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悪魔の御子  作者: 奏響
第1話 赤と銀の輪舞曲
13/71

エピローグ~ the Forth Avenue Cafe ~

 薄曇りの空の下、教会の鐘が哀しげな音色を奏でていた。

 もう夏だというのに、風は少し冷たかった。

 乱れた髪を片手で直し、カインはサングラス越しにもう片方の手に持った花束を見つめる。

 サーモンピンクの愛らしい薔薇は、カインに語りかけるように微かに揺れた。

 遠くでパトカーのサイレンが鳴り響く。

 カインの脳裏に一週間前の事件が甦った。

 あの日の早朝からパリ市内を、いやフランス中を震撼させる報道が相次いでなされた。

 フランスでも一・二を争う大資産家ジャン=レイモンド邸が何者かに襲撃され、レイモンド本人が殺害された事件。

 犯人は犯行声明こそ出していないもののテロリストであるというのが警察の判断であったが、中心人物と思われるひとりがセーヌ川から水死体となって発見された。邸から奪われたと思われる金品を所持していたことから仲間内で取り分争いになり殺されたのだろうというのが警察側の見解らしい。

 警備員は軽傷、ボディー・ガードは重軽傷と差はあるが命に別状はない。しかし、全員事件当時の記憶が曖昧なことから捜査は難航しているという。

 また、レイモンドは全身を銃弾で撃ち抜かれる前に心臓に一発、さらには撃ち抜かれた額が致命傷となり即死。執事のほうは抵抗したせいか顔面を滅多刺しにされて殺害。照合できるようなものも残されておらず背格好のみで判断された。

 このニュースを聞いてカインはフィロスの本当の恐ろしさを知った。

 ジョルジュ=エルトの部屋に放った2人の刺客を後で始末すると笑っていた。“こういう形”でフィロスは任務を完了したのだ。パリ市内の何処を探してもフィロス=ルーベルスという男の姿はない。

