び込んできた光景に驚いた。

「動くな」

 その隙を突かれた。アイリーンは背中に銃を突きつけられたことに気付いた。

 彼女は大人しく両手を上げた。指示されるままにヘッドライトに照らされている男の前まで歩かされる。

 アイリーンは目の前の状況に再び驚いた。

 気絶して地面に仰向けに倒れているリザと、同じく気を失ったまま男に抱きかかえられているカイン。

「初めまして、Ms.フリーマン」

「これは何の真似かしら・・・? その娘に触らないで!!」

 リザを車に乗せようとした2人の男に向かってアイリーンは怒鳴った。ククク、とフィロスが笑う。

「今は自分の置かれている状況を考えられたほうがよろしいですよ?」

「大きなお世話よ。第一こんなことをしてただで済むと思っているの? 私を誰だと思ってい・・・」

「情報部所属の『データ・ボックス』管理責任者アイリーン=フリーマン」

 フィロスがずれた眼鏡を人差し指で直した。

「そしてCIAに情報を流していた二重スパイ」

 アイリーンの顔色が瞬時に変わる。

「正直ですね。私はある人物に雇われてスパイと『データ・ボックス』の回収を依頼されただけなんですよ」

 ニッコリ微笑むフィロスに、アイリーンは悪寒を感じた。

「・・・なんですって?」

「と、言う訳でご一緒していただけますね、Ms.フリーマン?」

「・・・わかったわ。でも、その子は関係ないわ。放して」

 アイリーンはフィロスの腕の中で気を失っているカインを見た。フィロスは笑顔で「No」と即答する。

「何故!?」

「何故? 殺人のスペシャリストを捨て置くわけないでしょう? まぁ、それはともかく私が個人的に『カイン』に用があるからですよ。貴女には関係ありません。では、行きましょうか」

