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悪魔の御子  作者: 奏響
第2話 少女は白夜に悪夢を見るか
20/71

血のクリスマス・イブ(上)

 「お帰り、カイン。遅かったわね」

 そう言ってアイリーンはカインを笑顔で出迎えた。

 と言ってもまだ午後10時を回っていない。

「ただいま。リースの所に寄っていたんだ。酒を付き合わされたよ」

「あら、そうだったの? リザも連れずに出かけたからどこか取材にでも行ったんだと・・・」

「取材だったさ。リースにバーの穴場を教えてもらいにね。・・・リザはもう寝た?」

 少し声のトーンを落としカインはアイリーンに聞いた。

「まさか。まだ起きてるわよ。部屋で勉強するって言ってたわよ」

「勉強!?」

 意外な返事にカインは少し驚いた。リザは飛び級で高校を卒業し、今は特別何かをしているわけではない。

 アイリーンは大学を勧めたそうだが、リザにはその気がなかったようだ。

「ここを離れたくなかったみたい。何ならカインのいるパリの大学に行っても・・・と言ったんだけどね。勉強は語学なのよ。英語、フランス語、ドイツ語、イタリア語・・・とロシア語だったかしら? ペラペラなのは。今は日本語と中国語を勉強中なのよ。特に日本語は文字の種類が3種類もあるから難しいらしいわよ。まぁ、あの娘の趣味みたいなものだけどね」

 穏やかに笑うアイリーンにカインは眼を細めた。

 いつもと変わらぬ笑み。・・・いつも変わらなかった。

 この微笑に、恋をしていた。少年時代の甘く、切ない想い出として。

 なのに、それらが全て偽りだったのか・・・?

「アイリーン」

「なに?」

 振り返る彼女にカインは言いかけた言葉を飲み込んだ。

「・・・なんでもない」

「そう? あ、お腹空いてる? 何か軽く食べる?」

「いや、いい。・・・シャワーを浴びるよ」

 アイリーンに背を向けカインは階段を上った。

 今はアイリーンの顔を直視できなかった。

 見ていたくなかった。

「・・・何故あんな顔で笑えるんだ」

 15年間裏切られていたのかと思うと、アイリーンの全てが偽善としか映らなかった。

 部屋の扉を少し乱暴に閉め、バス・タブに湯を入れながらシャツを脱ぎ捨てた。

 少し熱めの湯に身体を沈め、カインは目を閉じた。

 ロイ=リーフから託されたディスクを、カインはリースの診察室で見た。

 その中身はこの国を転覆するに余りあるほどの情報が詰まっていた。

 カインが知っていること、知らなかったこと、ありとあらゆるものがその中にあった。

 唯一なかったものと言えば『あの男』に関するものだけ。

「『北の悪魔』のデータだけが意図的に削除されていた。ロイが消したのか、それとも・・・」

 ―――第三者が削除した可能性が・・・?

 カインはシグルドの言葉を思い出した。

 誰かが裏で動いていることは確かだ。それは政府などでも、ましてや情報部でもなく、おそらくフロイス=レーンでもない何者かが。

「・・・誰が来ようと構わん。例え“それ“がアイリーンであっても容赦しない。今度こそ、必ずリザを守る・・・!」

 そのために、悪魔になろうと構わない。

 彼女を守る力が欲しい。

 この手を穢すこととなっても。


 「どうぞ」

 ノックされた扉に向かってリザは声をかけた。

 開かれた扉の隙間から銀色の髪が見える。

「カイン! 帰ってたんだ!?」

「あぁ、今風呂に入ってきた。・・・今邪魔か?」

「ううん、全然!! ・・・あのね、カインって色々な国の言葉が話せたよね?」

「あ? あぁ、一応」

 後ろ手で扉を閉めてから、カインはベッドに腰をかけた。リザも横に座る。

「日本語なんだけどね、この漢字が読めなくて・・・」

「漢字って・・・。ひらがなやカタカナは読めるのか?」

「うん。それは高校にいる間に勉強したから読めるよ。でも漢字は難しくって・・・」

「見せてごらん」

 言われてリザがカインに渡したテキストには、おそらく小学生が習うであろう漢字が並んでいた。

 わからない漢字は赤丸で囲まれている。

「これか? これは『イヌ』。で、これは『アソブ』。だからこの文章は『イヌトアソブ』」

「あ、そうか・・・。じゃあ、これは?」

 リザは楽しそうに、矢継ぎ早にカインに質問を始めた。

 結局一通り答え終わったのは一時間後だった。

「ありがとう、カイン。随分助かっちゃった」

 途中でアイリーンが運んできてくれた紅茶を飲みながらリザは嬉しそうにテキストのページをめくっている。

 その表情を見て、カインは視線を落とした。

「・・・どうしたの? カイン」

 余りにカインの様子がおかしいのでリザは不安げに顔を覗きこんだ。

 思わずカインは眼を逸らした。

(・・・しまった)