 目の前を黒い集団が横切っていった。葬式でもあったのだろうか。女がひとり泣きじゃくっている姿が目に入った。

 それらをやり過ごし、カインは墓地に入った。

 夏だというのに寒気を感じるほど冷ややかな空気が漂っていた。

「ムシュウ? カインさん?」

 『呼ばれるはずのない名前』を呼ばれカインは振り返った。

「あぁ、あんたか。ジョルジュ=エルト。それと・・・」

 カインはジョルジュの脇で恥ずかしそうに俯く少女の目線に腰を屈めた。

「マリエール、だったね。」

「ボン・ジュール、ムシュウ」

 マリエールは花売り娘のときと変わらぬ、零れるような笑顔をカインに見せた。

 それだけで、心が和む。

「学校に行っているのか。楽しい?」

「うん。お友達も出来たよ」

「それはよかった」

 カインはマリエールの頭をそっと撫でた。少女は嬉しそうに笑みを浮かべた。

「奥さんの墓参りか?」

 腰を上げ、カインはジョルジュに訊ねる。

「えぇ、マドモアゼル・セシルに紹介していただいた仕事も上手くいきそうですし、その報告も兼ねてです」

「コンピューター関係だったな。あんたにぴったりだ。・・・幸せになれそうか?」

「はい。皆さんのおかげです。なんと御礼を言えばよいか・・・」

「・・・いや、俺たちは何もしていない。」

 首を横に振り、カインは歩き始めた。

「どなたかのお墓参りですか?」

 ジョルジュがカインの背中に向かって問い掛けた。カインは肩越しに花束を少し掲げる。

 その様子にジョルジュは何かを察したらしい。

「『彼』のお墓ならば先程私も行って来ました。先客がいらっしゃいましたけど」

「先客・・・? 誰が・・・?」

 その問いにジョルジュは答えなかった。ただ微笑み、会釈をして娘と共に墓地の外へ向かって行った。

 カインはその背を見送りつつも、あの家族の幸福を祈った。

 願わくはあの娘の頬が哀しみの涙で濡れることがないように、と。


 『彼』の墓はすぐに見つかった。

 毎日のように花が届けられているのであろう。彩り鮮やかな花に囲まれ墓とは思えぬある種の美しさを放っていた。

 その正面にまるで熊かなにかのように座り込んでいる人影があった。

 カインが近付くとその人影は振り返った。

「貴方は・・・あぁ、花ですか?」

「よろしいですか?」

 その人物とカインは何度か顔を合わせている。

 彼は墓の真正面に花束を添えると老人に向き直った。

「お久し振りです、ムシュウ・フェルナンド」

「しばらくぶりですな、ノエルさん。」

「覚えていていただけて光栄です。ここへはいつも?」

 カインはピエール=フェルナンドの座っている横に断りを入れてから腰を落とした。

「・・・この花は、やはり貴方があの子に送ってくださったものだったのですね・・・」

 死の間際に抱きしめていた花束。

 フランスで最も美しい彼の死を彩った薔薇。

 アストレ。

 ピエールはこの意味を知っているのだろうか。

「貴方と出会ってからのあの子は、アンリは本当に嬉しそうだった。・・・幸せそうだった。」

 ピエールは寂しそうな眼で墓石を見つめた。

「貴方は・・・アンリ=クレイマ―が何者なのかご存知でしたか?」

 カインは眼を細めた。

 ピエールが肯定を頷きで示す。

「貴方も知っているわけですな。・・・アンリがフランの血を引いていると」

 カインは無言で頷いた。

「そうですか。あの子がフランの血を引いているのは一目瞭然でした。若い頃のフランに瓜二つだった。わからないほうがおかしい。父親がイギリス人だと言っていたが、おそらく母親がフランの娘なのでしょう」

「アンリには?」

「気づいていたことですか? 言っておりません。・・・言う必要もなかった。アンリがフランソワーズの孫だとしてもどうなるわけでもない。・・・でも」

「でも?」

 カインはピエールの表情を窺おうと身体を傾けた。

 俯く彼の頬には一筋の涙が流れている。

「せめて・・・せめて生きていてほしかった。あの子は素晴らしい才能を持っていた。将来最高の俳優になるはずだった。・・・なのに、何故フランのように激しく生きることしかできなかったんだ!!」