「ひとつ教えてくれるかしら?」

「はい?」

 カインの身体を抱え直そうとしたフィロスはアイリーンの声に対して不思議そうに返事をした。

「貴方を雇った張本人は誰?」

 フィロスはアイリーンの問いに口端を吊り上げた。

「言わずとも貴女にはわかるでしょう?」

「何者なの? 貴方」

「質問はおひとつのはずですよ」

「いいから答えなさい!!」

 アイリーンは思わず大声を上げた。それに反応して銃を向けようとした男たちをフィロスは制した。

「名乗るほどのものではありませんよ。まぁ、そうですね・・・強いて言うならば『北の悪魔』に使える『使い魔』ということにしておきましょうか」

「そんな馬鹿なことあるわけないわ!! 『北の悪魔』は15年も前に・・・」

 アイリーンは絶叫した。

 『北の悪魔』はもう死んでいる。15年も前に。

 でなければ、アイリーンがカインたちに出会うはずなどないのだ。

「待って! まだ聞きたいことが・・・!!」

 背を向けたフィロスにアイリーンは再び叫んだ。

 しかし、フィロスは振り返らずに右手を静かに挙げた。

「・・・あ」

 小さな声をあげてアイリーンは静かに倒れた。

「愚かな女だ」

 冷笑をたたえた表情をフィロスは僅かに歪めた。

「ミスター、連絡員からこちらに向かってくる車が2台あるそうです。」

 無線で連絡を受けた男がフィロスに耳打ちした。

「やっと来ましたか。君たちはリザ=アルティメイトを連れてそちらに。そっちはアイリーン=フリーマンを。・・・彼ですか? 彼は私が運びます。手伝いは結構です」

 フィロスは車のドアを開け、カインを助手席に座らせた。愛しそうに前髪に触れて。

 自分も運転席に乗り込み、フィロスはメタリック・シルバーのベンツのヘッドライトで辺りを照らした。

 3台の車が静かに滑り出した。

「ん・・・」

 カインが車の揺れに反応したかのように、小さく呻いた。

 その声にフィロスは眼を細め、口許を緩めた。

 それは優しさに溢れた微笑だった。


 「駄目ですね、もぬけの殻です」

「そうか・・・一足遅かったか。まぁ、仕方がない」

 フィロスたちが去った後、しばらくしてから現れたのは部下を引き連れたジェイソン=シェーンコップだった。

 彼は暖炉の上の2枚の写真に目をやった。

 1枚は古いカラー写真。4人の子供が写っている。もう1枚はさほど古くない。銀色の髪の青年と13~4歳の頃のリザだ。

 シェーンコップはゆっくり暖炉の上に右手を伸ばした。

「少佐」

 部下のひとりが開けっ放しのドアの向こうから声をかけた。

「どうした?」

 右手を引っ込め、シェーンコップは振り返った。

「これ以上は時間の無駄のようです。どうされますか?」

「どうもこうもないだろう。あの男までいないとなれば、政府に先を越されたと考えたほうが良い。こちらとしては『あれ』を入手できなかったのは残念だが、世間に公表されなければそれで良い。長居の必要もない」

 戻るぞ、とシェーンコップが他の男たちに声をかけ玄関に向かおうとしたとき、別の部下がシェーンコップを呼び止めた。車で待機していた男だ。

「なんだ」

「今大使館から連絡が。少佐のご自宅からお電話が入ったそうです」

「家? わかった。悪いがちょっと待っててくれ、中尉」

 シェーンコップの後ろに控えていた男が首を縦に振る。この男がシェーンコップの右腕だ。

 シェーンコップは居間に戻り、受話器を取った。

 しばらくすると、シェーンコップの表情が急に変わる。

「Hello? ・・・マイクか? あぁ、私だ。何だ家にいたのか? ・・・ん? あぁ、夏休みだったか。すまんすまん。いや、電話があったと聞いてな。どうした? なにかあったのか?」

 シェーンコップの口許がいつになく緩んでいる。

「・・・あぁ、君か。え? ベンが熱を? 夏風邪か? しょうがないやつだなぁ。・・・今度は誰だ? キャロルか! ・・・ははは・・・そうか、私のいない間に馬鹿な男に引っかかるんじゃないぞ。ん? その声はクリッシーだな? いつ帰ってくるかって? もう仕事は終わったよ。後ちょっとで帰る。土産は何が欲しい?」

 優しく微笑む彼の姿を部下たちは特別変わったことだとは思っていなかった。むしろ、日常の彼はこうして電話をしていることのほうが多いぐらいだ。

「・・・ママに代わっておくれ、クリッシー。・・・あぁ、ベンに早く治すように言っておいてくれ。帰ったら久し振りに長期休暇を取るつもりだからな。皆でどこか旅行にでも行こう。行き先は皆に任せるから。・・・あぁ、それじゃあ・・・もちろん、私もだ。マギー、君を世界中の誰よりも愛しているよ」

「・・・マギーって誰です? 中尉」

 先程シェーンコップに大使館からの連絡を伝えた青年が中尉に訊ねた。

「マギー=シェーンコップ。ジュエリー・デザイナーとしてその世界じゃ結構有名なんだそうだ」

「え? ということは・・・」

「ミスター・シェーンコップの最愛の奥方であり4児の母親。長男のマイクが9月に大学の2年だ。次のキャロルが17歳、ベンは・・・14歳になったのかな? クリッシーってのはまだ6歳のおしゃまなお嬢ちゃんだよ」

「そう・・・なんですか?」

 青年は複雑は表情で笑顔の上司を見た。

 シェーンコップの車の運転手をしている彼は、この家でシェーンコップが何をやっていたか重々承知している。

 『仕事』と言えばそれまでだが。

「・・・私には理解できません」

「何か言ったか?」

 中尉には彼の小さな呟きは聞こえなかったようだ。

 いいえ、と首を横に振り彼は中尉の後に付いて居間を出た。

 背後でシェーンコップが受話器を置く音がした。

 カチャ、という短い音だったが確実にひとつの糸が断ち切られた音だった。

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