 今の自分の表情を見られるのがイヤだっただけなのだが、リザを傷つけたかもしれない。

「リ・・・!」

 謝ろうとカインが顔を上げた瞬間リザが身体に抱きついた。

「リ、リザ・・・?」

 突然のことにカインのリザを呼ぶ声は妙に上擦っていた。

 やわらかい金色の髪が頬をくすぐる。

 その両腕でリザの身体をそっと包みこむように抱きしめた。

「・・・リザ」

 返事はない。だが、微かに何かが耳に届く。

「リザ、何故おまえが泣くんだ?」

 カインの胸の中で、必死に嗚咽を堪えながらリザは涙を流していた。

 蒼い瞳から溢れる涙を、カインはそっと唇で拭う。

「・・・ごめ・・・だって・・・カインが・・・な、泣きそ・・・だたから・・・」

「リザ・・・」

 カインは再びリザの身体を抱きしめた。今度は先程よりもずっと強く。

 リザの優しさをカインは感じずにはいられなかった。

 自分のためだけに涙を流す少女をよりいっそう愛しく思った。

「・・・すまない。心配をかけたんだな。すまない」

「何故、そんなに辛そうな顔をしているの? カインの哀しむ顔なんてイヤ。私どんな話でも聞くよ? 自分の中に溜めるのって良くないよ?」

 純粋にカインを心配しての言葉。

 誰が思うだろうか、カインの心を苦しめることこそがリザを再び傷つけることだということを。

「教えて・・・カイン」

「・・・聞いてくれるのか? もしかしたら・・・いや、きっとおまえを傷つける」

「私を・・・? どういうこと・・・?」

 驚いたように目を丸くするリザをカインは三度抱き寄せた。

「ゆっくり話すから・・・良い?」

 リザの頷きを確認してから、カインは絞り出すように声を出す。

 今日自分がロイ=リーフと言う人物に会いに行ったこと。

 その会話からアイリーンとDr.リースの関係を知ったこと。

「そして・・・俺とおまえが出会った6年前・・・」

 カインはそっと双眸を閉じた。

 自分の記憶を探るように、今まで霧に包まれていた朧のような過去を思い起こそうとした。

 それは、吹雪のオスロだった。


 吹雪のせいで飛行機は飛べるような状態じゃなかった。いつ離陸するかわからない機内で待っているような性分をカインは持ち合わせていない。

 オスロの駅に降り立つと、街はイルミネーションに彩られていた。

 12月初旬のノルウェーは凍るほどの寒さだったが、クリスマス気分に賑わう街はどこか暖かかった。

 パリを出て、カインは再びこの地に降り立った。

「7年振りか・・・」

 次の飛行機が大幅に遅れているため目的地に行くのは翌日に変更した。明日は天候が回復しそうだと天気予報では太鼓判を押していたが、余り当てにはならないだろう。

 ホテルにチェックインしてから、カインはあてもなく街を彷徨っていた。

「・・・また降ってきた」

 闇から突如現れ、黒いコートの肩や銀色の髪に無遠慮なまでに触れる白い妖精を眺めながら、カインは微笑んでいる自分に気がついた。

 手袋を外し、その白い手で雪を受け止める。

 ゆっくり舞い降りた雪の結晶も触れると瞬時に消えてしまうが、その冷たさだけがいつまでも心地良く残った。

 生まれて初めて触れた雪もこの国のものだった。

 空から降り注ぐ雪の中を時も忘れて立ち尽くしていた。

 積もった雪を掻き分けて道を作り、同じ背丈の雪だるまも作った。

 あの頃は、幸せだった。

 でも、もうあの時間は還らない。

「そんなところで立っていると雪だるまになって明日には路上に転がりますよ、ミスター」

 背後からかけられた英語にカインは驚くわけでもなく振り返った。

 長身の3人の男が全身を黒で包み立っている。 

 男を見るカインのその眼は雪を見ていたものとは違う。

 鋭い眼光に黒ずくめの男たちは一瞬だけたじろいだが、慌てて取り繕うように言葉を続ける。

「予定ではもう次ぎの飛行機は出た筈ですよ?」

「何を言っている。大幅に遅れてるだろうが。パリを出てからずっといたくせに知らないのか?」

 カインは無表情で男に向き直った。

「監視しなくても逃げやしない。しっかり前金も貰ってるしな。・・・目障りだ、失せろ」

「約束の場所へMr.をお連れするのが私の仕事です」

 男たちも表情を変えることなく言い放った。

 どうあっても見張る気でいるらしい。

 カインは煙草を1本取り出して咥え、ライターで火を点けた。

「・・・好きにしろ。俺も好きにするさ」