 それ以上は言葉にならなかった。慟哭だけが後に続く。

 カインは腰を上げ、ピエール=フェルナンドを残したままアンリの墓に背を向けた。

 少ししてカインは一度だけ振り返った。

『私の祖父は・・・ピエール=フェルナンドですよ』

 死を受容する直前のアンリの言葉。彼はどんな思いで実の祖父を見ていたのだろうか。

「アンリ、ピエールはきっと気づいていたさ。君が自分の孫だとね」

 今はもういない、深海色の瞳の青年に向かって。

「・・・Au revoir, Henri」

 もうここへは来ない。ここは名乗り合えなかった2人の聖域だから。

 再びあの鐘の音が鳴り響いた。


「もういいのか?」

 教会の門の前で車を停め煙草をふかしていたZはカインの姿を認め訊ねた。

 カインは無言で頷いた。

 Zも頷き返すと紫煙を吐き、煙草の吸殻を道路に落とし揉み消した。

 2人は車に乗り込んだ。

「空港まででよかったんだな? 時間は・・・大丈夫だな」

「まだ十分に時間がある。ミカエルが空港で手続きをしてくれているはずだ。」

 Zはハンドルを切りながら、チラッと横目でカインを盗み見た。

 一週間前からカインの機嫌はすこぶる悪かった。原因はZにもわかっていた。フィロス=ルーベルスの事を隠していたからだ。

 今日までカインはZに会おうとしなかった。Zが訊ねていっても門前払いで話を聞こうともしなかった。

 それが今朝になって急に電話が入った。カイン本人からだった。

 内容は『空港までのお見送り』。

「ノルウェーって今は白夜だよな? いいな、俺行ったことないんだ」

「・・・そう」

 ずっとこの調子である。何を言っても返ってくるのは生返事ばかり。

 Zはいい加減このプレッシャーに耐えられなくなっていた。

「・・・フィロス=ルーベルスのことは悪かったと思ってるよ。おまえに黙っていたことも。でも確証がなくて・・・だから・・・」

「は? 何のことだ?」

「へ?」

 カインは目を丸くしてZを見た。予想外の反応にZが驚く。

「何って・・・フィロス=ルーベルスだよ! 俺がおまえに黙っていたことに腹を立ててたんだろう!?」

「ん? ・・・あぁ、そのことか。別に怒ってねぇよ。アイラから聞いたし。第一そんなことでいちいち機嫌が悪くなるかよ」

「な・・・じゃあこの一週間はなんだったんだ」

 一気に脱力感がZを襲った。無理もない。

「くそ・・・それなら早く言ってくれ。マジで心配してたのに!!」

「悪い。怪我のせいで調子が悪かったんだ。」

「左肩か?」

「あ・・・あぁ」

 カインはそっと肩を抱いた。

 フィロスの手の熱さをまだ感じるような気がした。

「ま・・・それだけじゃないが・・・」

 3年ぶりのノルウェー。

 それがカインに重くのしかかる。 

 車はいつの間にか空港に着いていた。

「メルシー、Z。ここでいい」

「あぁ、気をつけてな」

 Zはカインの荷物を渡した。荷物といっても鞄がひとつだ。大きいほうは今朝編集担当のミカエルが取りにきていた。

「後のこと頼むな」

「大丈夫。土産期待してるからな」

 Zは既に歩いていたカインに向かって声をかけた。

 カインは了解、とばかりに右手を振った。

 その後ろ姿にZは不意に嫌な予感に包まれた。

 何故かはわからない。だが、まるで死地に赴く戦友を見送るような感情にも似ていた。


 約束の場所にミカエルの姿はなかった。

「自分でやるといっておいて・・・さてはまた手間取っているな」

 カインは手近なベンチに腰をかけ、そこが喫煙場所であることを確認してから煙草を一本取り出して火を点け待つことにした。

 彼の編集担当者ミカエル=ボナパルトは担当としての腕は優秀で文句無しなのだがどうにも鈍い上にトロい。

 今頃人波にでも呑まれている事だろう。

「ムシュウ・ノエル」

 その声にカインは後ろを振り返った。

 見覚えのある顔が笑顔で近寄ってくる。

「やっぱりノエルさんでしたね」

 眉間に寄った皺と笑顔がどうにもミス・マッチだった。忘れようとしても忘れられない顔だ。

「お久し振りですね、ブラフマー警部。仕事ですか?」

「えぇ、聞き込みの最中でしてね。隣、よろしいですかな?」

 どうぞ、とカインは席を勧めた。ブラフマーの口から自然に「よっこいしょ」という言葉が聞こえてきた。意外な一面もあったものだ。

「ノエルさんはどちらへ? 仕事ですか?」

「えぇ、ノルウェーに取材旅行です」

「ほう、ノルウェーですか。いいですな。そういえば今月末でしたかな? 次の紀行文は」

「来月の頭に出ますよ。ブラジル編です」

「そうでした、そうでした。いやなに、うちの女房と娘たちがノエルさんのファンでしてな。毎回読ませていただいてますよ」

「ありがとうございます。・・・ところで聞き込みというのはやはり一週間前のあれですか?」

 カインはさりげなく話題を変えた。ブラフマーの反応を窺うためだ。

 だが、相手も喰えない男。その程度で表情は変えない。

「いえ、あれは犯人の死体があがったので。上からの命令もあって捜査は打ち切られましたよ。今本庁は別件で大忙しです」

「そうですか。そういえば今日は一緒じゃないんですか?」

「オージュですか? もう戻って・・・あ、あれです」

 ブラフマーの示した方向にオージュが大きく手を振って走ってくるのが見えた。「遅いぞ!」と相変わらずの調子でブラフマーが怒鳴り、こっちもいつもの調子で平謝りをしている。

「それでは、ノエルさん。私はこれで。どうぞお気をつけて」

「Merci.」

 ブラフマーは足早にオージュを従えてその場を去っていった。

「・・・喰えない男だ、相変わらず」

「何が食べられないんですか?」

 突然降って沸いた声にカインは驚いて振り返った。

「・・・相変わらず君も素晴らしいズレ具合だな」

「あ、なんか今馬鹿にしましたね?」

「してないよ。チケットは?」

「あ。これです。なんか凄く混んでるみたいで時間かかりましたよ。何でカインさんが行くときって混むんですかね」

 本気で考えてるらしい。カインは思わず苦笑した。

「それじゃあな、手続きありがとう」

「お気をつけて。でも、僕もノルウェーに行きたかったなぁ。今度は一緒に連れて行ってくださいね、取材に」

「ハハハ・・・そういうことは編集長にでも言いなさい」

 カインは渇いた笑いを返した。

 ミカエルはまた不貞腐れたような顔をした。

「許してくれるわけないですよ、編集長ケチだから。だーかーらーノエルさんがいってくれれば通りますって。なんせうちの売れっ子の希望ですからね」

「そのうちな」

「絶対ですよ!」

 疑わしげな眼差しを向けるミカエルをカインは無視することでやり過ごした。

「あ、それとホテルとか手配しなくて本当によかったんですか? 観光シーズンですから急には泊まれませんよ?」

「それは大丈夫。向こうに知り合いがいるから行くときはそこで世話になるんだ。着いたら連絡を入れるよ」

「ちゃんと定時に社のほうにですよ。ノエルさん忘れっぽいから」

「君に言われたくはないよ」

 苦笑するカインにミカエルは真顔で同じことを繰り返した。

 搭乗を知らせるアナウンスが流れているのにカインは気が付いた。

 ゆっくりとした足取りでゲートに向かう。

「じゃあな、ミカエル君」

「本当にお気をつけて」

 片腕をおもいっきり振り回してミカエルは笑顔でカインを見送った。カインが視界から消えてしまうまで。

 少々恥ずかしくもあるが嬉しくもある見送りだった。

 窓際の指定席に座り、カインは外界を覗き込んだ。

 しばらくして飛行機が滑走路を滑り始めた。

 様々な思いを秘めたまま、カインを乗せた飛行機はノルウェーに続く空へと飛び立った。

 機体が安定しシートベルトを外す。

 客室乗務員が配るコーヒーを受け取り喉を潤す。

 カインはサングラスを外し窓の外の世界に目を向けた。

 その紅の瞳にはどこまでも続く青い空が映し出されていた。

 終わることのない、永遠の空を。

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