 男たちに背を向けてカインは歩き始めた。

 足は真っ直ぐホテルに向かっていた。

 別に男の言うことに従ってるわけではない。

 雪はいらぬことをカインに思い出させる。

 寒さは暖かかった少し前の秋を思い出させる。

 胸が痛かった。哀しみと苦しみに押し潰されて。

 涙はひと月も前に枯れたはずだった。

 なのに、カインの頬には一筋の涙が伝う。

「Sorry,...Sorry...」

 ただひとつの言葉を繰り返しながら。

 ひたすら自分を責め続けるかのように。


 「こちらがお約束の場所です」

 黒ずくめの男たちが連れてきた場所は、30m先に崖のある、海に面したレストランだった。寒風が突き刺さるように吹き、オスロの街では静かに降っていた雪も嵐のように吹雪いている。

 こちらへ、と言うように男が少しカインを振り返り先を歩き出した。カインも無言のまま男の後を付いて行った。

「お連れしました、大尉」

「ご苦労様です。君は下がって結構ですよ」

 海を一望できるゲスト・ルームにはクラシカルな調度品が並び、清潔感のある白いクロスがかけられたテーブルには食事の用意が整えられていた。

 こちらに背を向け、窓越しに海を眺めていた男は、案内人が消えるとようやく振り返った。

 薄い金色の髪を揺らし、灰青色の瞳はどこか寂しげな海の色をしていた。

「ようこそ、Mr...ハロルディア=カイン=アルフォード=コリューシュン。・・・またの名を『堕天使』カイン」

「おまえが依頼人のようだな」

「ロイ=リーフ。情報部に所属しています」

「情報部? その若さで人を使ってるんだから相当のエリートというわけか」

「さぁ、どうでしょう」

 ロイ=リーフはカインに座るように勧めた。

「お話は食事でもしながらにしましょう。・・・彼がこのレストランのオーナーです」

 紹介された白髭の紳士はカインのグラスにワインを注いだ。

 濃厚な、赤いワインを。

 オーナーが下がると、それが合図かのようにギャルソンが皿を持って現れた。

「依頼内容を聞こうか?」

「・・・そうですね」

 食事を終え、コーヒーを一口飲んでカインはようやく口を開いた。

 ロイも頷き、懐から1枚の写真を取り出した。

「・・・」

 カインは無言で写真を受け取った。

 それはひとりの少女の写真だった。

 金の髪に良く晴れた空のような色をした瞳。まだ幼さの残る、あどけない表情。

 思わぬ懐かしさをカインは感じた。

 顔立ちが似ているわけではない。だが、少女は確かに『誰か』に似ている。

「名前はリザ=アルティメイト。今月のクリスマスで12歳になる少女です。彼女の命を・・・」

 ロイの言葉にカインは顔をあげた。無表情だが、外の気温よりもいっそう冷たい視線を向けて。

「・・・逆ですよ」

「逆?」

「えぇ、誰も殺してくれなんて言ってません。彼女を何があっても守ってほしいんです」

「・・・待て」

「はい?」

 カインは慌ててロイを制した。

「俺は暗殺の依頼だと聞いている。護衛なんて話は知らない」

 カインの言葉にロイは口元を緩めた。

「殺しもある、ということですよ。基本的には貴方にはリザの護衛を務めていただきたい。彼女の命を狙うものは誰であろうと消してください。こんなことができるのは『悪魔の御子』をおいて他にいません。依頼は以上です。必要なものがあればこちらで全て調達します。何でも言ってください。・・・ご質問はありますか?」

「リー・・・」

 カインは何かを言いかけて口を噤んだ。

 護衛の理由なんて聞いても仕方がないと思ったからだ。

 自分はただの雇われの身。ただ雇われた暗殺者。『仕事』を報酬の代わりに遂行するだけ。例え、どんな『仕事』でも。

 まだ子供なのに、何故命を狙われているのか気にならないわけでもなかったが、正直どうでもよかった。今はただ、パリのことを忘れられれば良かった。

 あの笑顔を忘れられれば、それだけで良かった。

 そのために還ってきた。2度と踏むつもりのなかったこの土地に。

 7年振りに。

「何処へ行けば?」

「これから地図でお教えします。森の奥にある小さな村ですので迷わないようにしっかり覚えてください」

 ロイはテーブルを片付けさせた後地図を広げた。

 村はこのレストランから2時間ほど東に走ったところにある山奥だった。

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